見出し画像

尾道と麻雀の関係性について

ぽんのみちが尾道を舞台にする、と発表されたとき「尾道と麻雀に何の関係があるのか」と疑問を抱いた方も多いであろう。筆者も気になったので調べてみた、というのが本記事である。

一見すると関係なさそうなのだが、意外なところでつながっていたり、また安易につながってそうと考えられるところが実は違っていたりと面白い結果となったため、この項でそれらを一挙に解説したい。

①麻雀漫画の新時代を築いた尾道出身のかわぐちかいじ先生

現状、一番尾道と麻雀を語る上で繋がりが強いのが、かわぐちかいじ先生の存在である。
尾道出身のかわぐち先生は「沈黙の艦隊」「ジパング」「空母いぶき」等のヒット作を多数生み出している漫画家であり、一般的には軍事系の漫画家という印象が強いと思われるので、麻雀漫画でこの名を挙げることを意外に思う方も多いかもしれない。

しかし、かわぐち先生は実は麻雀漫画史を語る上で欠かせない存在なのである。

かわぐち先生が麻雀漫画を描くに至った経緯は、同じ明治大学出身で、竹書房の編集者である尾沢裕司氏から麻雀漫画を描いてもらいたい、という依頼が舞い込んで来た事による。

かわぐち先生は69年にビッグコミックの「夜が明けたら」でデビューして以来、新進気鋭の作家として活動していたものの、70年代後半の劇画ブームの退潮等によりスランプに陥り、一時は実家の家業を継ぐ話も出ていたほどに追い詰められていた。
尾沢氏からの依頼があったのはそんな時期だが、それにもかかわらず本人はこの話を聞いて喜ぶどころか「麻雀漫画を描くぐらいなら廃業する」とまで考えていたという。

かわぐち先生がここまで強い拒否反応を示したのは先生が麻雀嫌いだったからではない。
むしろ、かつては原稿の合間を見て雀荘に通っていた程度には麻雀好きである事を公言している。

それにも関わらず気乗りしなかった理由としては2つあり、一つ目は麻雀漫画自体が漫画のジャンルとして下に見られていたことにある。

70年代の麻雀漫画は、阿佐田哲也先生の「麻雀放浪記」を焼き直したような博打をベースとした麻雀のゲーム展開やイカサマ等のテクニックで魅せる展開が大多数という、悪い意味でテンプレ化した単調なジャンルと見なされていた。加えて、特定の作者に仕事が集中する等の要因で粗製乱造が目立っていたことから、下手すればエロ漫画以下の扱いを受ける風潮もあった。
近年の事例でいえば少し前の「なろう系」に対する偏見が比較的近いだろうか。

事実、かわぐち先生の連載も元々関川夏生先生の原作付き作品の予定だったが「麻雀は書くに値しない」と断られた事がそのことを物語っている。

二つ目はかわぐち先生自身が麻雀漫画は麻雀という競技が本位で、人の生き様が二の次になっていると捉えていたことにある。エロ漫画であればまだ人の生き様を描く余地があるが、麻雀漫画にはそれすらないと考えていた。この点が本人にとって大きく引っかかる部分だったのである。

しかし、尾沢氏から提供された資料を読む中で、麻雀新撰組や最高位八百長疑惑事件に象徴される麻雀を核とした人々の生き様を描く事で面白さが出るのでは、と考えるに至る。加えて、「近代麻雀オリジナル」のメインとして好きにやって良いと言われた事もあり、執筆を決意。

そうしてで描かれたのが、表の麻雀プロを目指す「羽根満男」と、勝利至上主義で裏の麻雀プロの道を歩む「九佐井一平」の両者を主人公とする「プロ」である。

この「プロ」の画期的な点は、前述の「麻雀放浪記」以来踏襲され続けた、ゲーム展開や手技をメインとする作品ではなく、最高位戦八百長疑惑事件をはじめとする実際の出来事をベースとして、麻雀界に関わる人々の思惑や野望をメインに描いたことにある。

すなわち、麻雀漫画というジャンルが阿佐田哲也式のテンプレ展開に頼らずともエンタメとして成立しうる、という可能性を明示したのである。

この「プロ」が当時の麻雀漫画界に与えた衝撃は大きかった。
後に「太陽の黙示録」等でかわぐち先生と共に仕事をすることになる編集者の宮崎信二氏は「お定まりをチャンバラをやっていたところに、いきなり黒澤明の『用心棒』みたいなリアル路線が来た」と評し、原作を断った関川先生も「正統的な麻雀漫画で読むべき価値のあるものはこれしかない」と評した。

