【エビデンスをつかう①】内的動機付けと外的動機付け
この記事は、生活のなかで、だれかのために、エビデンスを使うときの、ごくごく基礎的な内容を、くだらなく語ろうっていうエビデンスことはじめみたいな記事です。
いくつか予定している、ソーシャルワーカーやケアマネジャーを対象にした講義のベースのために書き溜めていこうとおもっています。
誰かに能動的にかかわるときって、なんらかの動機が必要っていうか、かならず動機が介在しているわけです。
で、動機って、内的な動機づけと、外的な動機づけに分かれるよっていう説があります。心理学の古典っちゃあ古典ですけど、あまり世間で聞かないっちゃあ聞かない気もするデシょう?
内的な動機付け
これは、楽しいからやるとか、ムカついたから言うとか、多様性を尊重したいから、とか、誰かの役に立ちたいからとか、自分の中の自発的な何かに動かされて行うことです。動物的な欲望ってこともあるし、高次のニーズを満たすためってこともあるかもしれませんけど、簡単にまとめれば、やりたいからやる、っていう動機ですね。
外的な動機付け
こっちは、これをしたら金が儲かるとか、異性にもてるとか、評価があがるとか、自分の外にある評価や結果、報酬を求めて行うってときの動機です。
あたりまえのことをつらつらと書いているような気がしてきましたが、なんらかの行動するときって、二つの折り合いが取れているといいねっていうのも、当たり前の話ですね。
将来ソーシャルワーカーになったら金がいっぱいもらえるから、ソーシャルワークの勉強するのが楽しくって、勉強しちゃう、みたいなね。出発点がまちがってるけど。
でも、現実には、折り合いがとれていないっていうケースもわんさかありますよね。先の勉強の例だって、やりゃあいいのはわかっていても、内的動機付けが高まらなかったなんて経験はありますでしょ。あたりまえってことと、できるってことには差がありますからね。
とくに、外的動機付けが脱落しちゃっているケースはそこら中に転がっています。
たとえば、X(エックス)とかで、人をむやみにたたいている人の首根っこつかんで、「おまえ、なんでこんなことしとるんや!」ってきいたら、たぶん、「えっ。べつに」としか返ってこないでしょうね。
これは、外的動機付けに関する思慮が欠如している典型例というか、極端な例です。
それで、「おまえ外的動機付けってもん知っとんのか?」って聞いたら、「知っとるよ」って答えますよ笑
対人支援でも、多様性を尊重したいとか、QOLを高めてあげたいとか、差別を解消したいとか、内的な動機付けがまず前提としては必要で、それは大事なんだけど、それだけで行動してしまうってことがあります。
でも、「それ、うまくいくの?」っていう観点も必要ですよね。
あたりまえの話のような気もしますけど、けっこう、現場でここ抜けちゃうんですよ。
パターナリズムでサービスをおしつけて相手との信頼関係を壊したり、倫理観とか役割意識とかで、明らかにやばい状況に竹やりで特攻してしまったりね。
とくに私の領域の学生は、特攻精神をひたすら叩き込まれて、現場に送り出されてしまっているんじゃないかってことが危惧されます。
エビデンスが使われるとき
そんで、いわゆるエビデンスっていうのは、基本的には、ことをうまく運ぶための情報ってことで、外的動機付けにまつわる思考で用いられます。
そういうときって、「この人にこういうことをしたら、どんな結果になるだろうか」みたいな結果の予測をしたり、「こういう状況の人って、どういう気持ちでいるんだろうな」みたいな背景を考えたりするわけです。ちょっと難しい言葉ですが、前者は、Fore ground question(前景疑問)で、後者はBack ground question(背景疑問)っていうんですけど、そういう疑問を満たしうる知見が、エビデンスベースドっていわれるやつの、エビデンスっていうやつです。
まとめ
エビデンスを用いるってことを意識することで、正義感とかだけで独善的な行動をしてしまったり、無謀な行動が防げるかもしれませんね。
外的動機付けって、立ち止まって、意識しないと生起しないですからね。
でも、この記事、エビデンスを使っている具体的な内容がぜんぜん書かれていませんね。もう疲れたんだ・・・パトラッシュ・・。
エビデンスを使うとかいったって、医学とかの世界はともかく、ふつうの生活のなかで使えるエビデンスなんてあんのか?っておもうかもしれませんが、けっこうあります。高齢者福祉の例なんかを、違う記事にかきます。