発達障害って本当は・・・・
ADHD・自閉症スペクトラム。
社会で生きづらさを感じ、インターネットに助けを求めたことのある人は大体目にするこの言葉。
私もうつ病を経験する中で、
これまでの人生のこと、
自分の生き方のこと、
たくさん考えました。
どのコミュニティでも人と馴染むのにかなりの時間を要すること。
事務的な作業でつまずき、人に迷惑を掛けてしまうこと。
人に失礼なことを言って怒らせてしまうこと。
新しいコミュニティでは大体つまずき、変人扱い・ドジ扱いは当たり前。
うつ病を発症するまでに追い込まれてしまった私に指し示されたのは
「自閉症スペクトラム」という新たな可能性でした。
しかし、わたしは調べを進めるうちに「発達障害」という呼び名そのものに対して疑問を感じてしまったのです。
障害ってなんだろう。
障害の基準ってなんだろう。
今回は私の経験を通して「発達障害」について考えてみた話をします。
※以下に綴ることはあくまで個人の一意見であり、
素人のちょっとしたひとりごとです。
ー
私は複数の物事を同時に処理することが苦手です。
大学で発行される複数のアカウントを管理したり
勉強と趣味を同時並行しながら生活したり
みんなが普通にやっていることがいつも出来ず、
「自分はなんてマヌケなんだ!」といつも思っていました。
( あ、ちなみにこのnoteで「目次」を作る方法もわかりません。どなたか教えてください。泣 )
一番記憶に新しいのは、大学の履修登録の方法を私一人最後まで理解できず、友人に丁寧に教えてもらったことでした。
私以外の友人たちは既にPCでの履修登録を済ませており、
私一人だけ理解が追いつかずみんなに笑われながらやっと履修登録を済ませることができたのを覚えています。
「本当にありがとう!いや~機械って昔から苦手だな~!」
笑いながら言いましたが
家に帰って、ひとり恥ずかしさを思い出して泣きました。
みんなはいつやり方を覚えたんだろう。
何でいつも私だけ出来ないんだろう。
何とかしようと調べてみると「大人の発達障害」の文字。
いくつかの項目は当てはまっているような気もしました。
「私は発達障害なんだろうか・・・」
ふと、おばあちゃんに会いたくなりました。
私の祖母は農家を営んでおり、明るくいつもケラケラ笑っています。
おばあちゃんの作るお米が大好きでした。
「私もおばあちゃんのように農業をやっていたら
こんなに悩まなかったのかな。
おばあちゃんのように、日の出と日の入りとともにゆったり生活したいなあ・・・」
そこで、ハッとしました。
二世代前まで、自然の中で農業を営んでいたわれわれ人類。
日の出とともに起き、活字によって情報を得ていた人類。
その人類がたった数十年で
「誰でもパソコンを使えて当たり前の社会」になり
「複数の情報を同時に処理することが当たり前の社会」を作り出した。
社会のスピードが、もしかしたら昔と大分違うのかも知れない。
社会の進化のスピードに
人類の進化のスピードが実は追いついていなくて
たくさんのことが「出来るようになった社会」のなかでいくつか「出来ないこと」が生じるのは仕方のないことなのかもしれない!
私は一人、そうやって自分を励ましました。
今考えてもなかなか面白い考え方だなと思います。
私は農業をおばあちゃんを通してしか知りませんし
農業には農業の苦労がたくさんあって
私はきっと農業をやってもドジをするでしょう。
しかし、社会の進化のスピードという観点から考えると
社会の進化にたまたま馴染めない特性を持っていた人を「発達障害」としてカテゴライズされているという一面も、あるのかもしれません。
もしかしたら宇宙旅行が当たり前の世界になって
無重力状態が苦手な人が出てきたらその人たちも名前のついた障害になるのかも知れません。
私は、「PCを使った当たり前のことが私だけ出来ない」
「複数の情報を新たにいれると混乱する」
といったように多くの情報に取り巻かれた社会では「発達障害の傾向アリ」なのかもしれません。
しかし、それは社会の進化と共に生まれた曖昧なカテゴライズのひとつであり、そんな自分を「だめなやつだ」と思う必要はないのです。
発達障害の傾向あり
が嫌だと感じていたのは、実は他でもない私自身で
発達障害という言葉だけに引っ張られて
出来ないことばかりに目がいっていたのも他でもない私自身でした。
発達障害って実はその人自身の問題ではなくて
その人を取り巻く環境そのものがその人にとって「障害」かどうか
私が社会にとっての障害なのではなく
社会(私を取り巻く環境)が私にとっては障害なのだ!
色々と誤解を生む考えかも知れませんし、共感できない人もいると思います。
しかし、今の私が出した答えはこれです。
この考え方に変えてから、ほんの少し生きるのが楽になりました。
自分の特性と環境を理解し、寄り添って生きることが何より大切なのだということ。
自分の「できないこと」ばかりに気を取られ、血眼になって自分をカテゴライズしないこと。
以上が、私が発達障害について考えたことです。
社会との違いに悩む人
情報社会についていけず苦しい人
少しくらい、自分本位になっても良い
なんなら全て、環境のせいにしたっていいのです。
私はそう考えます。
以上です。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。