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爆進!ウィッグ道③~一期一会編~

彼女と初めて会ったのは、10月12日。もうすっかり秋は深まっていたのに、彼女の柔らかな亜麻色の髪が、春の西日を思い出させた。
そう、このがんセンターの庭で、あの日一人包まれていた黄金色の、でも眩しすぎない暖かな光。ここは室内なのに、彼女の揺れる綺麗な毛先に、あの日と同じ西日が照り映えている気がした。


私はコミュ障である。
私の愛読書は匿名掲示板のまとめサイトなのだが(そしてこの時点で色々とお察しだと思うのだが)、大学時代のあるとき、いつものようにベンチでパンを齧りながらまとめサイトを読んでいると衝撃的な記述を見つけた。
「本物のコミュ障、初対面の人にはやたら明るく喋れ奴wwww」
ほんもの…。自販機の安くてガサガサの菓子パンを詰め込まれた胃がキューンと痛んだ。確かに私は毎食ボッチ。自販機のパンかモノレール終着駅のマックで昼飯を済ませている。常に一緒に居てくれる決まった友達はいない…。でも彼氏はいるし(伝説レベルのモラハラ野郎だった)、ゼミの仲間とは顔を合わせれば普通に喋るし(授業外で会ったことはない)、欠席しても知らない人から平気でレジュメを借りられるし……だから自分は世に言うコミュ障ではないと思っていた。社交的なボッチ……コミュ力溢れるボッチだと……。でも待って、知らない人からレジュメを借りる私を思い出して。大きな講義室の隅、一人で出席してる大人しそうな女の子の隣を狙って座り、「あの、こんにちは!私前回休んでて、いきなりで申し訳ないんですけどレジュメコピーさせていただけませんか?」と早口で捲し立てる私…さらにコピーの後「ありがとうございました!助かりましたー!何年生ですか?へぇ、同じですねー!」と勝手に盛り上がる私…そしてそうやって話しかけた人の誰とも友達になれなかった私……ほんもの……いや、本物の中の本物…!!
大学生のある日、私はボッチ飯をしながら実は回っていたのは地球の方だったと気付いたレベルの衝撃を受けた。
そう私は、誰とも話をせず内に籠るタイプよりよほど厄介な、よほどみっともない、よほどイタいタイプのコミュ障なのである。

このような人にありがちだと思うが、私はLINEやTwitterではやたら饒舌なのに、いざ会いましょう、生身の人間同士顔を付き合わせてお話ししましょうとなると、途端に全てが恐ろしくなる。そのくせ良いカッコしいなのでどんなに気が進まなくても「わぁ!是非会いましょう!」とウッキウキですよといったテイの返事をしてしまう。
そんな私に突然次のようなDMが来たのは、2021年10月11日…最後から2番目のパクリタキセルの前日だった。

「こんばんは!突然すみません。
RONIさん、明日の診察は何時頃ですか??
私は11時~なのですが…
もし、もしもなのですが、お時間合いそうでしたら、
お互いの体調もあるとは思うのですが、
少しお会いすることはできませんか…?」

スマホを持つ手が俄にしっとりとした。これは…いわゆるオフ会?ちょっと違うか……でもついに来てしまった。闘病仲間同士がSNSを通して実際に会うことになるのは良くある話だった。だから私自身にもいつかそういう日が来るとは思っていた。特に私は通院日には必ず突飛なウィッグで出掛けているし、その様子を必ずTwitterにあげている。「RONIさんの派手髪、実際に見てみたいです~」なんて言われることもしばしばだった。好奇心から会いたいと思われても仕方ない振る舞いをしている自覚はあった。
DMの主は、かぼすちゃん(仮名)という少し年下のサバイバーだった。彼女は多くを語るタイプではなく、プロフィールにも病気については「希少がん」としか書いていなかった。私と同じ乳癌ではないことはわかったが、かといってどこの部位なのかはわからないし、どういう病状……もっと言ってしまえばどのステージなのかも知らなかった。
逆に私は典型的なネット弁慶なのでTwitterでは饒舌で、当時はそこまでフォロワーもいなかったのもあってどんな仕事をしているか、どんな家庭環境で育ったか、そしてどこの病院に行っているかまで、まるでティーンエイジャーの鍵付き日記帳のごとく赤裸々にしたためていた。
かぼすちゃんはそんな私の書き込みを見て、「たぶん同じ病院です」と声をかけてくれたのだった。かぼすちゃんは私と違って日がな一日Twitterに張り付いているわけではないので遣り取りは少なかったが、それでも私が全摘手術のために入院した時は励ましのDMをくれ、入院設備やナースコールは遠慮しなくていいということなど、同じ病院ならではの情報もくれた。つまり健全にSNSを利用する善良な人であった。
そんなかぼすちゃんからの半年振りのDMが、会いたいという申し出だった。
正直、気乗りはしなかった。かぼすちゃんはあまりに健全な光の住人である。一方私は承認欲求オバケのネット弁慶である。たぶん住む世界が違う。仲良くなれるタイプじゃない気がする。しかしそこは自己顕示欲モンスター、どうせなら思い切り奇抜なウィッグをかぼすちゃんに見てほしいという呆れるくらい自分本意な欲望がふつふつと沸き始めていた。
そして21時半過ぎという、DMが届いた時刻が、私の背中を押した。多くは語らない、Twitterになんか囚われていない、良識的なかぼすちゃん。そんな彼女が「明日会いたい」と言い出すにしては、それは明らかに明日が近すぎる時間だった。一抹の影を感じないでもなかった。
私はウッキウキのテイで、来院予定の時間を返信した。

