邪答院仄仄を理解しよう または勝手な解釈ライトを振って伊弉冉一二三を応援しよう
RULE:
私が仄仄さんにこれアタシだ…をひたすらやっている
この文は考察ではなく憶測と願望である。
私はオタク(または、他者と共有している前提知識の確認をガン無視する異常者)なので他作品の語彙や場面を使って喋る
BLOCK PARTYのネタバレはもちろん、4により他作品のネタバレも含む(ex.伊藤計劃「ハーモニー」の核心的ネタバレ)
この記事に出てくる鬱屈とした提案や過激な物言いは決して実行に移すべきではない
理論の飛躍は宇宙を超え、穴はガバガバで閉じることが無い。
この記事の原題は「邪答院仄仄と私は異常者同士仲良く実家に帰って堅実に暮らすべきだ」なので察してほしい
この駄文を読むにあたって
理解しようとかすごそうなこと書いたけど、私はなんかの専門家じゃないし、どっちかというとただの異常者のオタクゆえ結局単なる自己治療の試みの一つに近い文になったので、きちんと理解を得るならちゃんとした人のちゃんとした文を読んだ方が億倍いいと思います。
ただ、頑張って書きはしたとは思う。寝る前に読む連続殺人鬼についてのwikipedia感覚で読める文にはなれてたらいいなぁと思う。
異常者とは何かの話をするために健常者エミュレータ事例集を持ってきたよ
健常者エミュレータ事例集は私の大好きなお役立ちサイトだ。しかしまず読んでほしいのは、このサイトから飛べる以下のリンクである。
先程私は邪答院仄仄(と私)について「異常者」という表現を用いたが、その「異常者」の定義はそこで述べられているものと同じものにする。
邪答院仄仄を「異常者」と表現するにあたって、その中身をサディストやサイコパス等の語彙で表すことは、キャッチーで分かりやすくみえるが私としてはしたくない。
理由は、「異常者」のリーチをより広く取りたいから。引用した定義は「健常者」と「異常者」の間に線は引くものの、その立場は場合によって変化する。少なくとも「サイコパス」「サディスト」と「それ以外」よりはるかに流動的である。それゆえに、多くの人間に「異常者」をあてはめることができる。てか全人類異常者になれる。私はクラスのみんなに異常者について真面目に考えてほしい学級委員長なので、こうやって共感を煽ろうとかんがえました。
ただ、邪答院仄仄のことをサディストでサイコパスと表現するよりもかなり"分かりやすく"なったと思う。
健常者エミュレータを止めないで 異常者の魔法が解けたら君と会えなくなる
「健常者エミュレータ事例集」の「健常者エミュレータ」とは何なのか、健常者エミュレータ事例集はどういうサイトなのかを丸々引用する。
つまり、健常者によって支配されたこの世界で異常者が居場所を確保するためには、健常者のふりをやることが必須であり、そのために異常者が回すべきものが健常者エミュレータ、健常者が共有している暗黙の了解が分からないのが異常者のみんなだから、暗黙の了解をわざわざ言語化してお勉強し、健常者エミュレータを円滑にしようというのが健常者エミュレータ事例集なのである。
これからは、主に健常者エミュレータを回すことで発生するコストについて考えていく。
健常者エミュレータを回すのは異常者にとって苦しい。また、いくら回したところで真の健常者になることなど出来ない。それに、回せば回すほど健常者が当然のように漂わせてくる規則(愛の次に人を絶望させるもの!)の温存・強化につながり、本来異常者が健常者の世界で生きるための手段が、健常者の世界をかえってより強固でゆるぎないものにしてしまうという矛盾を抱えている。
バカでも簡単に分かることを一生懸命これはこうこうこういう仕組みでとわざわざ勉強して出来ないなりに無理くり実行したところでバカ以下の存在からバカ以下の存在(軽)にしかなれない。健常者の脳みそのリソースを少しでも食いつぶさないために異常者が滅茶滅茶に脳みそのリソースを消費して得られる見返りは、「あなた(無害だから)ここにいてもいいんだよ」とかいう良いこと言ってる風の上から目線かつ条件付きの許可である。それか、お前もう船降りろのどっちかだ。そうして献上された異常者の脳みそのリソースは、健常者帝国の繁栄に使われ、さらにもっと健常者エミュレータを回せ回せと要求されるループが続く。
