人と人とが支え合っているというものの。
最近自分の欠点として思うのは、「他人に答え(正解)を求めてしまうこと」
なんでもそう。
友達と何かを計画していても「きっとここは何か言われるだろうけど、まぁいっか」として、結局相手に「ここは違くない?」と言われて、心の中では「やっぱりね」と思う。
友達と話していても、勝手に変なことを言って相手につっこまれて、話を完結させてしまう。芸人さんのボケの人はちゃんと考えてボケているけど、私は、少しこんなツッコミくるかなくらいの想像でどちらかというと口が先にボケている。
6〜7割人間だなぁと。1人じゃ完成させられない。
1番厄介なのは、つっこまれると思って放置しておいたものを相手につっこまれなかったとき。
え?これで正解なの?(いいの?本当にいいの?)
私は完成形という形で提示してあるから、これが言えない。
私が違和感を感じなくなるためには、何時間も何日もかけないといけなくなる。それはもしかしたら終わりがない。だから私は、他人の価値観で正解を決めるのが、当たり前になってしまったのかもしれない。
もしくは、1人で責任をとりたくないだけかも。
それとも、完成形を否定されて傷つくよりも、自分の中では不完全としていて否定された方が心が傷つかないから、心を守ってるのかも。
人とという字は、人と人が支え合ってできているというものの。
1人で完成、正解を出さなきゃいけないことって、人生で1つもないのかな。今のわたしは支えられているだけだったりして。
みんなはどうなんだろう。
と考えている時点で他人に正解を求めている私なのでした。