私の中で、ウィッグには序列がある。「奇抜度」の序列である。まず最下層は茶や黒のベーシックカラーのウィッグ。これは息子と出掛けるときや義実家に行くとき……つまりマトモに見せたいときに被っていた。下から2番目は金髪。私の住んでいる町は田舎なのでただのハイトーンでも異端児である。これは息子なしで出掛けるときによく利用した。下から3番目はショートの派手髪。赤や紫、ピンク、ブルーグレーなどの肩に付かない程度のウィッグである。そして私の中で「奇抜度」最上位に位置するのはロングの派手髪であった。背が低く終身名誉産後体型の私はそもそもロングが苦手であった。丸々とした肩にモジャモジャと細い人工毛が掛かる様子はあまり清潔感があるとはいえない。使わないでもなかったが、ロングのウィッグをした日は病院の売店の姿見の前で伏し目がちになってしまう。
前記事に書いたが、私は美しく見せたくて奇抜なウィッグをしているのではなく(それならたぶん凡庸な顔なので凡庸な黒ボブ・茶ボブを選ぶ)、鎧うためにしているのである。誰よりも目立ち、誰にも「癌に怯える本当の私」を見せないために。だから多少似合わなくても目立つかどうかでウィッグを選んでいた。
そんな私でもずっと冒険できなかった領域がある。それは、ロングの、しかも寒色である。チャラ男風芸人の彼のお陰で暖色のショートはそこそこ市民権を得ているが(そんなことないか)青や水色や緑のロングはテレビですらあまり見ない。
抗がん剤は後2回。そして明日はかぼすちゃんに会う。冒険するならいつするか?今でしょ。

「えっ。それで行くの?」
「そう」
次の日、私の派手髪もいい加減見飽きてきた母が久しぶりに目を丸くした。私がかぼすちゃんに会うために選んだのは、ロングのウェーブの、ピーコックグリーンのウィッグだった。鮮やかな明るい青と緑の中間のような色である。
私はもう10年くらいコスメヲタをやってるので盛りに盛って塗りに塗ってピーコックグリーンを似合わせることに成功していた。しかし似合っているからといってトンチキに見えないわけではない。私は初めて自分の身なりに緊張感を持った。

病院に着くと、いつになく人の視線が気になった。別にその日に限ってたくさんの人に注目されていたわけではないだろう。この居たたまれなさは私自身が今日のウィッグを「やりすぎ」と感じている証拠だ。
いつものようにATMのような機械で受付をする。ペロリと吐き出された紙を見て、私は目を剥いた。そこにはいつもは印字されてないワードがあった。
「リハビリ」
やらかした……。忘れていた。この日は術後半年のリハビリの日だったのである。ふくよかな肩から溢れるピーコックグリーンの毛先を見つめた。心臓がせわしなくなる。
半年前、入院中にリハビリしていたとき、私はまだ地毛があり黒髪のワンレンボブだった。担当の理学療法士は10個ほど年上の、明るく美しい女性で、こんな歳で乳癌になった私のような患者に同情することもなく、いつもママ友会のような陽気なテンションで迎えてくれた。私はその雰囲気にすっかり心を許し、仕事のこと、子育てのこと、家族のことなど飾らず何でも話した。彼女のお子さんの話について「教師」としてもっともらしいアドバイスさえした。そう、つまりこの理学療法士は本当の私……お堅い仕事に就いている地味な新米母である私を知っているのだ。そんな私が、急にこんな東京ビッグサイト帰りのようなナリで現れたら……??
私はリハビリのことを忘れ去っていた自分を呪った。

