読者・出演者・地域の三方良し。ローカルインタビューメディアが目指す記事の形。
ローカルインタビューメディアを作る上で、インタビュアー泣かせな出演者に会うことがある。その一つのタイプとしては、「まるで虚栄心がない人」だ。
「まるで虚栄心がない人」は、ご自身がやられていることがすごいことだという自覚がないか、もしくはそれをよく見せようという気がない。これは謙遜とも違う。なんなら「こんなの語るようなことでもない」ぐらいに思っているようにも感じられる。
例えば先日、JAXAの研究者の方にお話を伺う機会があった。彼はかの有名な「はやぶさ」の通信部分を担う方だったのだが、「それってはやぶさの要部分じゃないですか」と言っても「いえいえ、全部が要ですから」と返ってくる。
JAXAの中の人からすれば、そう考えるのが自然なのかも知れない。でも読者側からすれば、そもそも「え、はやぶさに関わられたんですか!?」というのが自然な反応だ。ちなみに、彼がモチーフになった人物が映画「はやぶさ」にも出ている。
外の人間からすればすごいことなんだとわかってもらうために、そしてあわよくばカッコいい決め台詞を引き出すために、手を変え品を変え話を振っていくが、なかなか思うようにはいかないこともある。それが謙遜ならばまだ引き出す余地があるが、ここでいう「まるで虚栄心がない人」は非常にフラットにそう思っているので、なかなか難しい。
だから、そんな時のインタビューは、苦肉の策だが事実を集めることに集中する。せめて事実さえ集まれば、記事でちゃんとすごいことだと伝わるように書けるからだ。もはや気持ちとしては、余計なお世話だが「ちゃんと報われて欲しい」と思ってしまう。
会話形式の記事のメリットは、こういう時にインタビュアー側のセリフでその印象を調整できることだ。たとえ相手が「全然すごくないんです」というテンションで話をしたとしても、インタビュアーのリアクションやセリフの書き方で読者には「あ、すごいことなんだ」と思わせられる。
私はインタビューもライティングも自分でやるので、どちらかで挽回のチャンスがある。本当はインタビューで相手から決め台詞を引き出したいが、力及ばずできなかった場合は、せめてそのすごさに相応しい見られ方をする文章になるよう努力する。
ローカルインタビューメディアには、「地域貢献」に共感する様々な方が出てくれる。せっかく善意で出てくれた方が、その普段の行いに相応しい評価を受けられるような形にしていきたい。読者のためにもなり、地域のためにもなり、そして登場者のためにもなる記事が理想だ。
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