どこまでも変わっていけるということ ②
中学2年生の夏、日本へ帰国して公立中学校へ転入した私は、小学校時代と変わらず"陰"のオーラを放ってしまっていたものの、
だいぶお絵描きスキルが上がっていたこともあり、似たような趣味の友達ができたのであった。
転校初日に話しかけてきてくれたその子、"Aさん"はとても絵が上手だった。
私と同じくスピッツのファンで、ヴィレヴァンが似合うタイプの、妖しい魅力あふれる女の子。
当然すぐに仲良くなった。
正直言って、「こんなに他人に惹かれたのは初めて」だというくらい、好きになってしまった。
Aさんは母親と二人暮らしで、母親はほぼ不在だったので、放課後や休日は決まってAさんの家で遊んだ。
2人でしょうもない絵をたくさん描いて、
スピッツの歌詞解釈について語り合って、
Flash動画の作り方を真面目に勉強したりなんかした。(学校のお勉強は何一つやらないのに)
あるお泊まりの日には、「見つからないようにね」と言いながら夜中に自転車で飛び出し、
「一回やってみたかったんだよね」と道路の真ん中に大の字で寝転んで、はしゃいだりして、
『夜を駆ける』みたいだね。なんて笑いあったりした。
※夜を駆ける:スピッツの楽曲。真夜中の不思議な緊張感と静寂を覚える名曲。(だと思っています)
Aさんは、萎縮しがちな私に色々なことを教えてくれた。
顔をあげて見渡す街の明るさとか、
一緒に眠るふとんの温かさとか、
そして"こんなにも他人を好きになっていいんだ"という気持ちだとか。
朝、学校に行くのに気を張らなくていいんだということ。
胃の痛かった体育の授業も、友達と一緒なら楽しめるんだということ。
疲れ果てるまで笑って、一日を終えられるんだということ。
そんな日常は、他の人にとってはずっとあたりまえのことだったのかもしれない。
でも、私にとっては、ぜんぶ初めてのことで、とても嬉しかった。
私はまたしてもクラスメイトから避けられていたけど、Aさんは(やや浮いてはいたものの)愛されキャラだったので、
「私と仲良くしていて、何か言われたりしない?」
と度々気になった。
けれど、
「そんなの関係ないでしょ」
といつも笑い飛ばしてくれて、
そんな屈託のないところも信頼していて、大好きだった。
そんな日々が8ヶ月続き、
私の生活はすべてAさんと同化していて、
良く言えば、そのおかげで自分なりに楽しく学校生活を送ることができていたのだけれど、
悪く言えば、私はその関係に完全に依存してしまっていたと思う。
そのことに、私はずっと気づかなかった。
中学3年生になって間もない頃、Aさんにこう言われるまで。
「もう友達やめよう。」
いつも通り楽しく遊んだ帰りのことで、
あまりに唐突すぎて何を言われたのかわからなかった。
どうしたの、とか、それなんのネタ?w、とか、
言おうと思えば言えることはたくさんあったのだろうけど、
私はなにも言葉が出てこず、ただ呆然とすることしかできなかった。
「あんたのお絵描き趣味が、正直、気持ち悪くて仕方ない」
「私は、普通の人になりたい。そういうことだから、もう関わらないでほしい」
彼女はそう吐き捨てて、自転車に乗ってどこかへ行ってしまった。
私のお絵描き趣味が気持ち悪い。
普通の人になりたい。
その言葉を最後に、次の日からAさんとはパタリと関わりがなくなった。
まったく思考が追いつかなかったけれど、
とりあえず、私はまた一人になってしまったんだ、ということは理解できた。
彼女の言葉はどういう意味だったのか、
当時は自分なりに反芻して、振り返ってみたりした。
彼女のいう「普通の人」は、いわゆるスクールカーストの底辺でないところを指すのだろう。
私自身は、明らかに自分がスクールカーストの最底辺であるところは分かっていた。
そして、私の「お絵描き趣味」は、それを助長するものなのだろうと、当時の自分は思っていた。
だから「彼女の目指す理想像("普通の人")と私は相容れない」、ということなのだろうと。
そう理解した。
Aさんとの関係が断たれてしまったことで、初めはとても動揺したけれども、
元々一人だった頃の自分に戻っただけじゃないかと、自分に言い聞かせ続けた。
毎日訳が分からなくて感情がめちゃくちゃになりながらも、少しずつ自分の状況と向き合い、受け入れていった。
それから1ヶ月ほどの間、同情からかクラスメイトが話しかけてくれたこともあったのだが、特に関心もわかず、ただただ思考停止した日々を送っていた。
「一人だった頃の自分に戻っただけ」なのに、前よりもずっと、ペアを組むタイプの授業が辛かったのをよく覚えている。
そのうちに、Aさんは、隣のクラスのBさんと仲良くするようになった。
Bさんは文武両道で、オシャレでかわいらしく、クラスの人気者で、
何より、秀でた絵の才能を持つ人だった。
「絵描き」が最底辺の免罪符じゃないことくらい、本当は、心の底では分かっていた。
「私は、勉強も運動も人並みにできない。」
「ちょっとした身だしなみにも気をつかえない。」
「他人に関心を持つことができない。」
そうやって現状に言い訳をするだけで、社会に生きる努力をしない人間だから、誰にも好かれないし、Aさんからも縁を切られたのだ。
ただそれだけのこと。
「気持ち悪い」
という言葉は、"私自身"に向けられたものなのかもしれない。
「できない自分」をキャラづけし、それに甘えて、ずっと自分のことを大切にしてこなかった。
初めて好きになった人との関係にも、ただ寄りかかっていただけで、相手のことなんか何も考えていなかったのかもしれない。
皮肉にも、大好きだったAさんがいなくなったことでそのことを痛いほど思い知らされた私は、
ここから少しずつ、「自分自身と真正面から向き合って、変わっていこう」と思いはじめたのだった。
まず、身だしなみを整えることから取りかかった。
ショートソックスからワンポイント付きのハイソックスに履き替え、スカートを気持ち短くして、綺麗な髪留めで髪を結った。
背筋を伸ばして、慣れない笑顔をつくって、少し声を大きくした。
ほんのちょっと見た目に気をつかうだけでも、なんとなく、「きちんと生きている」感じがして、心がすっきりした。
少しして、「なんか雰囲気変わったね」と、クラスメイトが話しかけてくれるようになった。
それをきっかけに世間話もできるようになり、授業でグループに入れてくれる程度の友達ができた。
小学校の時と同じように、
少し自分のことを好きになって、自信がついてくると、周りにも少し自分を好きになってもらえているような気がして、
少しは前向きになれたのだと思う。
Aさんがいなくなってしまったのはまだ辛かったけれど、とりあえず中学校を卒業するまではこうしてやり過ごせればいいか、と思っていた。
でも、
Aさんとの話はこれで終わらなかった。
中3の夏、
ここまでギリギリ持ちこたえていた私の心は、Aさんの手によって、徹底的に打ち砕かれてしまったのだった。
(続く)→③
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