リハビリを思い出した動揺を抱えつつかぼすちゃんに到着を知らせようとしたら、先にかぼすちゃんからDMが来ていた。
「こんにちは
薬待ちしてるんですけど、見つけちゃったかもです(笑)
めっちゃかっこいい!!」
Oh……まぁそうだよね、目立つよね。完全にやりすぎた自分を恥じつつも、「めっちゃかっこいい!!」という言葉に少し慰められた。もちろん善良なかぼすちゃんなので、たとえドン引きしていてもこう言ってくれるだろうことはわかっていたが、その言葉にすがりたかった。

先に抗がん剤を受けるための血液検査、身体測定を済ませ、かぼすちゃんが待つお薬コーナーに向かった。
辺りを見回す。向こうから私を見つけるのは簡単だろうが、こちらはかぼすちゃんの姿を全く知らない。車椅子に乗っているということだった。車椅子の、若い女性は……?
ほどなくして、車椅子に乗った眼鏡の女性がヒラリと手を挙げた。私もぎこちなく手を振り返し(たぶん皇族気取りの上品ぶった手の振り方になっていただろう。コミュ障あるあるである)、彼女のもとに駆け寄った。
「こんにちは!RONIさんですよね!」
「はい!かぼすさんですよね?こんにちは!」
車椅子と聞いていたが、両脇の車輪がまったく気にならないくらい、かぼすちゃんはスマートだった。柔らかい白のストンとしたシャツと黒い細身のズボン。肩までの髪は暖かい亜麻色で、鎖骨に向かってスーッとまっすぐ降りていた。飾り気の無いシルバーフレームの眼鏡の奥では、小振りだけど美しい形の瞳が笑っていた。
ひだまりを、思い出した。
4月半ばの昼下がり、脇腹から出たドレーンの管を気遣いながら歩いた中庭。そこで浴びた、春の日の西日。眩しくはない、でも黄金色の、すべての草花をキラキラ輝かせていたあの光。
季節は秋の終わりなのに、かぼすちゃんに出会った瞬間、私は半年前のその日差しを思い出した。その時の、切ないような、神々しいような、でもホッとするような気持ちを思い出した。
初対面の人からこんなにも暖かさを感じたことはなかった。
私は彼女と気が合うだろう。彼女と穏やかな関係を気付けるだろう。彼女の言葉や仕草で私が不快になることは未来永劫無いだろう。
挨拶を交わしただけで私は瞬時にそこまで悟った。いま思えば、これは私が初めて経験した女性への一目惚れだったのかもしれない。
「うわー!!キレイな色ですね!!すごい!」
「いや、なんかやりすぎだったかも…あはは」
かぼすちゃんに好印象を抱いたからといって私のコミュ障が治るわけではない。褒められているのに否定から入る、よりによって「いや、」から始める…私は年下のかぼすちゃんに恥ずかしいくらいのコミュ障のお手本のような返しをしながら車椅子の隣にあったイスを引き寄せて座った。
「今日はお一人なんですか?」
かぼすちゃんは私のコミュ障っぷりに引いてる素振りも見せずにこやかに自然に会話を続けた。
「あ、はい、母に送ってもらって、抗がん剤は一人です。かぼすさんは?」
「母と来てます。たぶんその辺にいます。あ、あそこに」
見るとかぼすちゃんのお母さんらしき女性が遠くのイスとイスの間を往復しつつこちらを伺っているのが見えた。完全に雛に危険が迫っていることを察知している親鳥の姿であった。そうだよね、娘さんがこんなヤバそうな髪色した人と一緒にいたらたとえそれが女でも警戒するよね。
「今日、お母さんに『会いたい人がいるんだー』って言ったら、『もしかしてあの青い髪の人?!』ってすぐわかりましたよ」
ほらほらほらほら。瞬時にマークされてるじゃん!!屈託の無い笑みで話すかぼすちゃんに私はヘラヘラと愛想笑いを返した。でも一方で、「会いたい人」という言葉だけは、私の緊張する胸の中にもストンと落ちてきた。「会いたい人」…その言葉自体が持つ、ついはにかんでしまう暖かさ、「会いたい人」と思ってもらえる嬉しさ、そして何より、こんな私がなぜ彼女の「会いたい人」なのかという疑問。好奇心だと思っていた。しかし彼女と肩を並べて数分、彼女の表情や態度から、好奇心だけではないのかもと思い始めていた。

