傷跡の話。
実際にお会いしたことがある方は気がついていると思いますが、私には沢山の傷跡があります。
左手首は歪にゆがんでいるし、左の太股、見えないけれど脇腹にも沢山、全部自分で切った跡です。
私自身はびっくりする程気にしていないし、頑張った証、とも思っていない、ただ自分で傷つけたんだからそりゃそこにあるだろ、、ってだけの傷跡です。
ツッコミづらいことは承知の上で、それでも隠すほど恥とも思っていないので晒したまま生きています。暑いしめんどくさいし。
病名はあるし、薬も飲んでいますが、その病気によってお客様になにか我慢をしてもらうとかそう言うものもないし、病気で薬を飲んでいるから、で許されることも何一つないと思っているので、あえて掲示する必要もないかな、と思い、聞かれたら答えるけど別に主張もしない生活をしています。
歳を重ねて、生傷を作ることもほとんどなくなったのでなんとなく、ここまでの傷跡そんなに見ないし何かの役に立たないかな??と思っていたところに偶然、傷を撮影したいというツイートが流れてきたのでこの夏に被写体として撮影していただきました。折角の機会なので、きっとお客様からは聞きづらいだろうから、私のことをnoteに書いておこうと思った次第です。
以下、ちょっと暗いお話です。
高校に入ったあたりから、20代の後半まで、いつ死んでもおかしくないような生活を送ってきました。
死にたいを一旦切り離して落ち着くだけだから!って思いながら切ってた腕の傷は筋膜や骨が見えるほど深く刻んで放置してきたし、たくさん食べて全部吐くだけでは飽き足らず薬やら漂白剤やら飲んで胃洗浄されたり、高層階から飛び降りたり(まさかの無傷でした笑)、首を吊ったり、酒と薬で深夜の国道の真ん中で爆睡かましたり、何リットルも血を抜いたり。
思いついたら猪突猛進型なので、全部ちゃんと死にかけて、脅威の生命力で生き残り、病院の先生にもやることの漢気が過ぎる!と言われたりしました。
でも、どれも死ななかった。
今よりずっと若い頃は、死にたいと思いながらもそれでもすこし先の未来が見てみたい好奇心なのか希望なのかよくわからないものに縋って生きてこられました。
だけど何があっても28には見切りをつけて、30歳までに死にたいと思っていたので、30歳になる直前は本当に荒れた生活で、輸血も入院も繰り返して、とんでもない額の医療費とそれでも死なない身体に怯えながら、息をするのも苦しい日々を送っていました。
ここまで頑張ってきた自信があって、その結果がこんなにも自分自身が許せない、何もない今なのにもう頑張れないし、この先歳をとって老いていって、若いから、で許されていたことも許されなくなって。
生きてるだけでいいよ、って言ってくれた人たちすら結婚や出産を求めてくる今が過ぎてしまったらきっと、失望されて諦められて一人で死んでゆくんだ。という考えから離れられなくて、
誰にでも平等に与えられる、私の唯一の持ち物である「若さ」を今日よりすり減らした明日を生きるのが怖くて、ただひたすらに絶望に向かって足を踏み出し続ける、真綿で首を絞められるような日々でした。
一度高校で荒れすぎて閉鎖病棟に入れられて2度と社会復帰できないと思っていた時、本当に沢山の同級生や先生方に助けられて、それ以来絶対に何があっても関わった人はみんな真摯に向き合って大切にする!と決めて生きてきたので、必死に裏切らないように大切にしてきた人たちに失望されて、一人で死ぬのが怖かった。
私には何もないから、せめて若さを惜しまれるうちに死にたかった。
首を吊って死ぬ!首を吊るなら貧血の方が早く気を失える!と思っていたので、週に何回も1L近く血を抜いて、常にヘモグロビンは1-2しかなくて、倒れて輸血をしてもキリがないので誓約書を書かないともう輸血できない、と言われ、私もそれを拒否したので、階段も登れない、自転車も乗れない、ゆっくり歩くだけのゾンビみたいな生活でした。
そんな中、当時勤めていた会社の社長に、暇な時間何してもいいからお小遣い稼げることでもすれば?と言われて何となく始めたのがアクセサリーの販売。
時々自分用に作ったりはしていたけど、販売は社長向けの、「何かやっている」のポーズだったし、発達障害もあって片付けがめちゃくちゃ苦手なので本気でやるのは向いてないだろうな、と思っていました。
はじめに販売し始めたのはただ原価がかからなければいいや、と思って作った全然好きなデザインでもないアクセサリーたち。
派手好きすぎて、地元で浮いていた自覚はあったので、これなら無難かな?で組んだデザイン。
好きでもないから、売れたらラッキー、くらいでした。
初めてイベントに出たとき、全然売れなかったけど、自分が好きだな!と思って作った作品のほうが見てもらえて、こんな感じでも良いんだ?と思い、それから少しずつ自分の好きなものを作り始めてゆきました。
自分で自分の意見を聞くのが苦手で、何が食べたいかすらもよくわからないので、何が作りたいとかもよくわからないけれど、何となくコレが可愛い!を組み合わせて、それに反応がもらえるのが楽しくて、真剣に取り組むようになりました。
(予想通り作業スペースは腐海のようですが!)
