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夜中の愚痴。Xのこととか、「書くこと」とかとか。

夜更かしをしている。
こっちのけんとからクリーピーナッツへ。
クリーピーナッツからこっちのけんとへ。
中学時代歌詞カードの全てを繰りながらQUEENの一つ一つを大事に大事に聴いたように、彼らのMVやらライブ映像やらを、一つ一つ有り難がって見詰めた。
こんなふうに音楽に没頭するのはいつぶりだろう。
「怒り抱いても 優しさが勝つあなた」
そんな歌詞を、その曲を聴いているときも聴いていないときも頭に住まわせているこの頃。
私の仕事は、何があっても、どんなに侮辱され愚弄されても、優しさが勝たないと、本質には近づけない……と、私は思っている。
たぶん本当は間違えていることにも薄々気づきつつ、もう33歳、凝り固まった自分を解すのが怖い。

この職場に来て2年目。
とうとうここでもまた「菩薩のよう」と言われるようになった。
そんなんだから、私の周りには人が来る。
8月はあまりに毎日いろいろな若い人が来て、誰と何を喋ったのかも曖昧になる忙しさだった。
そんな真夏を乗り越えたいま、気が付いたら3年半検診が見え隠れするようになった。

職場で散々自分の病の経験を明け透けに語っているくせに、検診が迫るまで私は病を忘れている。いや、自分が死ぬかもしれない身であることを忘れている。
それでも、私が「菩薩」でいられるのは、病があるからであり、病をきっかけに親友を亡くしたからであり、病を得ても尚親からぞんざいに扱われているからであり、病が1つの原因でもう4年も夫婦生活がないからであり、病の恐怖や煩雑さを抱えながらこの社会で闘っていかなければならないからであって、つまりそんな、全ての私の「酷さ」ゆえなのである。
自分の人生が酷すぎて、外界からどんな酷い仕打ちが来ても驚かない。そうなってからどのくらい経ったんだろう。

かつての私のnoteみたいに、訴えかけたい思いも、それを書く余力ももうない。
祖父の葬儀とか父の病とか、私を嵐のように揺さぶる出来事はたくさんあって、それらを書きたい気持ちも確かにあるのに、元気だけがたぶんない。
だからこうして夜更かしをして愚痴だけを書いている。
ある意味では、珍しく自分のためだけに自分の気持ちを綴っている。
いつもは構想だとか、絶対入れたい話だとか、頭の中でチラリと企みながら書いているけど、今はほんとうに、自分と話すために書いている。

というのも、あんなに生活の全てだったXも、もう私の居場所ではないような気がしているからというのがある。
望んでいない形で2度、いわゆる「万バズ」をしてしまった。一度目は息子の幼稚園の愚痴。二度目は乳児期のアルバムへの愚痴だった。
どちらも、別にそこまでそう主張したい訳じゃないのにな、といった方向に話がどんどん広がっていって、そうすると、自分自身の撒いた種に促されるように、操られるように、なんだか補足や同種の話題を提供しなければならないような気がしてきて、まるで道を歩いてたら偶然インタビューされただけなのに爪痕を残さなければならないと張り切って滑り倒す人みたいになってしまう。
そしてそんな自分が惨めになって、とにかく「いいね」やリポストが止むのを神妙に待つ。
そんなことを繰り返したあと、周りをよく見ると嬉々として自身のポストを万バズさせようとプロモートしているアカウントがあまりに増えたことに気づいて、私がいた世界はこんなだったのかなと、迷子になったような心細さを感じた。
それ以来、Xがますます苦手になった。

そうは言っても、話し相手がいないので、今でも頻繁に漫然と考えていることをポツリポツリと垂れ流してしまう。
けれどそれらの言葉は、私が闘病垢を始めた頃よりずっと精気がなくて、我ながら声変わりにハッとする少年みたいな寂しい驚きがある。
前は、是非言いたい!という意志があったけど、今は誰にも伝わらなくてもいいけど手元にあるのもイヤだから捨てとくか、といったモチベーションで言葉を吐いている。これがこのSNSの本当の使い方なのかもしれないけれど。