健常者エミュレータ回しは悲しいマラソンである。
けれども、前述べた通り人はどこかしらで必ず異常者になるので、程度の大小あれど皆がどこかで健常者エミュレータを回している。(そして、健常者という異常者に健常者エミュレータ回しを押し付ける立場にもなる)そうして形成される健常者帝国のもっとも大規模なものがおそらく"社会"だ。
さっきは散々健常者エミュレータを回すのはクソだということです的なことを書いてきたが、健常者エミュレータを回すことで得られるものや守られるもの─利益の話をしていないのでフェアな言及ではない。
ちなみに自由及び権利を得て守るためには健常者エミュレータを回す必要があるよ的なことが日本国憲法には書いてある。
H歴がどうだかは知らんけど。(ヒプノシスマイクがOFFられた瞬間ヒャッハーしだす奴がうじゃうじゃいるので、健常者エミュレータを回して自由及び権利が守られる保証が現代日本よりかなり低いのは想像に難くない。そもそも独裁政権だし。)とにかく私達はこの社会できちんと利益が得られるので、健常者エミュレータを回している/回せている。
得られてる実感が無いまたは薄いのなら、健常者エミュレータの回しすぎなのだと思う。健常者エミュレータは異常者が異常であればあるほどエミュレータ形成のための学習量やエミュレータ動作時の計算量が増え、健常者エミュレータを回して得られる利益に対するコストが大きくなってしまう。極まった異常者ほど健常者エミュレータが必要とされるが、そのエミュレータをつくるのにも回すのに多大な労力を強いられる。健常者エミュレータを回して得る利益は、費用対利益が問題ではなく、利益のみの量や利益の中身そのもので評価することも可能なので、「つらいなら、健常者エミュレータの回転を弱めなさい」と迂闊に言うべきではないのが話をまたややこしくする。(つらいなら逃げていいんだよって言われてモヤったことのある方は思い至るものがあると思う。)
邪答院仄仄は自分以外みな異常者と言い切ってしまうほどには異常者なので、仮に邪答院仄仄が健常者エミュレータを回したとして、消費するエネルギーと得られるもの守られるものの比は惨憺たるものだろう。しかも、結局のところ得られた利益そのものにも邪答院仄仄は価値を感じないのでしんどいから健常者エミュレータ回すのやーめたが圧倒的容易である。
邪答院仄仄は健常者エミュレータを回していない。
ここで、「エミュレータ」と「ままごと」の指すものをざっとwikipediaからとってきて並べる。
邪答院仄仄はおままごとをしていない。
邪答院仄仄の異常者帝国
以降からは、健常者エミュレータを回すこと、そして健常者帝国=社会の発展・維持に努めることを「おままごとをする」と表記する。
おままごとをすることで得られる最大最高のものが健常者帝国なら、おままごとをしないことで得られる最大最高なものは大雑把に考えると異常者帝国(=異常者の有する前提条件で動いてくれる世界)になる。
おままごとをやめて異常者帝国を手に入れようとする物語をいくつかあげてみる。(他作品の怒涛のネタバレのターンが始まるよ)
まず、呪術廻戦の夏油傑。非術師を守るというおままごとに疲弊した夏油傑は、非術師(=健常者)を皆殺しにすることで術師のみの世界(=異常者帝国)を手に入れようと目論むに至る。最近アニメ化した懐玉・玉折はおままごとがどんどん嫌になっていく異常者が丁寧かつ分かりやすく描かれている。あと以下の記事もおすすめ。
次に、なるたるの小森朋典。彼は体の弱い母親の介護というおままごとをやめたかったために、インテリ、資産家、文化人、医者がいなければ生きていられない者、肉体的耐久力に欠けた者のいないシンプルで健康な社会という異常者帝国(本人曰く千年王国)を夢想する。
これ自体は中学生のいうことは面白いな~(成人並感)だが、以下に引く彼のセリフは異常者を考える上で重要なキーワードになると考える。
最後に、ハーモニーの御冷ミァハ。異常者帝国を築き上げることに失敗した前述の二人と異なって、彼女は異常者帝国を築き上げることに成功している。彼女は意識や意志というおままごとをやめて、それらの無い世界を作ろうと試み、成功した。
しかし、彼女は異常者帝国をつくり上げることには成功したものの、彼女自身がそれを手に入れることは出来なかった。
