私の世界
Everything is a matter of perspective.
これはここ数年の私のお気に入りの言葉かもしれない。お気に入り、という言い方では少し軽すぎる気がする。どちらかというと、この世の中の真理を簡潔に表すフレーズがこれだと気づいた、という方が正しい。
全ての物事は見方によって意味や感じ方が変わってくる。不幸な出来事だと思っていたことが、視点を変えたら良い出来事に変わったりする。同じことでも人や立場によって受け取り方が変わる。ネガティブな人間は悪い面ばっかり見てしまうし、逆にポジティブな人間は良い面にフォーカスできるのだと思う。
対立が起こるのは両サイドのperspectiveが異なるからだろう。自分の立場から見える景色にこだわって、相手の見方を全く理解する努力をしなければ対立は深まるばかりだ。戦争なんかが起こるのもつきつめればこれが原因な気がする。理解し合えないまま対立が究極まで悪化し、物理的な衝突に発展してしまうと戦争になる。少し想像力を働かせて相手の立場から見える世界に思いを馳せることができれば、最悪の事態は回避できるはずなのに、といつも思う。
もっとこの考え方を広げると、そもそも私たちが生きているこの世界自体、その人独自の視点で構築されたもの、と言える気がしている。私が見ているこの風景、感じている色彩、音や匂い、これは私にしかわからない。他の人が見ている世界と、私が見ている世界はおそらく全くの別物だ。私の身体や感覚器官というフィルターを通して解釈した世界、それが私の生きている世界であり、これはそれぞれの人間独自のものだ。そう考えると、世の中には無数の少しずつ違う世界が存在することになる。でも普段はその違いを意識することなく共存しているわけだ。むしろ同じ世界に生きているという幻想を抱いた無数の人間が社会生活を共にしている、と言った方が正しいのかもしれない。
この世の中に存在する無数の世界、というアイディアは個人的にはすごくロマンチックで気に入っている。他の人と会話をしたりして交流するのは異なる世界が重なり合ってお互いに影響を与え合うイメージだ。そうやって少しずつ他の世界と交わって自分の世界も豊かになっていく。でも、もし今見えている世界が自分だけのものだとすると、この「世界」ってそもそも何なんだろう、と時々わからなくなる。もしかしたら全ては自分の脳が作り上げた幻にすぎないのかもしれない。