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圧倒的勝者になれる不動産業

初めまして。今回初めて記事を書いていきます。
今後記事を書くにあたり、私の簡単なキャリアからご紹介します。

◇これまでの経緯(不動産業へ行きつくまで)

高校は地元の所謂「すべり止め」といわれる学力の低い私立高校へ進学。
スポーツに打ち込み、なんとなくで大学へ進学。(低学歴)
在学中は、アルバイトや麻雀、パチンコなどをして過ごし、どこにでもいる底辺の学生として生活していました。

その最中、ネットゲームにハマり、毎日毎晩ネットゲーム漬けの毎日。
おかげでパソコンには詳しくなり、その流れで、システムエンジニアの道へ。

漠然とシステムエンジニアとして過ごす過程で、上司たちを見ていると、常に疲弊して残業して、給料も大して高くない姿(年収500万~600万程度)に、段々と自分の将来に不安を抱えていきました。

そこで転職を考えた私は、転職サイトを覗いてみました。すると高年収の求人のほとんどが「不動産業」だったのです。

転職活動をしている方ならいつも見る「大〇建託」や「東〇コーポレーション」などがその典型で、良い条件で募集が出ていました。しかしながら、ネットが発達したこの社会ではその条件自体が本来の実務や実情と異なる事は容易に察しがつきました。

結局、「営業」という世間のブラックといわれる世界に足を踏み込むか悩んだものの、全国規模で展開をしている注文住宅のハウスメーカーへ転職を決めるのでした。

◇これまでの経緯(不動産業へ足を踏み入れて)

注文住宅というとお客様の幸せな家庭を築くための住まいづくりのコーディネートという印象があるかもしれません。

が、実際は営業マンの幸せな生活を稼ぐ為に血みどろになって、あの手この手でお客さんを捕まえる狩りのような地獄絵図です。

誤解のないようにここで弁明しますが、私の知り合いで注文住宅の営業をしている人は数名いますが、そのすべてが上述のような状態ではなく、良い労働環境でお客様とも良好な関係を築いている会社もありますので、すべての会社に該当するわけではありません。あくまで私が入った会社がそうでした。

早朝7時に出社し、帰宅は日付を回った2時まで労働をする毎日。休みは週に1回という、絵にかいたような労働基準法を無視したブラック企業でした。
(※現在はその会社の労務体制も見直されてまともになってます)

その当時は、一般的な給料(年収400万円程度)をもらっている前の会社の同期をうらやましく思い、転職を後悔したのを覚えています。

そこから転機がやってきたのは、1年も経たない時期の頃。

当時、将来への不安で仕事だけではダメだと、投資について調べている最中、不動産投資が自分に向いているのではないかと空き時間(仕事中にさぼって)で不動産投資の本をたくさん読んでいました。

すると地元で不動産投資を専門とする会社の求人情報が出ていました。私はここしかないと思い、入った会社を1年足らずで退職し、転職をしました。

◇これまでの経緯(不動産業への認識の変化)

この会社へ入社する際に、
「うちは残業もあるし、結構厳しい仕事だけどやっていけるか?」
と問われていましたが、前の会社でも厳しかったし、学びたい事を学べるのであれば、良いかと思い、「まったく問題ありません!」と前向きな回答をしていました。

いざ入社して感じたのは、「なんというぬるま湯なんだろう…。」という感覚でした。前の会社が厳しすぎて、この会社は全然つらいという感情はなく、むしろ不動産投資を学びながら仕事ができる事で楽しいという感覚になりました。

そこからは、楽しいというのは最強なもので、初年度から全国4位、4年目には全国1位を取ることができ、その翌年も連続で全国1位を取る事ができました。また私は地方在住ですが、20代で年収1,000万円を超える事になりました。

当時、「年収」「年齢」「在住地(県)」で自分の偏差値を調べるサイトで調べたときには、全体の上位0.3%に位置していました。

つまり、同じ年齢で同じ県にいる人で、私は県下で300人に1人の高年収の部類へ分類されていました。

20代前半の時、こんな姿になれるとは思っておらず、年収を挙げていく事の楽しさに芽生えていたのも覚えています。

そこから最年少で支店長となり、そこからは死に物狂いでマネジメントを自分なりに勉強し、実践し、結果がでました。

前年までは自身が全国トップの売り上げを取る事で支店の売り上げをトップに押し上げていましたが、自分が売らずに部下に売らせる事で、支店売り上げのトップを取ることができ、支店長になってからは4年連続で支店売り上げトップで終えました。