その次に描かれた「はっぽうやぶれ」では、小島武夫をモデルとした勘の冴えわたる華やかな麻雀を打つ「花島タケオ」と、古川凱章をモデルとした計算高い緻密な麻雀を打つ「蟹江凱」の両名。そして、阿佐田哲也をモデルとした朝倉哲也の3名が結成した「麻雀新選組」を中心とした人間ドラマを描いた。70年代の麻雀ブームの雰囲気を色濃く描いた本作も人気を博し、当時の麻雀漫画としては異例の長さである6冊の単行本を出すヒットとなった。

かわぐち先生が描いた人間ドラマ主軸の麻雀漫画は、同時期にデビューした明治大学の後輩である片山まさゆき先生の麻雀ギャグ漫画「ぎゅわんぶらあ自己中心派」とともに麻雀漫画界に新たな展開を切り開き、ジャンルそのものが再評価される契機となった。

尾沢氏もこの勢いに乗って様々な作家に声をかけたことで作家や作風の幅が広がるとともに、ファンの厚みが大いに増した。結果として、最盛期の85年ごろには麻雀雑誌が同時に16誌も刊行されるほどの隆盛を極めるようになったのである。

なお、片山まさゆき先生は大学・漫画家両方の先輩としてかわぐち先生をリスペクトしており、作中には度々かわぐち先生作品のパロディが登場する。

※別冊宝島「僕たちの好きなかわぐちかいじ」より引用

このように、かわぐち先生の仕事は現在の麻雀漫画の在り方を確立する上で大きな役割を果たしたのである。

また、「プロ」はかわぐち先生がスランプに陥って以降初めて自分自身の感じる面白さと周りの反応が一致した作品であり、この後の「沈黙の艦隊」といったヒット作を生み出す起点になった、と本人もインタビューで述懐している。
かわぐちかいじ作品の醍醐味は、人間や組織同士の価値観や気質、思惑の違いから生まれるぶつかり合いと、そこから生まれる人間ドラマにあると言えるが、「プロ」「はっぽうやぶれ」にはその要素がはっきり現れており、ここにかわぐち先生の原点の一つを見る事ができる。

「プロ」「はっぽうやぶれ」はともにKindleで全巻公開されているので、麻雀漫画が好きならばぜひ一読していただきたい作品である。

エンドカードを書かない不思議

ここまでかわぐちかいじ先生の麻雀漫画史における位置を語ってきたが、それ故にぽんのみちにおいてかわぐちかいじ先生がエンドカードを書かなかった事が疑問でしょうがないのである。

出身が尾道で、前述の通り麻雀漫画の実績もある。しかも代表作の「沈黙の艦隊」「ジパング」の版元は講談社と出版社との縁も深いため、エンドカードを書いても全くおかしくないのだが、結局出ずじまいであった。

麻雀漫画は連載誌が竹書房だったからでは?と見る向きもあるかもしれないが、それなら同じく「アカギ」を竹書房で、「カイジ」を講談社で連載している福本先生の作品があれだけパロディされた事との説明がつかないのである。
色々事情はあるのかもしれないが、次回作があるなら是非何かの形で関わって欲しいところである。

②尾道の雀荘

次に思いつくと言えば雀荘ぽんぽんから、「雀荘」の存在であろう。 これについて、広島県警の生活総務安全課(風俗営業適正化法の所管課)に確認したところ、2022年の時点において尾道市全体で5軒、尾道警察署管内(旧尾道市・御調・向島)で3軒あるとのこと。尾道市の人口はおおよそ13万人なので、一軒あたりの人口は約2万6千人となる。
一方で、警察庁発表によれば2022年時点での雀荘の件数は全国で7061件なので、全国平均は一軒あたり1万8千人となる。そのため、尾道が麻雀(雀荘)が特別多い地域とは言えず、むしろ少ない部類に入ると言えるであろう。

