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不器用な子に、贈る言葉
2学期末の個人面談を通して、結構な頻度で話題になったワードが「不器用」です。
私は「不器用」がマイナスの言葉だと思っていません。「不器用」も、「マイペース」も、長いものに巻かれない才能だと思っています。そして、自分らしく生きる才能だとも思っています。
器用な人は、あれもこれもできる。早くできる。周りから重宝される能力です。評価もされやすいでしょう。得か損かで言えば、得なことが多いようにも思えます。不器用な私から見れば、羨ましく思うこともあります。
けれど、裏を返せばデメリットも見えてきます。
あれもこれもできるということは、その人ならではの「何かひとつ」がないかもしれない。
早くできてしまう分、何にものめり込めず、長続きしないかもしれない。
重宝される反面、便利に使いまわされてしまうかもしれない。
代わりのいないオンリーワンになりにくいかもしれない。
「自分の代わりがいくらでもいる。」という不安がいつも付きまとうかもしれない。
器用というのは、誰かの思惑に当てはまりやすい力です。
だから、誰かの思惑に応えようと生きてしまいやすい、かもしれない。
重宝される分、他者の思惑に振り回されて、すり減って、すり切れてしまいやすいかもしれない。
そして、「自分らしさ」が、なかなか見つからないかもしれない。
その点不器用な人は、あれもこれもできない分、1つのものに長じることができるかもしれない。
時間がかかる分、考えることも気付くことも多いかもしれない。
完成まで、より長い時間楽しみ続けることができるかもしれない。
重宝されない分、評価に左右されにくい生き方ができるかもしれない。
自分に正直に、一生懸命生きているだけで、それが「自分らしさ」になる。生き方に迷いがない。だって、それ以外の生き方ができないのだから…。
私がことあるごとに読み返している、バイブルのような一冊の文庫本があります。「調理場という戦場 『コート・ドール』斉須政雄の仕事論」。超オススメです。その一節を紹介します。
「あんまり効率のいい生き方をしていると、すり切れていってしまうような気がするんです。ですから、ゆっくりと遠回りでもいいけど、一歩ずつ行くことを選びました。」
「まわり道をした人ほど多くのものを得て、滋養を含んだ人間性にたどりつく。技術者としても、人間としても。若いときは、早くゴールしたいと感じているでしょう。それも、じれったいほどに。でも、早くゴールしない方がいいんです。成功を手にしたいというのが人間として当然あり、しかし人は成功を手に入れたとたんに、厄介なものを抱えることも確かです。」
「結局、才能をどれだけ振りかざしてみても、あまり意味がないと思う。才能はそれを操縦する生き方があってのものですし、生きる姿勢が多くのものを生むからです。」
私は別に、不器用な方がいいとは言いません。
ただ、器用と不器用は一枚のカードの表裏のようなもの。どちらも尊く、どちらも世の中に必要な力です。
ならばこそ、我が子が不器用だと感じるなら、その不器用さこそを受け入れて愛してみませんか。
私は、器用な子の苦悩も、不器用な子の苦悩も、どちらもいとおしいです。