(見聞録)小学生、迷子になる
小学生の時から未知な景色を見たいという願望があった。高学年になると、仲のいい友達の自転車に2ケツして(当時はそんなにうるさくなかった)地元をウロウロ。そのまま遠くにいくようになり始めた。
とは言っても家から10キロくらいまでだったが、それはそれで楽しかったな。小学生なので、夕食までは帰らなくちゃいけないので、今日は西の方いってみる?などざっくりな方向だけ決めて走ってた。地図もなく、方位磁石もないので、目標は高い高圧送電柱だったり、太陽だったり。
とにかく、あの道いってみない?とかいったことない道を選んでくのが暗黙のルールになってた。
そんな感じだったから、迷う迷う。それも一つの楽しみだった。そんな時はそこら辺にいる人に聞くと丁寧に教えてくれた。まあ、子供だからね。
そんな時、地元の○○駅はどこですか?と農家らしきお爺さんに聞いた時に『そんな駅知らねえ』と言われたことがあった。
たしかに今日は遠く行き過ぎた。
知らない町区域にもなってたので焦っていたが、まさか駅名さえわからない所まで来てしまったなんて!
適当に進んでたのでどう来たかもわからない。方角さえ分からず、友達とかなり焦っていた。
その最中でのこの返事。
正直、泣きそうになった。というか半分泣いた。田舎なので、暗くなったら夜道になる。行方不明者じゃん。警察に呼ばれる。というかこちらから交番あったら入りたい。でも、一体どこよ?ここ。田んぼばかりで人もいなくね?
とりあえず、何となくの記憶を辿りながら、記憶にあるような道にたどり着いた時の嬉しさは何かを達成したような何かを克服したような喜びで、友達と思わず抱き合って喜んだ。
今思うと、そんなに遠くなかったし、あの爺さん駅の場所くらい何となく知ってるはずだと思うんだよね。恐らく、説明するのが面倒だっただけじゃないか?と思えて仕方がないが、その分、思い出になったのである意味よかったかも(笑)
こんな経験もあり、小学生の旅はもっと過激になっていくのだった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?