こんなに夜中まで起きているなら、ちゃんとしたものを書けばよかったと思う。でも「ちゃんとした」ものを書くと、3時間くらいは急に経ってしまうし、書き終えた後も神経が昂って眠れなくなる。
私は今職場で、時間とか、己の無能さとか、見えない敵とか、闘わなきゃいけない相手が山ほどいるから、そんな過ごし方をするのが怖いのだ。

けど、でも、じゃあ私はいったいいつまた何かを書くんだろうか。
闘いは終わらないものなんだと、日々思い知っては挫けている。その傷が私の何かにつけてオーバーに感じ入る可愛らしい感受性を少しずつ丁寧に殺していく。こうやって私は、うっかり死ぬかもしれない身の上のくせに、何者にもなれないワナビのまま本当にうっかり死んでいくんだろうか。

今の仕事は、息子の次に私の全てだ。
つまり、私自身より私の宝だ。
だから癌になってもこの場所に還ってきた。
でも、母であり、癌患者でもある人間が闘い続けるにはあまりに過酷な場所だった。
無理繰り闘い続けているうちに、幼い頃から握りしめてきた「書くこと」も奪われそうになっている。
物心つく頃から言葉に恋をしてきた。この恋は私を輝かせるためのものだと信じても来た。
でも実際は、私は言葉への愛を使って、一生懸命、命懸けで、何十人何百人の言葉を直したり削ったり組み換えたりしている。
こんなに仕事が好きなのに、これが私のしたかったことなのかと不安になる。
検査で死を意識するからなのか、ただの「中年の危機」というやつなのか。

7月頃、クリーピーナッツの「かつて天才だった俺たちへ」を聴いていたら、バスなのに涙が滲んで滲んで困った。
私も神童だった。
ほんの小さな片田舎の、小指の爪くらいのセカイで、私の文章を好きだと、顔も知らない女の子たちが集まってきてくれた。
それは何かの行事に向かう電車の中だった。
まさに今の私くらいの中年の女性が、私のとは違うセーラー服を着た少女たちに、「ほら、RONIさんだよ!」と声をかけた。少女たちが集まると、「私たち○○中学校なんです。□□中学校のRONIさんですよね?作文読んでます。毎年すごいね。みんなファンなんです」とその女性は笑った。
それが私のピークだったのかもしれない。
それとも、片想いしていたあの子に、「よくあんなもの書けるね」とイヤみ半分に褒められたとき?
いずれにしろ、クリーピーナッツを聴きながらそんな神童だった14歳の私を、我が子のように愛おしく思い返した。
そうして、消えかけたあの日の14歳の私の手を、バスの中の33歳の私は、しっかり握った、つもりでいたのに。
そういう感慨の涙だったはずなのに。
もう一度、ほんとは書きたかったんだ、書かせたいんじゃなくて、書きたかったんだと、あの少女を抱きすくめたはずだったのに。

夏は私を忙殺させた。

そして忙しいまま忙しなく秋が来て、今度は「死ぬのではないか」という漠然とした不安が、私の思考をよりぎこちなくさせた。

こんなことを書いていたら時期に2時である。
目覚めた私の後悔が、もう眠る前から始まっている。
こうやって、何にもなれなかった大人はだらしなく毎日を重ねていくのか。
でも、何にもなれなかったくせに、癌にだけはなった大人は、そんな日々の痛みを必要以上に感じるんだよ。そんなときはどうしたらいいの。

息子が小刻みに揺れながらくっついてくる。
ねぇ、ママね、あなたのママになれて幸せ。
だけど、ママにも本当はなりたいものがあるの。
そんなことを、息子の天を向いた長い睫毛を見て思う。
愚痴っぽい夜が、気だるい朝を迎えに行く。

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