また、途中で転勤があったことから2店舗で支店売り上げトップをとっています。当然、部下も全員異なります。

そこで、私が部下へ伝える不動産業でのメソッドが価値あるものだと実感しました。

◇これまでの経緯(不動産業での独立)

サラリーマンでの年収の上がり方に限界を感じた私は、独立を考えました。当時年収がおよそ1,500万円程度でしたが、世間的に見ればそんなにもらっている人は少なく羨ましがられる年収です。

しかし、不動産業界で働いていると多くの不動産業経営者と関わり合いを持つことになります。すると、如何に自分がちっぽけな人間なのかを思い知らされます。

年収1,500万円あったところで、可処分所得は経営者の方たちと比べると微々たるものです。また、私は歩合給として、売却益の5%をもらっていましたが、経営者になれば単純に100%が得られるのです。当然それに係る様々な経費があるのでその通りではありませんが。

経営者の方たちは私が手を伸ばしても買えないような高級車を乗ってみたり、船を買ってみたり、キャバクラで何十万も使ってみたりと、私ではできないようなことをたくさん見てきました。

私自身車にも興味がないですし、キャバクラでお金を使おうという発想もないのですが、それが「できる」のと「できない」のでは全く住む世界が違うなと感じました。

また、大きな違いとして、明らかに「暇そう」なのです。

私は部下のために休日出勤もしながら、夜遅くまで働いてとにかく数字を出そうと必死でした。その一方で、経営者の方たちは呑気にランチして、ゴルフして、旅行にいって、でも自分よりお金がある。。。

やはり、サラリーマンと経営者には大きな壁があるなとその時感じました。

そこで、30代での独立をしましたが、結果は大成功。

ノウハウのある人間がやれば、こんなに簡単なのかと拍子抜けするほどです。現在の年収は当時のサラリーマンの時の何倍かあります。
(※経費を使う事も多いので一概に役員報酬だけでは比較できません)

世の中の仕事で、サラリーマンでの年収が2,000万を超えられる仕事は一握りだと思います。東京都内に行けばそういった仕事もありますが、多忙を要す事がほとんどです。

私が住んでいる地域のお医者さんの年収ですら、1,000万~2,000万程度です。医者になるのは難しいですが、不動産屋になるのは簡単です。
冒頭でも書いた通り、私は大したキャリアを踏んでいません。

学生時代はどうしようもないやつでした。そんな人間でも今のように成功することが可能なのが不動産業界です。

また、独立をする際の資金についても少額です。およそ300万円程度あれば、可能です。300万円もないよという方もいるかもしれませんが、不動産業界の給与体系でまともにやっていればそれぐらいは簡単にたまりますし、無ければ無いで開業資金として融資を受ける事も可能です。

不動産業界で働いていて300万円貯まらないという方は、固定給の職についているか、稼いだお金を飲みなどで散財しているかのどちらかがほとんどです。後日選ぶべき就職先についても記事を書く予定です。

◇最後に

昨今の物価上昇など、将来への不安を抱える方は多いと思います。ただ、稼げるようになれば世間の物価上昇が他人事のように捉えられます。実際には物価上昇による不動産業への影響もあるのでそんなことはないのですが、不安を感じる事は少なくなります。

また私の場合、個人と会社で不動産を何棟か保有しており、そのキャッシュフローも毎月あるため、仕事がなくても生活していけます。

今後、どのようにして不動産屋のサラリーマンとして成功するのか、その先の不動産業を独立するにあたって必要なものは何か。それを有料記事にはなりますが、掲載させて頂きます。

不動産業の独立は簡単という風に書いていますが、実際には不動産業を開業して1年未満で潰れる会社は多くあります。それはその原因がハッキリしており、私からするとそりゃそうなるよなという会社ばかりです。

私の会社は右肩上がりで業績も伸びていますし、不動産業界の中でも景気に左右されにくい事業です。是非、今後の記事もお楽しみください。

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