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あらたなスタート

2020年2月22日
新しくこのnoteを立ち上げることに。

まずはわたしの自己紹介から。

わたしのなまえは「しお」

親からは「歴史の始まり」と言う意味があるのだよ
と教えてもらっていた。

同じ漢字で「ふみお」と呼ばせるか「しお」と呼ばせるか
両親で意見の相違があった、と聞いている。

「しお」なんてばかにされたらかわいそう、という母。
そんなことでへこたれるような子ではないはず、という父。

結果「しお」になった。

小学生男子には「塩だ塩だ~」とばかにされた。
「佐藤くん」と隣の席になったときには
「さとうとしお(砂糖と塩)だ~」とからかわれた。

いやだったけど、
「くだらねーな(ケッ)」と逆に男子を思いきりバカにすることで
なんとか自分の小さなプライドを護っていたような氣がする。

あの時ちゃんと「そんなこといわれたらいやだ…やめて」と
目に涙でもためて訴えていたら
その後の人生はもう少し違っていたのかもしれない。

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本当に言いたいことを言おうとすると
涙がでてきて声が震えてしまう自分が恥ずかしくて
泣かないようにがんばることで
「本当の自分」からどんどん遠ざかって行った子ども時代。

なんだかとても生きづらかった。

そんな自分がいたからだろう。
学校の先生や出逢ったおとなたちの
言ってることと本音が違うのが透けて見えて
きもちわるくて、嫌いだった。

おとなのなかに見えかくれする
「人としての未熟さ」や「うそ」や
子どもを軽視したりばかにするような態度に
本氣で苛立っていたし、そんなおとなたちをめちゃくちゃ軽蔑していた。

「あんなおとなには絶対になりたくない!」

そう思っていた。

尊敬できる、この人はスキ♡と思えるおとなに出逢えることもあった。

でも、たいていのおとなのことをわたしは嫌っていた。

それはたぶん保育園児だったころから。

「こいつ人のキモチぜんぜんきいてねー!」
「まったくわかろうとしてねー!」
「かってにきめつけやがって!」って思うことがよくあった。

いや、たぶん、最初の頃からそんなふうにキレていたわけじゃなかったと思う。
何度も自分のことや他の子たちのキモチをないがしろにするのを見て、感じて、体験したことによって、キレていったんだと思う。
(この「ないがしろに…」というのは、あくまでわたしの受けとり方であって、実際にはそんなことは全く起きてなかったかもしれないな、といまは思う)


保育園に父が迎えに来たとき
帰ろうと靴を履いている途中、急にふりかえり
その時いた保育士に向かって
「先生なんて!…だいっきらいだぁぁぁーーーーっっ!!!」
って思いっきり叫んだことがあったって聞いたことがある。

わたし自身は全くそんな記憶はないが
その話を聞くと、いつも涙が出そうになる。

その当時のわたしのかなしかった氣もちが
胸のなかでぶわんと広がる感じがして、せつなくなって
うるうるしてしまうのだ。

くやしくて、かなしかったよなぁ~って。
よくだいきらいって言えたね、えらかったね、と思うと同時に、
本当はそんなこと言いたくもなかったんだろうになぁ~って。

ほんとにせつなくて
当時のわたしをそっと抱きしめたくなる。

だからだろうね。

わたしは小さな頃に
ちゃんと子どものキモチを聴くことのできるおとなになる!
って決めた。

ちゃんと子どものことを観ることのできるおとなになって子どものことを助ける!って決めた。

そうして幼ないわたしは保育園の先生(その当時は保母さんと言ってたな)になると決める。

母が保育士であったこととか、ひいおばあちゃんが昔幼稚園を経営してたらしい、とか、そんなことの影響も大いにあったんだろうとも思う。

でもやっぱり、その頃のわたしはとにかくほとんどのおとなが大嫌いだったから「子どもの味方をするおとなになる!」という氣もちが一番つよかったな。


あの頃、自分がそばにいてほしかったおとなに
わたし自身がなるのだ、と。

そうして小学校、中学校、高校と進む。

つづく・・・



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