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「不思議ちゃん」と呼ばれ過ぎてうつになった話


「不思議ちゃん」という言葉は、とても便利な言葉です。



「自分の世界を持っている個性的な人」と取ることも出来ます。


しかし、裏を返せば

「独特すぎてちょっと周りから浮いている人」、「変人」と取ることも出来ます。

オブラートに包んだ悪口としても使える言葉です。


しかし「~ちゃん」という響きが可愛らしいので端から見ると悪口に聞こえることはありません。



私は鬱を発症するきっかけとなった職場で、毎日のように「不思議ちゃん」と呼ばれ続けていました。


恐らく、プラスの意味も、マイナスの意味も込めてそのように呼ばれていたのだと思います。


これは、私が「不思議ちゃん」と呼ばれ続けたことで心に少しずつ変化が起こっていった話です。

身近に「不思議ちゃん」がいる人、いやいや私こそが「不思議ちゃん」だという人、すべての不思議ちゃん関係者に幸あれ!と思いながら書いていこうと思います。



いつからそう呼ばれ始めたのか、これといったきっかけはなく、気付いたらそう呼ばれていました。

最初は、ほんの少し嬉しかったのを覚えています。


 「それがROMIのいいところじゃん!!」


同僚はよくそう付け加えるのでした。



ほう、私は「個性的」らしい。


何故そう呼ばれるのかはわからないけれど、私だけについたそのあだ名は「特別感」があって、悪くない響きのように思えました。

何の取り柄もない私が、ありのままを認めてもらえたような気持ちになったのです。



春、新しい職場に新人として入った私は密かに大きな目標を持っていました。


――夢だった仕事場で、今日から頑張れる。

  ここで絶対に成功したい!



学生の頃から飲み会などの集まりがあまり得意でなかったこともあり、私は同僚との飲み会は必要以上には参加せず、粛々と勉強を続けていました。


(同僚はみんなハキハキとしていて優しくて、いい職場に巡り会えたな、これなら頑張れそう。)



梅雨にさしかかった頃、同僚の女子の一人にこう言われました。


「ROMIはさ~、つかみ所がないよね。何考えてるか

分からない。」


また言われた。「変わってる」という類いの言葉。

行動が変わっているのか、それとも人より少し高いの声のせいなのか?

ともかく私は昔からそういう突っ込みを受けやすい人間でした。

まあ、慣れっこです。


「そうかな?」

私が答えると一緒にいた女子たちはクスクス笑いました。


「そういうとこよな~笑」


・・ん、どういうところ!?



聞いてみても「ふふふ、まあわかんなくていいよ~。」という返答しか返って来なかったので少し面倒になってしまった私。

勉強を理由にその場から離れることにしました。

感じが悪くならないように「なんじゃそりゃー笑」と言っておくことにしました。




「いや全然悪い意味じゃないんだよ!」


去り際に、そう言われました。


(そうなんだろうな。あの人たちに悪意はない。)


彼女たちはいじめをするような人にはとても見えませんでした。

ただ、私のことを「どう扱ったら良いのかな」と模索しているようでした。


まずいな、勉強に熱を入れすぎて付き合いをおろそかにしたせいで気を遣わせているのかもしれない、当時の私はそう考えたのです。







そしてこの頃から、私は男女問わず同僚との間に壁を感じるようになっていました。


みんなは喋ってくれる。でもお昼休みに誰とお弁当を食べようか悩む。

女子なら分かるであろう、この微妙な私のポジション。



何故なのかははっきりとはわかりません。

ただ、今考えると「あの子は変わった子」「不思議ちゃん」という噂だけが伝播して、ほとんどしゃべったことのないような人まで私のことをそのような色眼鏡で見るようになったことが原因だったのだと思います。



――本当は、誰かとお弁当食べたいし、1人が好きなわけでもないのに。



それもあってか、私は同僚たちのおしゃべりにうまく混ざることが出来なくなっていました。

誰がしゃべり終わったら私が入っていけば良いのか、タイミングがわかりませんでした。

寂しさをかき消すように私はさらに一人勉強に没頭しました。




次第にこんなことも増えていきます。


仕事について真面目な話をしようとしても、「いやいや!」と毎回ツッコミをいれられる


あまり話したことがない人に「そういうふわふわ~ってしてるのぶりっこだろ。」といわれる


これを、毎日、毎日、いろんな人から。


暴言を吐かれたわけでもないし

あからさまに無視されたわけでもない

たいしたことはないように思えます。


ですが、「変わってるね」と言われるたびに

あなたは私たちとは違うから。」

と壁を作られているようで、私の中で少しずつ、少しずつ、ストレスとして積み重なっていきました。



職場の同僚たちに悪気はありません。

「そこがいいところじゃん!!」

本気でそう言ってくれる人もいました。

( 実際に私も「個性的だね」と言われることで嬉しかったこともたくさんあり、「不思議ちゃん」の恩恵をそれなりに受けてはいたのです。)




しかし 職場のみんなの間に

「あの子は変わり者だからいじってもいい」

「ふわふわしてるから何を言っても許される」

という暗黙の波が広がっていくようで、私にとっては辛くて仕方ない日があったのも事実でした。




「わたしどこがそんなに変わってるのかな?」

ふと聞いてみたことがありました。返ってくる答えは決まってこう。



「んー、口で言うのは難しい。

でもそこがROMIのいいところだよ!」

「そこがなくなっちゃったらもうROMIじゃなくなっちゃうよ!!」



――私じゃなくなっちゃうんかい


わたしが「不思議」であることはわたしのアイデンティティそのものといっても過言ではないと彼らは思っていたようです。ふん。



――まあ、みんながそう言うならそうなのかな~・・

ん、あんまり気にしないようにしよう!


割り切ることにしました。



しつこくいじられたときにどのように「NO!」を言えば良いか

真面目な話をしたいときはどうしたらいいのか

みんなが話しているところにどう入っていけば良いのか


ぜんぶ、当時の私には分からないことでした。



塵も積もれば山となる。


それは、「努力」に限られた話ではありません。

ちょっとした「苦しみ」「我慢」も積もらせれば大きな大きな山となり

目の前に立ちはだかるのです。





――なにが「変わり者」だ。なにが「不思議ちゃん」だ。

こんな私、大嫌い。

もっと普通にみんなと話したい。

でも、普通ってなんだろう・・・。





やがて、この小さな小さな積み重ねが後に大きなストレス要因のひとつとなってその年の冬にはうつ病を発症してしまいます。


「不思議ちゃん扱い」されたこと以外にも

社会に馴染むのがとことん下手だったこと

追い込みすぎて仕事で失敗したこと

さまざまな要因がありました。



変わり者のくせに頑固で、

不器用なくせに完璧主義で、

誰もが認める「不思議ちゃん(20代女性)笑」だった私。




不思議ちゃんに限らず、コミュニティのなかで何となく貼られるレッテルのような、キャラ付けのようなもの、皆さんも経験ありませんか。



キャラクターや個性はその人の武器になりますが、時には

いじるのはここまでだよ!

という線をしっかり引くのも心の健康にとっては大事なことなんじゃないかな、と今は思うのです。


長くなってしまいましたが、「不思議ちゃん」からうつ病を発症してしまった私の話はおしまいです。


でも、最終的には言葉はすべて、受け止め方次第。


「そこがROMIのいいところだよ!」

そういってくれた人たちの言葉を信じてみよう。

自分のままを許してあげよう。


今は「不思議ちゃん」の私のことも、少しずつ、好きになっています。




























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