看護師、薬剤師、掃除の人、車椅子の患者、点滴を引いた患者……色々な人が行き交う中、時にそれらの人々からの好奇の一瞥を感じながら、私とかぼすちゃんの会話はだんだんと弾んでいった。
かぼすちゃんは本当に善良な人で、当時私に絡んできていた厄介なアカウントに本気で憤慨していた。
「気を付けてくださいね!嫌だったらブロックしちゃってくださいね!なんでこんなことRONIさんが言われなきゃならないの?って私勝手にイライラしてるんです」
かぼすちゃんはどうやら私のことをヤバいウィッグをしている奇特な人間としてではなく、同年代の闘病仲間として本気で大事に思ってくれているようだった。自分でバカみたいな格好をしておきながら、どうせ私のこと変な人と思ってるんでしょ?なんて少しでも疑っていた自分を恥じた。
厄介なアカウントをネタにしながらお互いに緊張もほぐれ、話はそれぞれの病気のことに及んだ。私は乳癌であること、そのサブタイプ、ステージ、治療の全てをTwitterに書いている。一方でかぼすちゃんは「希少がん」ゆえに特定を恐れて詳しい病状や部位については明言を避けているということだった。
かぼすちゃんは労るように私を覗き込んで問うた。
「今の治療は抗がん剤ですか?副作用大変ですか?」
「抗がん剤ですけど、割りと副作用は軽めのヤツなんですよ。だから元気です!かぼすさんも抗がん剤ですか?」
聞かれたことに答え、あなたは?と返す。会話の自然な流れだった。しかし私はかぼすちゃんの言葉に、定型通りの会話を進めた自分の浅慮を悔いた。
「私は実は昨日、今までやってた治療が効果がないのがわかっちゃって。それで今日は、今後どうするか先生と話しに来たんです」
「そう……ですか……」
サーッと、これまでの高揚が引いていった。なんか言え。残念でしたね?頑張ってください?いや違う。でも、でも……
二の句が継げない私に気付いているのかいないのか、かぼすちゃんは変わらぬ穏やかな口調で続けた。
「希少がんなんで、これをやったら効く!って明確な治療法がないんですよ。だからいろいろ試して効くやつを探していくしかなくて」
「そうなんですね……」
「希少がん」という言葉は、かぼすちゃんのTwitter以外でも良く目にしていた。「希少」という言葉から、珍しい癌なんだろうと思っていた。そして愚かにも、珍しいだけの話だと思っていたのだ。
手術…ddEC…ウィークリーパクリタキセル…ホルモン療法…。私は、自分に轢かれたレールに想いを馳せた。乳癌になった衝撃、恐れ、不安の中で、「でも何としてでも生き延びねば。やれることは全部やる」と思えたのは治療方針というレールがあったから。そして、同じレールを歩く人が他にもたくさんいたからだ。でも、「やれること」がないとしたら…?歩くレールが轢かれていないとしたら…?そんな荒野を、たった一人で歩くとしたら…?
私とかぼすちゃんの間には、日溜まりのような暖かな空気が流れている。私たちが気が合うのはよくわかった。でも、私たちの置かれている状況には、私が想像しているよりもずっとずっと大きな違いがある。そして私はそんなこと何もわからずに、何も考えずに、私も癌患者だから共感し合えるという驕りのもと、残酷な問いを発してしまったのだ。こんな無知な私でも、治療が効かなくなるということが何を意味するかはわかる。わかってしまうからこそ、私は何も言えなくなった。「ごめんなさい」を言うべきなのか?でもここで謝ったら、かぼすちゃんの置かれた状況の厳しさを肯定することになってしまいそうで、私はただただ、かぼすちゃんの次の言葉を待った。
そしてその言葉は、意外なものだった。
「なので落ち込んでて。だからRONIさんにお会いしたかったんです」
「え?」
「いつもキレイなウィッグでお洒落されてるの見て元気をもらってたんで、会えたらもっと元気をもらえるだろうなって!だからほんとに今日はありがとうございました!」
「ごめんなさい」を言おうとしていた相手に、先に「ありがとう」を言われてしまった。
「こちらこそ、会えて嬉しかったです!」
そう答えた語尾が震えないように、私は笑い声を含ませながら明るく返した。
私なんかが、彼女の元気になれるのか。治療法が確立した病のくせに、日々まだ起きてもいないことを恐れ、その不安を隠すためにわざわざ奇抜な装いをして虚勢を張る私が?だけどかぼすちゃんの言葉が本心からであることもわかった。もし、この下らないトンチキな鎧が、こうして誰かを励ましているなら…私は今日まで歌舞いてきて、本当によかった。
その後は彼女の職場や弟さんの話で盛り上がり、あっという間に私の診察の時間が来た。また会いましょうと互いに言い合いながら席を立つと、かぼすちゃんが一言添えた。
「RONIさん、ロングめっちゃ似合ってますよ!私、ロングの方が好きですよ!」