TwitterやInstagramを通して色々な方と繋がって、自分の好きだと思ったものを褒めてもらえたり、購入してもらえるのがうれしくて次も作る、を繰り返し、元々の負けず嫌いや地道に取り組むことのできる性格も幸いし、気がつけば沢山のお客様や作家の友達に囲まれていました。
結局、30の誕生日当日、1125号室のTwitterやBASEを無言で全部消す勇気がなくて、ここまで生きてしまいました。
30歳もとうに過ぎてしまったし、生きちゃってるし死なないし、あんなに頑張って減らしたヘモグロビンの値も人より濃いくらいに回復してしまって、何一つ思い通りにはなっていないけど、私自身が認められなかった自分のことも今のことも、お客さんや関わってくれる人たちが認めてくれる事によって、何となくまだ生きています。
最初からずっと、だれも私を責めていなかったし認めていないのは私だけでした。
腕の傷はここまで私がなんとか息をするために必要だったと思ってるから、後悔もしていないし、恥ずかしいとも思っていません。
勿論、腕の傷が多くて深いほど苦しいとも思っていないし、耐えることが想いの深さだとも思ってないです。
死ななかったことが正しいのかもわからないし、死ぬつもりだった年齢を過ぎて、予定になかった時間を生きているので特に目標や計画も、それを支える地盤もないです。
生きるんだ!!みたいな自発的な気持ちもないまま、ただ死ぬのを諦めてなんとなく生きる方向を向いただけで、同じ世代の他人と比べたら人生めちゃくちゃ周回遅れです。
でも、なんとなく、死なずに生きてゆく事くらいは許してやってもいいかな、くらいの気持ちにはなりました。
こんなこと言ってはいけないのだろうけど、ぶっちゃけ他人の傷跡を見て、一人じゃ無いんだ、と思ったり、それで頑張れたりする感性は私にはありません。
だけど世の中には色々な人がいるから、誰かの何かの表現で、こんなどうしようもない傷跡が少しでもどこかの誰かの役に立つなら、まぁ、とりあえずはここまで生きてよかったかなと思います。
以上、こんな感じで傷だらけなんすよ!!の記録です。
気持ち悪い、怖い、理解できないと思う人がいることもわかります。
でもきっと、これを読んで共感してくれる方の中にはその余裕がない方も、自分が言われた事だと思って傷ついてしまう方もいると思うので否定するような言葉はコメントでなくDMでお願いします。
全部受け入れます...ってなるほど悪いことだと思ってはいないし、他人の人生に口を出すのは烏滸がましいとも思っているのでうるせ〜〜〜!!!この件に関してお前より考えて生きてきたに決まってんだろ!!!!って高確率で言い返しそうですけど、言われたことはちゃんと真面目に考えます笑
自殺予防週間だし!ってこの記事公開したのに、いまだに死にたい程苦しんでまで生きることが正しいとも思えないから全然救いにもならないし、止める気もないけど、こんな奴でも全然予想もしてない方向からなんとなく生きて行ける程度になることもあるんだな〜くらいに思ってもらえれば!
恥ずかしくなったら消すかも!です。
あ、最後に!!!
ガラケー時代、会員登録必須の集団自殺専門掲示板みたいなところを発見して会員登録したらエロサイトに登録したから会費として20万払えよな!!って言ってきたあの詐欺サイト!!!!許してないからな!!!!!!!人の心はないのか!!!!詐欺ってわかってても自分のアホさにめちゃくちゃ虚無感だったんだぞ!!!!
滅!!!!!
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