邪答院仄仄の話に戻る。邪答院仄仄が求めている異常者帝国は、BLOCK PARTYのドラパで彼女が直接言及してくれている。破壊と混沌である。以上。おしまい。
真の問題は、邪答院仄仄の、彼女の求める異常者帝国との関わりにある。
前述の御冷ミァハの例で分かることは、異常者帝国を作り上げることと、それを手に入れること=その世界の当事者として生きることは別ということだ。ミァハは死という形で当事者の立場を退くことになるが、邪答院仄仄はそもそも当事者の立場に上がるつもりが無い。
邪答院仄仄は、異常者帝国を作り上げることはしても、手に入れる気はないのである。破壊と混沌の異常者帝国を作り上げてやることは、非当事者の立場から、景色として外から眺めるだけ。
異常者帝国を求めた者には、健常者帝国のために完遂することが出来なかったおままごとがあった。夏油傑は非術師を守ることで、小森朋典は母親の介護、御冷ミァハは意識や意志。
邪答院仄仄が完遂出来なかったおままごとは何なのだろう?
健常者帝国=社会の当事者として生きることである。
邪答院仄仄と健常者帝国、または外から眺めることしかできないおままごと
「おままごと(曲名)」を見ていく。邪答院仄仄はおままごとが出来ないので、じゃあこの曲で邪答院仄仄が主にやっていることは何なのかというと、健常者帝国で繰り広げられるおままごとを傍から眺めることと、横から突っ込んでぶっ壊すことである。
邪答院仄仄がおままごとに対して唯一能動的に働きかける行為である、横から突っ込んでぶっ壊す行為は、やられる側としてはどぼじでごんなごどずるのぉ!?なので、邪答院仄仄がどうしてこんなことするのか考えよう。
そもそも邪答院仄仄は、おままごとを本当に「たのしい」と思っているのだろうか?
反動形成というものがある。
反動形成は、人間がストレスをうけたときに心を守る仕組みの一つで、自分の本来の感情と真逆に振る舞うことである。前述した小森朋典も、本当は母親の介護をやめたがっていたが、周りから見れば、親孝行でいい子とみられる態度をとっていた。
つまりこういうことである。
淫獄団地はいい漫画だなぁ。私の異常者帝国では全員が淫獄団地を読んでいます。お前も読め。
何度も言うが、邪答院仄仄はおままごとができない。おままごとができないのに、「たのしい」という実感は得られるのだろうか? 邪答院仄仄はおままごとが「たのしい」かどうか分からない。分からないことにストレスを受けている。おままごとが「たのしい」というのが分からなくて困っているのである。
すると、人間ごっこはどうだった?と問いの意図も見えてくる。この問いについて、Xでは人外である乱数にむけての問いではないか?というポストが多数見受けられるし、クローンというモロ異常者特性を有する乱数には一度言及しておくべきだと思うので、本稿でも乱数に向けての問いとして考えてみることにする。
乱数も、空寂ポッセや中王区などでのおままごとに悉く失敗し続けており、H歴という健常者帝国での居場所を失っていた。しかし、マリオネットの孤独と涙と希望とを経て、Fling Posseという居場所で人間ごっこというおままごとを続けていくことが出来るようになる。
邪答院仄仄は人間ごっこすらできない。だから、かつて自分と似た立場にいた乱数の言葉を借りるために質問しているのだ。人間ごっこは「たのしかった?」と。乱数が邪答院仄仄と似た立場にいたのはもうかつての話で、彼はおままごとを楽しく続けていける人間をできるようになってしまった。邪答院仄仄は自分以外のおままごとのできない存在を一人永遠に失った。
邪答院仄仄はおままごとがたのしいのかどうか分からないので、逆に自分がたのしいと感じる破壊と混沌をベースに、自分のかんがえた最強のおままごとをやってみようと試みる。自分の分かりやすいものさしを使って物事を評価しようとする行為はみんな割とよくやる。(ちょうど邪答院仄仄という分からない存在に対して、漫画だの本だのwebページだのをひっぱり出して邪答院仄仄についてああなんじゃないかこうなんじゃないか言う当記事とかまさにそう。)もちろんおままごとのテーマとして破壊と混沌はふさわしくないので、それはおままごとでなく単なる破壊行為になる。社会はなんだんだでおままごとで回っているので、おままごとの出来ない邪答院仄仄は、当事者ではなく観測者でいることしか出来ない。触れたら壊れてしまうから。