診察室に入ると、いつも以上に奇抜な頭に主治医が早くも含み笑いをした。
「それ何色?!今日はずいぶんすごいね。緑と青の中間かなぁ……」
「ピーコックグリーンです」
「ピーコックグリーン……」
主治医は復唱すると電子カルテの副作用等をメモする欄に「ピーコックグリーン」と打ち込んだ。どうやら私のウィッグの色は主治医の中では副作用の一つとして処理されているらしい。
「孔雀の色なんです」
私は言い添えた。
「あー、ピーコックか、なるほどね」
主治医は納得がいったのか満足そうにクツクツと笑った。
「今日は実はここの病院の。別の癌の患者さんと会う約束をしてて。だから気合い入れてきました」
「そうなんですね」
そう言って微笑む主治医の目には、私とかぼすちゃんとの出会いを祝福するような優しさが滲んでいた。

かぼすちゃんに褒められたとはいえ、やはりリハビリに行くのは気が重かった。
半年前は真面目で神経質そうな教師として振る舞っていた患者が、久々に会ったらファッションモンスター(文字通り怪物)になっているのである。変わってしまってごめんなさい…数年振りに帰郷する放蕩息子のような申し訳なさで私はリハビリルームに向かった。
「お久しぶりですー!わー!誰かわかんなかったよー!!」
変わり果てた私を理学療法士は変わらないテンションで迎えた。
「そうですよね、あはは」
私はピーコックグリーンの毛先を神経質に撫で付けた。気まずくなったら髪を触る……これもコミュ障あるあるである。
半年前と同じように腕を上げ、伸ばす。腕回りを計る。私の亡き右乳周辺は、もうどんな格好をしても痛まなかった。私の腕の可動域を確認しながら、理学療法士は好奇の目で尋ねた。
「ね、もともとそういう珍しい髪色が好きだったの?!なんか心境の変化?!」
そりゃ聞かれるよね。私は素直に答えた。
「最初生年月日を言ったりすると、お年寄りの患者さんにめちゃめちゃ見られたんですよ。若いから目立つみたいで……。で、若くて可哀想って思われるくらいなら、変なやつだなって思われた方がマシだなって思って。どうせ目立つならとことん目立とうってなりました」
タラタラとヘラヘラ答える私を見る理学療法士の目が、スッと変わった。好奇の笑みが消え、まっすぐ真摯な視線が私を射ぬいた。
「それは…本当に、前向きだね。私には無い発想だった。本当に、学ぶことがあります。ありがとう」
そう言う彼女の声は、少し震えているようだった。私は瞳が湿ったのを悟られないよう、「いえいえ」と笑って下を向いた。
「前向き」…以前、看護師に言われたときは、偽りの自分を褒められたようで居たたまれなかった。でもこのときは違った。「そうか、私もやっと、ここまで来れたんだな。遠くまで来たな」…そんな自分を労う気持ちが自然と沸いてきた。それは私のこの鎧が、私を守るだけじゃなく誰かを励ますことができる鎧だと知ったから。かぼすちゃんが、それを教えてくれたから。
かぼすちゃんは私に「元気をもらった」と言ったけど、励まされていたのは私の方。虚勢ではなく、健全な自尊心が戻りつつあるのを感じた。


