東京五輪を通じて「多様性と調和」どう表現されるか
[2021年4月8日10時10分 ]
ルーキーに密着取材していた記者さま
(後に東京の新聞社に移籍)のコラムです
<記者が今、思うこと>
地方新聞社に在籍した時に取材したトランスジェンダーの男性A氏(ルーキーの事)の顔が、最近よく浮かぶ。慣れ親しんだ地元で暮らすことに窮屈を感じていたが、元気にしているだろうか。東京オリンピック(五輪)・パラリンピックの話題になると「多様性を育む機会につながってほしい」と期待を寄せていたことを思い出す。
3年前の冬、週末の夜の長野駅。駅前広場に人だかりができているのが気になって近づいてみると、「フリーハグ」をする集団に出くわした。おしゃれなシャツやスカートに身を包み、ヒールを履き、顔には化粧をした男性たちだ。
「オカマさんかい?」「男と女どっちが好きなの」などと質問する酔っぱらい、露骨に不快感を示す人、視線を合わさず立ち去る人…。道行く人たちの反応はさまざま。底冷えがする街頭になぜ立つのか。主催者のA氏に尋ねると、他人と打ち解けやすいハグをきっかけに伝えたいことがあるという。「あなたの周りにも性的少数者(LGBT)はいます」。
当時A氏には20年以上連れ添う妻と、その間に3人の子どもがいた。休日には仲良く車で出掛ける話などを聞くこともあった。中年を迎えて起きた自身の変化をなかなか打ち明けられず、どうすべきかと答えを見つけられずにいた。
幼い頃から男性的な思考や役割に悩んでいた。3人兄弟の末っ子で男勝りの家庭で育ったが、兄たちと比べて泣いてばかり。色白で細く、女の子みたいだ-と友人からよくからかわれた。競い合うのが苦手で、汗臭く、丸刈りが定番の運動部にはなじめなかった。
大学卒業後、地元企業に就職。管理職一歩手前の年次に差し掛かった10年ほど前、会社と家の往復に嫌気が差し、うつ病にかかった。朝起きられず、体が思うように動かなくなった。
インターネットの掲示板サイトで女装仲間が集う場所が自宅近くにあるとの書き込みを見つけ、興味本位で足を運んだ。そのコミュニティーで交流を重ねる内に、なりたい「女性」像へと装う行為は決して趣味ではない。生きがいを見つけている自分に気が付いた同時に、安心感も覚えたという。40代後半に差し掛かりたどり着いた居心地の良い環境だった。
恥ずかしながらA氏と出会うまで、私はLGBTという存在をどこか遠くにいるように感じていた。性自認(心の性)や性的指向(好きな性別)という言葉もそれまで知らなかったし、周りの友人には思い当たる人がいなかったからだ。
電通が2018年に実施した6万人への調査では、8・9%に当たるおよそ11人に1人が性的少数者に該当すると答えた。これは日本にいる左利きの割合とほぼ同じらしい。その一方で、65.1%が「誰にもカミングアウトしていない」と答えた。
A氏と話したり関連資料を読み込んだりする内に、自分の周囲には関係ないと思いこんでいただけなのではないか。実はそういった振る舞いが、打ち明けることができないような状況を作っていたのではないかと考えるようになった。
フリーハグの参加者は一様ではなく、LGBTに象徴される虹色のように多種多様だった。性自認や性的指向はばらばら。男性のパートナーがいる「ゲイ」。心と体の性が異なる「トランスジェンダー」。自分の性を男女のいずれも認識していない「Xジェンダー」など。人それぞれ悩みを抱えながら、街頭に立っていた。参加した1人が言っていたことが今も記憶に残っている。「居場所を見つけた気がした」。
ハグを始めた頃について、A氏は「通行人から悪口を言われたり物珍しげに見られたりする機会は少なくありませんでした」。活動を重ねるうちに変化を実感し「長野駅の日常にも私たちの存在が溶け込みつつあるのかもしれません」と目を細めた。
LGBTというワードを聞く機会は、近年増えている。差別禁止法制定の動きや情報発信拠点が都内に設置されるなど、活発な展開が見られる。「多様性と調和」を掲げる東京五輪の存在が、その要因の1つにあると感じる。
就任以降、ジェンダー平等の推進を訴えてきた東京五輪・パラリンピック組織委員会の橋本聖子会長は今年3月の会見で「LGBTの問題についても、もちろん考えていきたい」ときっぱり言った。トップからのメッセージが、大会を通じてどう実現されるのか注目している。
大会を終えたら、A氏に久々に会ってみようと思う。今回の五輪をどう見つめ、大会によって周囲への変化をどう感じ、どんな未来を描いているか…。聞きたいことがたくさんあり、再会が待ち遠しい。