問題は自分の作り上げる異常者帝国でも同じことを繰り返すところにある。せっかく作った自分の前提の通用する異常者帝国なんだから当事者としてめいっぱいおままごとすればいいのに、しない。
おままごとがしたかったのにおままごとが分からなくて、めいっぱいおままごと出来る世界が来てもやり方が分からないから結局おままごとはできない。どこに行っても当事者にはなれない。ただただ単なる観測者。さよ教信者だから王子様とお姫様と怪物の例えがだーいすきだし、一二三くんが王子様だからこの3点での例えを仄仄さんでもしていきたかったけど、仄仄さんは怪物ですらなかった。王子様とお姫様の物語を、ページをめくって眺めることしか出来ない女の子。
仄仄さんにあえて憐憫の念を抱くとしたらポイントその1はここかなぁって思ってます。あえてって書いたけど私は本気と書いて読み方はマジですよ。
みんなの幸せは仄仄さんとってはビタイチの価値も無い謎規範でしかないし破壊行為の方が滅茶苦茶楽しい
今まで散々仄仄さんはおままごとが出来ないおままごと出来ない言ってきたけど、おままごと(曲名)をみると一瞬だけ破壊行為に逃げずにおままごとをやろうとしてきた痕跡が実はある。
ここ、素直に読めば相手をどう嬲ろうかと爪先から頭までをなぞるような嗜虐的な歌詞なんだけど、邪答院仄仄が元々おままごとのできない人間だということを考えると、又聞きしたおままごとのマニュアルをめくりながら正誤を確かめる様にも読める。まぁ境界線ぶっ壊して快感逃げするんですけどぉ…。そもそも話のはじまりに置いた健常者エミュレータ事例集は「おままごとのマニュアル」として作られている。私達異常者は健常者が生来(?)有している暗黙の了解とか良識とか感覚とかを持ちえないので、わざわざ外部から知識を脳みそに機械的につっこんで実行していくしかない。たとえ感覚として理解できなくても、である。分からないことは怖いよね。意味の分からないことを、価値の分からないことを続けていくのはつらいよね。
邪答院仄仄は一二三の友達をある程度出来ていたけど、最後には結局破壊という(邪答院仄仄の)分かりやすい幸福に逃げた。かつて起こったことはこういうことだと思います。
邪答院仄仄は伊弉冉一二三と友達になって、ある程度おままごとしてみけたけど、その友情の幸せが邪答院仄仄には結局分からなかった。なのでぶち壊して自分の分かりやすい幸せの枠にはめた。
さっき異常者は健常者が生来(?)有している暗黙の了解とかの"生来"に(?)を乗せたのは、そういうものはある程度社会規範で定められる節があるからだらだ。伊弉冉一二三と友達になることは、意地の悪い書き方をあえてするが、女の子が綺麗で優しい男の子とご随意になることは社会でかなり高位に位置される"幸せ"なことだと思う。
でも邪答院仄仄はそんなの幸せとは思えなかったわけで。邪答院仄仄は社会から"幸せ"と認められるか、それとも誰にも理解されない幸せをたった一人で享受し続けるか。
そして邪答院仄仄は後者を選んだ。邪答院仄仄が幸せになることすなわち社会に唾を吐き踏みにじることだ。
一時期リョナ垢のヘッダーにしてたコマなんだけど、邪答院仄仄もそうなんじゃないかなぁと思っている。邪答院仄仄はどっちかつーと順序が逆で、「人様踏みにじる迷惑な手段」こそが幸福で、世間の定める"幸福"に縛られることが"困難"で。世間の定める云々をぶっ壊すことも幸福の一部なんだろうけど。
あと、伊弉冉一二三と友達でい続けることは、価値が分からないと同時に辛かったんじゃないかと思う。社会が定める”幸福”を享受するには、邪答院仄仄は破壊と混沌こそを愛する自分の身を削って、社会に合わせた形にならなくてはならない。出来上がるのは邪答院仄仄ではない社会に削られて見る影もない"誰か"だろう。
ありのままで幸せになっても誰も理解してくれないね。
社会の思う幸せを手に入れてもそれを享受できるのはもはや"自分"じゃないね。
それって、まぁあとは一二三くんが言ってくれてるよね。
ここが仄仄さん憐憫ポイント2じゃないかなっておもいました。
養豚場の豚は誰か?
