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「推し活」に冷めた視線を送りながらも実は憧れていた私の「推し」の話
こんにちは。
昔から「ハマる」という体験が少ない。記憶の限りあまりない。
キャラクター、アイドル、ブランド…
“流行り”と呼ばれるものに惹かれない。
もしかしたら嫌いではないけど流行りに乗りたくない心理かもしれない。
韓国ドラマも観ないし、歌も誰というよりは「曲」で聴くし、キャラクターで物を買うこともなければ、ブランドで服や小物を選ぶことはない。(文房具は除く)
「推し活」という言葉が生まれる前は、“追っかけ”的な人たちをどこか冷めた目で見てきた。
でもだんだんと、推し活で日常に歓びと幸せを充満させている人たちを見て憧れることが増えた。
推しがいるっていいよ、って言われるたびにそれができない自分に凹んだりもしていた。
そんな私が最近気づいた「偏愛」。
それはドラマの台詞への偏愛だ。
◯◯というドラマの◯話の◯◯役の◯◯があのシーンで言ったあの台詞が好き
というやつ。
そのためにその話のそのシーンだけを見返したり、その台詞につながるための必要なシーンを何時間もかけて見返したりする。
その台詞を全身に沁み込ませてチャージする感覚。
例えば、で書いてみよう。
『カルテット』第8話。
スズメ役の満島ひかりちゃんが言う。
「好きだってことを忘れるくらいの好き」
これ、わかる人は絶対気が合うと思ってる。
この台詞が語られる背景からぜひ味わってほしい。
もっと言うと、この後の、
「変かな?」
「まぶしいね」
までセットで最高。
下のエスカレーターに乗る時や、白い服でミートソースを食べる時、思い出す。
幸せな幸せな瞬間の気持ちを噛み締める。
私が惹かれるのはいつもこういう当たり前にある感情を「それだーーーー!!!」ってくらいぴったりの言葉で見せてくれる台詞だ。
自分が思ってることをドンピシャな言葉で伝えるのが苦手だからかもしれない。
私にも「推し」があるとわかって誇らしかった。
きっと、だれにでもあるんだよ。
日常に幸せを充満させてくれるもの。
それはあたりまえに近くにありすぎるから気づいてないだけ。