
脳出血(*_*)でも、お役に立ちたい⑨
今の病院に転院して1か月。毎日3時間リハビリしてもらって、毎日お風呂の時間取りに朝一番に並びに行って、介助なし入浴できる患者のみが可能な毎日の入浴ができて、美味しい食事を堪能し完食街道を突き進む。
今日も幸せ、と思いながら1日が終わればいいのだが、夜になると高確率で、あいつがやってくる。ピリピリ星人だ。湿布を4分の1に切って貼り、ウロコ人間となって戦おうとするが、やつは強い。イタミドメンの助けはできるだけ使いたくない。ピリピリ星人のやって来る道に煙を立てるのだ。そう、noteに記事を書いている間は煙が立っている。ピリピリ星人よ、どっかに行けー、という思いで今日も記事を書いてる。
今回は、大腸内視鏡検査が行われた日のことを書く。
簡単に言うと、「大腸カメラ」だ。この検査を受けたことがある人は、この検査の前の準備としての処置がとても大変ということをご存じと思う。
腸の中を撮影するのだから、腸の中を空っぽにしなければならない。便が残っていると腸の内壁の様子が分からないので、便を全部出してしまうのだ。
下の記事を書いている途中でここまで引き返してきた。前回そう言いながら書かなかった今回の記事は、汚いことと残酷なことが苦手な人は読まない方がいい。
検査の前に、パジャマから検査着に着替えさせられた。パジャマの下に着ていたシャツも脱がされた。検査着は膝までの長さで、胸の下辺りにある内側と外側にある2か所のひもを結ぶだけで前を隠しているが、首元は重ねているだけなので少し動くだけで胸が丸見えだ。甚平型のパジャマのズボンも脱がされたので、ひざ下はスカスカ。少し足を開くとリハビリパンツという名のおむつも丸見えだ。検査の間だけだと思えば我慢できるが、実はこの時着せられた検査着は、この日から4日間、着せられたままになる。
着替えが終わると、大量の液体の下剤を飲むように看護師に指示される。かかりつけ医院で同じ検査をしたことがあるので、ここまでは想定内で私も落ち着いていた。その下剤の液体はとてもまずい。2リットルくらいあったと思うが、我慢して飲んだ。かかりつけ医院で検査した時には、全部飲み干す前にトイレに行きたくなって、そんなに苦労せずに腸を空っぽにできた。前回書いたように私は快便体質だから、他の人よりも楽だったと思う。
しかし今回は全く違っていた。おむつを履かされているということはここまで体質を変えてしまうのかと思うほど、下剤を大量に飲んでいるというのに排便の気配がなかった。検査の時間のことを考えてか、何度もどうですかと聞きに来る看護師がいらついているのが分かった。そして私の方から、浣腸だったら出ると思いますと言った。では用意しますと言って看護師が出て行って戻ってきたときに、シーツを汚したくないのですぐに横のポータブルトイレに座れる姿勢で浣腸してほしいと私が言うと、看護師はすぐに、いえ、おむつでしてくださいと言った。気が付けば、おむつはいつの間にか、寝たきり用の巻きおむつに変わっているし、お尻の下には、使い捨ての紙の防水シーツが敷かれていた。この変化のタイミングについてはよく覚えていない。ただ、今までおむつだから排便できなかったのに、おむつで排便することしか許されないと分かって、目の前が真っ暗になった瞬間だけは覚えている。
数日前の浣腸の時は、ポータブルトイレに座ると排便できた。今回はそれが許されない。
浣腸が終わってもベッド上でおむつを着けられ起き上がることさえ許されなかった。この体勢では大量に液体の下剤を飲んでいるのに、尿さえも出ない。私はお腹が膨れて痛くて苦しい、ポータブルトイレを使わせて、と訴えたが、先生が許可していない、と看護師が言い、私のお腹をさすり始めた。どこが痛い?と初めは優しそうな言い方だったが、やっぱり出ない、苦しいと私が言うと、少しきつくお腹をもみ始めた。私が、出そうになったらナースコールしますから、というと、彼女は、あ、と短く言ってから部屋を出ていった。実は、個性のなかった5階の鬼看護師の中で彼女の顔は判別できた。一番若くてきれいで猫なで声で、残酷だった。名前も覚えている。でも、個室だから、知りませんと言われたらなかったことにされる出来事だ。
鬼看護師が出ていった後で、私はこの地獄から開放されるにはもうお腹に力を入れて、自分の中の汚い中身を出すしかないと決心した。そして必死に頑張って、少し出たと思った。ポータブルトイレの時と違って、おむつの中で汚物が身体に付いて気持ちが悪い。ナースコールをすると、スピーカーからどうされましたかと声が聞こえた。便が少し出ました、と私が答えると、まだ出ますよね、もっと出てからコールしてください、という声が聞こえて、プツッとスピーカーの音が切れた。