仄仄さん憐憫ポイントは述べたので、最後にEPのドラパの「養豚場の豚」というセリフについて述べたいと思う。好きなセリフなので。
この養豚場の豚とは誰か、伊弉冉一二三か邪答院仄仄か分からないつくりになってるのがニクいセリフだなぁと思っている。
豚が伊弉冉一二三の場合、邪答院仄仄は仄仄さんなりに伊弉冉一二三に愛情をこめていたんだと思う。その愛は往々に理解されるタイプの愛とはいいがたいが。
こういうことを短くまとめてある言葉があって、まさに畜産の教科書の第一章の扉絵に書いてあったのがはるか前にTwitterでバズってたけど、ソースを大学図書館で探すのを忘れたまま大学を卒業してしまったので私には分かりません。畜産の研究室にいたのに。大学でやったことはwifiでARBのガチャ回して独歩SSRを引くことで、やらなかったことは論文購読と実験です。この文はこういう奴が書きました。ここまで読んじゃったならもうお疲れ様です。見つけたら教えてください。
とにかく、形や目的はどうであれ邪答院仄仄は伊弉冉一二三を愛していて、伊弉冉一二三は(も)それを理解しないだろうという諦観や絶望が見てとれる。続く次会ったら本気で遊んであげるという言葉も、生半可な気持ちで自分を理解しようとした一二三に、自分の本当を開示することで後悔させよう、または今度こそ再起不能になるまで破壊つくそうの念を感じさせる。
次に、豚が邪答院仄仄の場合である。この場合、豚と対比されるのが養豚家という個人ではなく、養豚場というシステムであることがポイントとなってくる。前の文でも散々社会というワードは使ってきたけど、この養豚場もすなわち社会といえるのではないかと考える。豚にとって養豚場は自分たちを殺して肉にするためのシステムだ。そんな場が自分を理解したいと言ってきてもお断りだろう。全ては自分をより旨く平らげられる良い肉に矯正するためなのだから。少なくとも邪答院仄仄は自分を素直に良い肉になれる良い豚だとは思っていない。養豚場に手を差し伸べられても、自分が切り落とされてパック詰めにされた幸せなお肉になるだけだ。社会に削られて見る影もない"誰か"という肉に。
どちらが豚か、養豚場か。どちらに転んでもいいセリフだと思う。
こうやって勝手な解釈をしていくことで仄仄さんがピキって弱体化していきます。みんなも言葉を尽くして仄仄さんのことを好き勝手解釈していこう。
これが私たちのヒプノシスマイクだ!!
仄仄さんは私と実家に帰って堅実に暮らすべきだ
もう10000字近くなったので本当の本当に終わりにするけど、邪答院仄仄と私は異常者同士仲良く実家に帰って堅実に暮らすべきだ。(原題)
私は仄仄さんがだ~いすきだからこうやって10000字近く陰気にキーボード叩いてきたし、仄仄さんとなら"幸せ"になっていいと思ってるよ。
実家に帰って公務員試験受けて市役所職員になるよ。そして貯金して駅前の老人ホームに親を入居させる算段がついたら、近くの田んぼの真ん中に家買って暮らしていってもいいと思ってる。
地雷服ももう着ない年相応の服着て過ごすよ。涙袋も太らせない。
b■othにBANされるような漫画は描かないしそもそも漫画は読むものであって描くものではないよね。
近所の人集めてさ、いい感じの河原でいい肉を焼いて談笑に勤しもう。
幸せになろうね、仄仄さん。
またねー!