見出し画像

蜘蛛の糸。

world wide webって、今言う人いるんですかね?wwwって書くと違う意味になる気がしますが。

インターネットの世界は僕にとってそれこそSF的な「どこでもドア」で、今の僕はこれあってこそ、くらいの大きな存在です。国内はもちろん世界と繋がれるツールをどう使うかってワクワクして、もう四半世紀くらい。はやいというか、改めて年取ったなあというか。

Windows95スタートのほぼほぼ平均以下ユーザーでしたが、ハードよりもソフトが発展途上だったために、その気のある人やその気の強い人が先行して、高度経済成長期的にユートピアは実在すると思えた時代でした。自分のサイトを持つ。ジオシティーとかやってた人も多かったなあ。何もかも懐かしい。集合知。そして個性的なユーザーが面白いコンテンツづくりにしのぎを削る時代。

そのうちにかんたんに記事をアップロードできるようになった頃から様子が変わって。「誰でも出入りできるようにすると荒れる」というのはリアルワールドだろうとバーチャルだろうと同じ。もうそれは仕方ない。モラルとかリテラシーとかそういうのは結局その人が持ってるボキャブラリー次第だから共有されない。誰でも入れるというのは正義のレンジを広げること。悪意がある人間だけが悪いとは限らない。とっても難しい部分だと思っています。本人は一生懸命弾いてるけど合ってないセッションの感じ。わからない人におかしいよ、と言っても伝わりませんよね。このジレンマを引き受けるか、それとも棲み分けを始めるのか。

先日、ある大学生がTwitterのアカウントを消してしまいました。wwwの怖いところはそこに至る一部始終を、好むと好まざるに関わらず目の当たりにしてしまうことなんです。それを見ていてため息をついたところでふと思い出したのが、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」。あのラストシーン。まるでお釈迦様の立ち位置で蓮池を覗き込んでいる感じ。偉くも徳もないのに。

蜘蛛の糸(web)だけに、芥川はこの時代を見ていたんじゃないかと思えるくらいその言葉選びに戦慄します。そういうあれこれがあっても表向き世の中には波風が立っていないところまでラストシーンと同じ。既視感。だとすれば。僕は今でもここはユートピアだと信じたいと思っていますが、ここは地獄なんでしょうか?

いいなと思ったら応援しよう!