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それでもいい。共に生きよう。
大好きな、国語「ごんぎつね」について語らせてください。
きっと皆さんも、子どもの頃に学習した覚えがあるのではないでしょうか。日本中で使われる、様々な教科書。
教科書会社によって掲載作品は全くことなりますが、そんな中でありとあらゆる教科書に何十年も載り続けている、児童文学の金字塔。
それが、5年生の「大造じいさんとがん」、そして4年生の「ごんぎつね」です。
4年生のお子さんのいる方は、良かったら今週末、お子さんの教科書を開いて、数十年ぶりに読んでみませんか?
もちろんそうでない方も、図書館で借りて来て、久々の懐かしさに包まれてみませんか?
そして、教員をされている方は、あなたの「ごんぎつね」観と、私の「ごんぎつね」観、比べてみませんか。
さて、「大造~」と「ごんぎつね」は、なぜこんなにも長い間、様々な教科書で扱われ続けているのでしょうか。それはやはり、時代を越えて語りかけてくる普遍的なテーマがあるからです。
さらりと読んだだけでは全く分からない。でも、読み深めれば読み深めるほど見つかる、隠されたメッセージ。この「読み深め」という力を身に付けるのに、とても適した作品なのです。
,ごんは小ぎつねですが、子ぎつねではありません。でも、授業の中で、子どもたちはちゃんと気付きました。「自分のことを「わし」と言っている割に、行動が幼い」と。そのちぐはぐさが、ごんの生い立ちなのです。
ごんはひとりぼっちです。そして作物を荒らし火をつけたりします。
作者は「いたずら」と書いていますが、いたずらのレベルをとうに越えています。犯罪です。特に放火は重罪です。これにも、子どもらはちゃんと気付きました。
「きっと復讐だ。母親を人間に殺されたことへの。」
人間に置き換えれば、半グレで、ヤンキーで、ゴロツキで、かまってちゃんです。何というか、めんどくさい奴です。
その時点で、国語作品の主人公としては、圧倒的に異色です。
ごんは、ある日、兵十のとったウナギを軽い気持ちで盗みます。
ところがそれは、兵十が母の死の間際に、極貧で何もしてあげられない中で、せめてウナギくらい食べさせたいと一生懸命捕まえたものだった(かもしれない)ことがわかります。
他のどの魚でもない、ウナギだったことが重要なのです。フナやコイでは、この物語は始まらなかったのです。
土用のウナギ、大みそかの年越しそば。
昔の人は、長いものを食べることで、長寿の願いをかけました。
最愛の母が臨終の床にある時、なぜ兵十は看取ろうともせず川で魚をとっていたのか。思いは明白です。
薬を飼う金もない貧しさの中で、何とか、母に一日でも長生きさせたかったのです。
土用のウナギなんて、迷信にすぎないかもしれない。それでも、その迷信にすがらずにいられなかった。それが兵十の、母恋しさです。
その必死の思いを、面白半分でごんは踏みにじったのです。兵十にとって、ごんが盗んだのは、うなぎじゃない。うなぎの効用であと何日か生きられたかもしれない、母との日々なのです。
兵十のごんへの憎悪は、想像に余ります。当たり前の感情なのです。
ここをきちんと読み取らなければ、兵十の行動の動機は理解できません。
そこからごんの行動は180度変わります。
あれほど悪の限りを尽くしていたごんが、なぜ急に、そして真逆の行動に出たのか。これにも、ちゃんと子どもらは答えを出しました。
「お母さんを大切に想う気持ち、お母さんを失った悲しみに、自分を重ねたからだ。」
先述の、ごんの生い立ち。おそらくは人間に母を殺されたこと。ぬぐおうにもぬぐいきれない、母への慕情。これで全てつながります。
「さびしい」という一言は一度も使われていない。けれど、そこに窺えるのは圧倒的な孤独さ、そして母恋しさです。
「さびしい。兵十とつながりたい。」
「兵十に、許されたい」
「兵十と、分かり合いたい。こんなにも、自分はお前の気持ちがわかるぞ、と」。
この気持ちが、ごんを悲劇に導いてしまいます。
兵十にこっそり栗を届け続けるごん。
けれど、兵十が友人から「それはきっと神様の仕業だ」と言い聞かされるのを聞いてしまったごんは、居ても立ってもいられなくなります。
ただの親切なら、「神様の仕業」と言われたって平気なはず。兵十が幸せならそれでいいはず。
じゃあ、なぜそれでは満足できなかったのか。子どもたちは、ちゃんと読み取りました。
「自分だとわかってほしいから。」
「ゆるしてほしいから。」
そして、「ありがとうって言われたいから。」
お母さんを失った悲しみを、さびしさを、誰かとわかちあいたかった。
わかってくれる人に、そばにいてほしかった。つながりたかった。
だから、ごんは危ない橋を渡ってしまったのです。
わざわざ兵十が庭にいる時を選んで、兵十の家に忍び込むという、危険な橋を…。
だって、野生のきつねのごんが、庭先の兵十に気付かなかったはずがないですよね。
けれど、ごんにはわからなかった。
その思いが、自分一人だけの思いであることを。
完全な片思いであることを。
むしろ兵十にとってごんは、憎しみの対象でしかないことを。
兵十は、いきなり銃でねらい打ちました。威嚇射撃はありませんでした。兵十の憎悪が表れています。
皮肉なことに、兵十の思いはごんと相通じていたのです。
圧倒的な、母恋しさ。
母恋しさ故に、兵十に歩み寄ろうとしたごん。
母恋しさゆえに、容赦なくごんの命を奪った兵十。
こんなに思いは通じているのに、分かり合えないのです。
こんなに皮肉な話が、こんなに人間の本質をえぐる話が、4年生の教科書で扱われていることに、この教材を扱うたびに呆然とします。
最後の最後で、兵十はごんの真意に気付きます。
けれど失われた命は戻りません。
後悔に立ちすくむ兵十。けれど、ごんは死の間際だというのに、何故か悲壮感が感じられません。これも、子どもたちは読み取りました。
「わかってもらえて、嬉しかったから」
「ようやくお母さんの所に、行けるから」。
でも、兵十は、ここからどう生きていけばいいのでしょう。
きつねと人間。
種の違いを越えて、話し合えれば、わかり合えれば、こんな悲劇には至らなかったのに。
新美南吉さんは、この物語にどんな思いを込めたのでしょうか。
この「ごんぎつね」が書かれた時代を調べてみると、何となくわかる気がするのです。
1932年といえば、五・一五事件に満州国建国。
前年には満州事変。
日本が軍国主義へとひた走り、中国そして諸外国との決裂へと向かっていく時代です。
当時18歳の南吉青年は、その時代の流れに、一石を投じたかったのではないでしょうか。
国が、言語が、歴史が、文化が、民族が違っても。
理解し合い、共に生きようとする姿勢は、決して捨ててはならないと。
きっと、「もののけ姫」のラストでアシタカが口にした言葉と、通じるメッセージだと思うのです。
「それでもいい。サンは森で、私はタタラ場で暮らそう。ともに生きよう」
それぞれが、それぞれらしく、それぞれの生き方を尊重し合いながら、共に生きられたら。それが、新美南吉さんが、この悲劇を描くことを通じて描きたかったことではないでしょうか。
…以上、だるまあに的「ごんぎつね」論でした。
良かったらこの週末、読み返してみてください。