弁護士の名刺
学生のころ、裁判に出廷したころがある。もちろん(?)わたしがなにかをしでかした、とか、そうしたことではなく、あるお世話になっている知人の証人として、すこし話をする立場での出廷。裁判内容自体も映画にあるような大げさなものではなく、いわゆる民事のもの。とはいえ、最初に知人を通じて弁護士から依頼があった際は、やはりおどろいた。そのころ、すでに大学の授業で法廷傍聴はなんどかおこなっており、裁判自体は具体的に経験していたものの、いざ、そこに自分自身が立つとなると、さすがにすこし尻込みしてしまう。
出廷の前日。弁護士事務所をたずね、担当の弁護士に挨拶をする。 おそらくは仕立ててあるのだろう。オーセンティックながら、ひとめで質の高さがわかるスーツをしっかりと着こなされている壮年のかただった。現代的であかるく清潔ながらも、重厚なオフィス、塵ひとつないおおきな無垢のテーブルで、差し出された名刺は、ごくごくスタンダードなもの。いわば名刺画面を縦づかいにし、中央に職業と名前、その右上に所属、左下に住所連絡先が記載されたもの。いわば「ふつう」の名刺なのだけど、書体や組版、用紙すべてがぴたりとはまっており、 職業のところも「辯護士」と旧字体で表記されていることもあいまって、得も言われぬしっかりとした佇まいをしていた。それは、まさにその弁護士の印象そのもので、なにはともあれ、安心して身を任せられる気がした。
翌日、実際に裁判に出廷。相手方の弁護士はいかにも質の悪そうな、なにより身体におさまっていないスーツをみにつけ、誘導尋問というか、どこか揚げ足を取るような質問をし、それは総じてなんだか頼りない印象を受けた。この裁判の結果がどうであったかは、ここでいうまでもないだろう。
デザインにたずさわる仕事をしていると、友人知人から名刺のデザインを依頼される機会はおおい。そうしたとき、いつもあたまにあるのは、このとき手にした弁護士の名刺である。それは弁護氏という職業と、そのかたの佇まいと仕事への姿勢を、ちいさな画面のなかにみごとに具体化していた。もちろん、ケースにあわせ最適化するから、そのようなスタンダードな様式との距離はさまざま。だけれども、そのかたとして、その職業として、相手を安心させるたたずまい、というのはつねに気をつけている。名は体をあらわす。名刺のデザインというのは、そういうことなのかもしれない。
社会人になれば、仕事や懇親会の場などで、弁護士のかたとお会いする機会はそれなりにあるものだし、当然、そのつど名刺も交換する。しかし、いまだに最初にお会いしたようなかたには、なかなか巡りあえない。
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24 February 2019
中村将大