「多重プロセス理論」について(感想)
高野は言う:
当初、これを読んで驚愕し、反感を―いや怒りをだったかもしれない―覚えた。鏡映反転は、物理で原理がわかっており、それを3つの異なる現象だというのだから。
しかし、なんとなく、味わい深いと思えてきた。自分の身体の鏡像に自分の心的イメージを重ねることや、たとえ2次的だとしても表象との比較もあることに納得したからである。
そうして、高野陽太郎『鏡映反転』を手に取ってみた。
子供のころの記憶としてこう記されている。
そうか、おそらく、高野は何か図形を空間回転したり、座標変換したりするのがとても苦手のかもしれない。だから、物理に基づく説明を聞かれても納得できなかったのだろうと思えてきた。3つの異なる現象とされたり、自分の視点の左右と鏡の中の人物の左右の区別もつけずにアンケートされたのはそういう事情で、そしてそれは実験心理学者としての良心やあくまで自分で納得するまで考えようとする研究者としての姿勢だったのかもしれないとも。
そうして、多重プロセス理論は、このように位置付けられそうだと気づいた。
・[抽象]物理による原理
見方次第・状況次第、あるいは左右劣後の論理による説明。
・[具体]鏡像と実像と照らし合わせる際の具体的な状況や
対象となる物の見慣れた向きなどから上下が決まることを説明。
・[心的]多重プロセス理論
鏡像と実像を照らし合わせる際、
実際に作動している心的プロセスによる説明。
例:「光学反転」「表象反転」「視点反転」…
多重プロセス理論は、網羅的かどうかはわからない。(違う気がする。)
それから、物理をベースにした統一的視点を欠くことも事実だ。
心理学としての事実、心的プロセスを明らかにしようという立場で、それには相応の敬意を払いたいと思った。