これは、実話だ。でも、個室で起こった事なので、誰にも証言してもらえない、ホラーのような実話。
便がもっと出ないと、看護師は来ない。つまり、汚れたおむつを取り替えてもらえない。汚れたおしりを拭いてもらえない。絶望的な気持ちだったが、私は子どもを産んだ時のような、いきみを始めた。呼吸も、スッハッハー、とリズムを付けてお腹に力を込めていきんだ。次に起こったことは、そのまま表現することは避けておく。
ただ、結果としてはこの時に大量出血が起こったことは間違いない。
看護師が私のおしりを拭く時に、乾いた紙をバリっと音をさせたことははっきり覚えている。なぜそんな硬そうな紙で拭く?と瞬間的に思って顔を上げた。パパっと撫でたが痛かったし、雑な手の動きで、周りに汚物が飛び散っただろうな、と思った。赤ちゃんのおしりふきのように、濡れた柔らかい紙で仕上げることもなく、汚れが付いたまま次のおむつが当てられた。腸が空っぽになるまでこれが数回繰り返された。
排泄物の色がなくなった、と言うより、血液しか出なくなったのを確認して、やっと検査用のベッドにゴロンと移され、検査室に向かった。私は、自分が死体のようだ、と考えていた。左側だけでなく、全身動かなくなっていた。
検査室に着く前から、私は薄目を開けるだけで、上を向けず首までだらんとしていた。検査の直前に、胃腸科の医師が私の様子に気が付いたようで、大きな声を上げた。「何でこんなにぐったりしてるんや。」誰も何も言わない。私は、こんな時にも、負けず嫌いの強がりだ。私一人が震える声で「大丈夫です。」と言ってしまった。大丈夫じゃないのに大丈夫と言ってしまった。この時に、私が無言で目を閉じて、誰かにそれまでの残酷な仕打ちのせいで、血液も気力も搾り取られて死にかけていると説明してもらうと、このあとの展開は変わったのだろうか。考えても仕方のないことだ。とにかく、もうこの時点で、輸血が必要な状態になっていた。麻酔で眠っているうちに終わるからと医師が言ったような気がしたが、麻酔の前に失神していて、麻酔などどうやったか知らない。次に看護師に顔を叩かれ起こされるまで意識はなかった。
ここでもう一度、前回、⑧の私の注意喚起を思い出していただきたい。
私が上に書いた事実のせいで「大腸内視鏡検査」に対して「怖いもの」「汚いもの」「残酷なもの」と読者の方がイメージされて、必要であるのに断る選択をされたために、重要な治療の機会を逃されてしまうと、私は「役に立つ」の反対のことをしてしまっていることになるので、「もとの姿」、つまり元気な姿に戻れなくなってしまう。
私の一つ下の弟は、20年以上前に会社の健康診断で要精密検査という結果を受けて、「大腸内視鏡検査」を受けた。その検査はそんなに昔からあったもので、しかも技術的に早く発達していたようだ。検査をしている時に初期の大腸癌が見つかり、その場で切除してもらった。その後定期的に同じ検査をしてもらい、数年後には取り切れていなかった癌も見つかり、やはりきれいに切除され、その後ずっと検査しても再発がなく、今もとても元気だ。
昔は同じような癌でもお腹を切って大手術だったのに、「大腸内視鏡」を使うと一泊か日帰りの手術で済んだようだ。
弟は、一昨年娘の結婚式で、少し恥ずかしそうに彼女と腕を組んでバージンロードを歩いていた。
落ち着きがなくて、先生にいつも怒られていた弟。いつも私とバカなことを言い合って笑っていた弟。浪人中に私が英語の猛特訓したら、有名大学に合格してみんなに驚かれ、私も誇らしかった弟。
ちゃんと「大腸内視鏡検査」を受けて治療したから、娘の幸せな姿を元気に見ることができた。
私の場合は、特殊な例と思う。ラッキーな私はこの時期だけはアンラッキーだった。
医療機関で働く、特に看護師さん、お医者様、今回の記事をもし読んでいただいていたら、どうすればこの時の私を救うことができたか、私自身の問題点も含め、ご自身だったらどうしていたかを考えてほしい。患者の心に傷をつけてしまうという事、それは表向きは見えないかもしれない。でもそれをしてしまったら、あなたがした行為は傷つけられた患者の心にずっと残り続ける。その重さを今回の記事で誰かに気付いてもらえたら、私は何かご褒美がもらえそうな気がする。
次回は、あと二日続く、私が納得できなかった検査について書く予定だ。