加えて、ご多分に漏れず尾道市の雀荘は減少傾向にあり、平成17年(2005年)4月時点では8軒あったのが、20年で半分以下になっている。そういう意味では雀荘ぽんぽんの元雀荘という設定もあながち変と言えないであろう。
本記事のタイトル画像も、尾道の国道沿いにある元雀荘である。

ちなみに、11年ごろまで尾道商工会議所の向かいのビルに雀荘があり、グーグルストリートビューでその存在を確認できる。かつては尾道水道を眺めながら麻雀ができる場所が実在していたのである。
(24年7月現在は空きテナント)

③侠道会との関連性

尾道や麻雀に関して少し詳しい人が思いついてしまう関連性としては、反社会的組織(暴力団)の存在があるだろう。
麻雀漫画などのフィクションにおいては、暴力団をはじめとする反社会的組織の存在はつきもの。それに加え、現代の暴力団のルーツの一つが博徒(バクチ打ち)であること、昭和40年代には賭博が暴力団の主要な収入源であったこと、そして、尾道には指定暴力団である侠道会の本部があること等から、その線で尾道とのつながりがある?と考えてしまう人もいるかもしれない。

しかし、これについては尾道の名誉のため、いくつかの点から明確に否定をしておきたい。

一つ目に、尾道において特に違法賭博の類が活発に行われていることを示す資料がない点である。県単位であるが、警察やその関連資料においても暴力団と賭博に関する記載はなくなっていること、尾道警察署管内において賭博での検挙事例が近年ないことから、少なくとも現在主要な収入源とはなっていないことが伺える。

二つ目は侠道会のルーツに関する部分である。 まず、当該団体の実質的な創設者は高橋徳次郎という広島の博徒であり、昭和20年代に尾道の中心部において実際に賭場を運営していた事が伺える文献もある。
そして、侠道会の直接の創設者である森田幸吉はその高橋徳次郎から盃を受けており、侠道会も元々は高橋の下にいた人々を中心に結成されている。そういう意味では侠道会はいわゆる博徒にルーツを持つ暴力団に分類しうる。

しかし、実際のところ森田自身は高橋から主に興行関係のシノギを任されており、賭場の運営に大きくは関わっていなかったとされる。代わりに賭場を取り仕切っていたのが兄弟分の横江利雄で、その横江も侠道会の立ち上げにあたって暴力団の世界から足を洗っている。
そのような流れを考えても、侠道会が賭博を主要な資金源としている可能性は低い。

三つ目は、そもそも賭け麻雀自体が暴力団の組織的な資金源とするのに相性が悪いという事実にある。
賭け麻雀の最大の特徴は、賭博の対象となったからと言って本質的なルールに変更はないことにある。つまり、普段使っている麻雀関連用具があれば、あとは当事者間の取り決めだけで賭博が成立してしまうのである。
一方、博徒が組織立って賭場を経営していたのは、サイコロ博打や手本引きのような、胴元の概念がある賭博を人間が行う必要があったからである。特に手本引きはカジノにおけるディーラーのような専門技能が必要であり、そういう専門性の高い賭博ゲームの運営を行うために、博徒という集団が形成されていったという側面がある。
胴元の概念のない麻雀は、そもそもこのような組織的な賭博とは相性が悪く、団体としての主要な資金源とはなりがたい。

もちろん、全国的にみれば暴力団員がマンション等で高レートの賭け麻雀を行っていたため摘発をされたという事例が無いわけではないが、これが尾道特有の事情とは言い難い。 また、雀荘の運営には暴力団員やその関係者が関わることができないと法令上明記されているため、大昔ならいざ知らず、現在ではこの線もないであろう。

そして最後が、ぽんのみちという作品のコンプライアンス意識の高さである。
筆者のnoteで指摘した通り、雀荘ぽんぽんが現行の風営法上の規程を完璧にクリアする形で描かれていたり、明確に賭け麻雀を否定する描写が入る等、それこそ前述のような麻雀の持つダーティーなイメージを払拭することに細心の注意を払っている。 もし仮に尾道がそのような違法賭博としての麻雀が盛んに行われている地域だとみなされているのであれば、そもそもこの作品の舞台として選ばれるわけがない。その点からもこのつながりを否定できる
のである。

以上が尾道と麻雀のつながりに関する考察である。 実際あまり縁がない、というのが最終的な結論であるが、これも一つの縁として尾道を知る機会となってもらえれば幸いである。

いいなと思ったら応援しよう!