ブラック、グレー、いつかはブルー 1
〜社畜は鬱になって、生き直すことを決めました〜
プロローグ
仕事を辞めた。
30年働いた会社をやめた。
企業といっても、とても小さな会社だったが、歴史は古い。そして小さくてもきちんとブラックだった。
若い頃は平気だった。
カリスマ性のある社長は、未熟な私には輝いて見えて、彼の言うことは全て正解だと思えた。
先輩も後輩も、みんな同じ方を向いていたから、私もそっちを向いていた。
嫌じゃなかった。むしろ心地よかった。
でも、そのちょっと宗教的に崇拝する社員たちの中にも、これはおかしいのではないか、と気づく人間が数人いた。
今の私なら、「そうそう、それそれ」と言えるのだけれど、当時は何も見えていなかった。
これこそが正しい道、これこそがわたしの生き甲斐と、毎日朝から晩まで仕事に精を出した。
社畜、なんて言葉、当時はあまり聞かなかったと思う。
言葉の意味をちゃんと調べてみた。
「社員として勤めている会社に飼い慣らされ、自分の意志と良心を放棄し、サービス残業や転勤も厭わない奴隷(家畜)と化した賃金労働者の状態を揶揄、あるいは自嘲する言葉」
こりゃやばい。
飼い慣らされ、良心を捨て、奴隷と化す。
家畜として飼育される牛や豚だって、農家の方々が愛情持って育ててる。ストレスを与えないように、牛舎を掃除したり、広い土地で放し飼いにしたり。
この言葉のとおりなら、すでに人間じゃない。
私は確かに、社畜だった。
どんなに身体が辛くても、丸一日の休みが一年に五日程度しかなくても、プライベートの時間帯に社長からの鬼電が来ても、毎日一生懸命働いた。
それしか術を知らなかったのだ。
そしてそれが幸せなんだと思っていたのだ。
「人のために働くことが、○○の幸せ」
○○には私の名前が入る。
毎日それを言われているうちに、そうなのかな、と思ってしまうのだから怖いったらありゃしない。基本的には自分のことは後回し。病院も、美容室も、買い物も、娯楽なんてもってのほか。
そんな状態も30年続けば、痛みは薄れ、疲れにも慣れ、不思議にも思わなくなり、むしろこの忙しいスケジュールをこなしている自分を誇らしげに思ったりなんかして。
高校時代の同級生に「会えない?」と電話をもらっても、「仕事、忙しいんだよね」と答える私の盛大に勘違いしたドヤ顔。
その顔はそういうときに使うんじゃないんだよ、と誰か当時の私に教えてやってくれ。
そんなこんなで、二十代の私は「社畜ですが、何か?」と書かれたプレートを堂々と胸に下げ、足元がふらついているのにも気づかず、毎日休まず仕事に打ち込んでいた。