54歳。さぁ、自分の人生が始まった。死ぬときに後悔のないようにやり残しの内容に日々生きよう。
人類が進化し、長寿を実現したわけではない。
生命は動き、食べ排出し、次の命へとつなぎ、その営みを繋ぐ
種の保存は全ての生命共通の目標であり、それは人類も同様である
正しいと思う。
しかし、とも思う。
なぜなら、私は54歳。子育ては終わった。すでに次の命へとつなぎ終わっている。
でも、これから先も生きていく。平均寿命で言えば後30年ほど生きる。
人生100年時代という言葉も聞くようになった。
種の保存という目標はすでに成し遂げたわけである。
では、これからの後30年とか50年という長い時間はいったい何の時間なのか。
そもそも、人類が進化したわけではない。
進化したのは、医学や科学や栄養学や衛生学であり、その進化を支えた経済的な豊かさである。
それらの進化によって人類は、種の保存という目的を果たした後も何十年も生きる長寿社会を実現した。
人間自身が進化したわけでない。
寿命であった50歳を過ぎても後30年も50年も生きる。そうなると50代はまだ、人生半分ということになる。
では、その種の保存を終えたあとの科学や医学の進歩で得た長い時間は、なんの為の時間なのか。
やるべき事をやり終えてしまった後、残された長い時間はいったいなんの為の時間なんだろう。
その答えは見つかっていない。
僕は、今、なぜ生きているのだろう。
自由を手にれた。
50代になってから、そんなことを、結構真剣に悩みながら生きてき。
しかし、資格を取るための教室に通っていた際に、そんなことを全部吹き飛ばす人に出会った。
その人は、僕と同世代の女性で、子供が就職したときに独立宣言したそうである。
『もう、私はみんなのご飯を作りません。みんな大人です。自分の食べるものは自分でしてください。買い物も、掃除も出来ることは全部自分でしてください。』
母親ではあるけれど、一人の人間として家族の中で同等の立場になり、独立したのである。
最初は、戸惑っていた夫も子どもたちも、それぞれに大人として自立し、掃除や洗濯の家事を分担し、好きなものを好きな時間に、好きな場所で食べる。休日には夫も料理を作ったりして、生活を楽しみ始めた。
人生反転。カルチャーショック
彼女は自由を手にれたのである。
仕事終がおわって急いで帰って、ご飯を用意しなくていいし、買い物もしなくていいし、片付けもしたくなければ、外で食べてくればいい。自分一人だから気楽である。
そんな生活をはじめて気がついた。
一日ってこんなにも時間があったのかということを。
休日に自由にどこにでも出かけることが出来る。友達と昼飲みをしたときは言葉にできないほど楽しかった。
そして、彼女は、職場を家から近いところで選んでいたけれど、本当に自分がやりたい仕事を選び、採用され働き始めた。
私の人生が始まった。
彼女はそう感じたそうである。
僕は、資格教室の食事会でその話を聞き、人生観が反転したようなカルチャーショックを受けた。
終わりではなく、始まりだったんだ。
後30年は長い、何をしていいのかわからない時間ではなく、科学や医学の進歩によりえた自分の時間なんだ。
自分の人生を始めよう。
そう思った。
死ぬときに後悔のないように精一杯生きよう。
やりたいことはたくさんあるはずだ。
それを全部しよう。
まず、ノートにやりたいことを全部書いた。
これを全部やり遂げるには、いくらでも時間はいる。
平均寿命を考えると、後30年。
あまり時間はない。
さぁ、自分の人生が始まった。
ぼやぼやしている時間はないぞ。
頑張ろう。
今はそう思って毎日楽しく生きている。
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