かぼすちゃんとはその後、12月に再会した。
もう車椅子ではなかったが、変わりにパジャマ姿になっていた。入院中だったのである。
私はかぼすちゃんに「ロングの方が好き」と言われたので、この日はピンクのウェーブのロングヘアだった。
「わー!その色も似合いますね!!かわいい!」
「ほんとに?良かったです!ありがとうございま
す!」
「あの、歳変わんないんでもう敬語やめません?」
友達が極端に少ないコミュ障にとって、敬語をやめるというのは大きな一歩である。記念碑的瞬間である。かぼすちゃんとの距離が縮まり私は浮かれた。お互いの本名も教えあった。かぼすちゃんの名前は、優しくて穏やかな彼女にぴったりな、淑やかな美しい響きの名前だった。
「あのね、入院中暇潰しになればと思ってコレ持ってきたの」
私は鞄からTSUTAYAの袋を出した。それは来る途中で慌てて買ったスクラッチのキットであった。真っ黒いポストカードを専用の細い棒で削ると虹色のキラキラした面が現れるやつである。かぼすちゃんの好みがわからないから、ディズニーのものと、花柄のものと2つ買った。
「えーもらっていいの?!こんなにありがとう!2つあるから片方◯◯ちゃん(私の本名)やる?!あ、でもお子さんがいるから時間無いか!」
「ていうかたぶん食べちゃう」
「あはは。じゃあ削ったら◯◯ちゃんに送るね!」
大したものではないし、今思えばスクラッチなんかゴミクズがやたら出そうではあるが、かぼすちゃんは本当に喜んでくれた。買ってきてよかった。私は早くもポストカードが完成したら住所を送らなきゃな…お返事も書かなきゃな……と妄想した。仲良くなり始めると一気にアレコレ妄想して浮かれるのもコミュ障あるあるである。

しかし、ポストカードがかぼすちゃんから届くことはなかった。
私が住所を聞かれることも、なかった。

年が明けて2週間程たったある日、かぼすちゃんはTwitterに
「終末期医療に切り替えることになりました」
との報告をした。
これがかぼすちゃんの最後の投稿だった。
私は無い頭を必死で搾って、いかにかぼすちゃんの病が憎いか、いかに何もできない自分が歯がゆいか、いかにかぼすちゃんの穏やかな暮らしを祈っているかなどクドクドとDMに書き連ねた。これまでの投稿から、だいぶ痛みが酷くなっていたのは知っていた。意識が途切れ途切れになってきていることも。だから忘れずに、「無理に返信しなくて良いからね!」と添えた。
そして実際、返信はなかった。

かぼすちゃんがその後どうなったのかはわからない。お互いの本名を知りながら、最後までLINEは交換しなかった私たちだった。タメ口で笑い合ってもお互いに、近くなりすぎないよう線を引いていた気がする。いつか来る「その日」が、辛くなりすぎないように。
かぼすちゃんのTwitterは終末期医療に入ったところで終わっている。「きっとTwitterに飽きたんだな」と思い込むには、私はこの病についてもう多くを知りすぎてしまった。


私はコミュ障である。
友達が少ない分、Twitterでは饒舌である。
そんな自分を恥じていると、DMでかぼすちゃんに吐露したことがある。私もかぼすちゃんのように、多くを語らない慎ましさ、全てを語らない賢さがほしい、と。
そんな私にかぼすちゃんがかけた言葉は次のようなものだった。

「自分の中のもやもやした気持ちを、うまく文章にできなくて、もっともやもやが溜まるんです。
でも、たまにRONIさんのツイートでああ!これ!これが言いたかった!!って時があるんです。
同じつらさや気持ちを感じている人がいるんだ、わたしだけじゃなかった、って何度も思わせてもらって、すごくすごく救われていました。
だから、会えたときはほんとに嬉しかったんです。」

救われているのは、私の方。今までも、そしてこれからも。
かぼすちゃんのことを思い出すと、私は何度でもあの日溜まりの中に行ける。


4ヶ月超に渡る、派手髪ウィッグで武装した通院という名の戦は、最後に私をかぼすちゃんと出会わせてくれた。
癌で得たものなんか何もない。キャンサーギフトという言葉には虫酸が走る。
それでも、かぼすちゃんがくれた日溜まりは、生涯私を暖かく包んでくれる。そう確信している。

そして鎧を脱いだ私は、ベーシックカラーのウィッグを手に「日常」に溶け込んでいく……












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