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『7人の聖勇士の物語』第15章 アイルランドの勇士、聖パトリックの死

こんにちは。
いつもお読みくださりありがとうございます。

先週の金曜日、12月2日のことになりますが、仕事で京都に行きました。仕事を終えて京都駅に帰ってきたのはもう暗くなってからで、7時を回っていたと思います。駅前でふと振り返ると、通常は白くライトアップされている京都タワーが青く輝いていました。とても美しかったので、写真を撮りました(ぼけてしまいました)。お隣の、赤いイルミネーションのロームビルと一緒に写したのがこちらです。

青色といいますと医療従事者の方々への感謝を表す色として用いられることが多いので、そう思っていましたら、サッカーのワールドカップでグループリーグを突破したお祝いの青色だったそうです。「サムライ・ブルー」の青色だったのですね。

ルールや選手のお名前などもあまりよくわかっていない私ですが、「にわかファン」になった気分でテレビの前で一生懸命応援し、勇気と感動をいただきました。京都タワーのあの「青色」の美しさとともに、ずっと心に残ることと思います。今一度、「サムライ・ブルー」に感謝です!

『7人の聖勇士の物語』の続きです。
勇敢な聖勇士たちも年老い、最期の時を迎えます。今回はアイルランドの聖パトリックの死の物語です。

『7人の聖勇士の物語』
第15章 聖パトリックの死

時は、王侯も、ましてやその他の人々をも容赦することはありません。そして遂に、キリスト教国の偉大なる7人の勇士たちと、かつては豪胆であった従者たちを、時はその重い手で捕えたのでした。闘いや試合での激しいぶつかり合い、海路陸路の旅、陽気な酒宴や粗末な食事、巨人や怪物、野獣、悪霊との闘いがわざわいして、かつては頑丈であった彼らの鉄腕は力を失い、漆黒や金褐色だった髪は白髪になりました。顎からはふさふさとした髭のかわりに長い銀白色の髭が一筋垂れ下がり、かつては騒然たる戦場を制して響き渡り、玉座に座る王や洞穴に潜む巨人に立ち向かった獅子のごとき声は、今や弱々しく震える高い声に変わってしまい、夏の優しいそよ風の中でさえその声を聞き取ることはほとんどできなかったでしょう。

まずは聖パトリックについてお話しいたしましょう。聖パトリックは槍と愛剣、そして武具を傍らに置き、昔から付き従っている忠実な従者テレンス・オグレーディ(今は立派な家庭の父親で、アイルランドの所領に落着いておりますが、この領地は何代にもわたって彼の子孫に引継がれています)に保管を任せると、つつましい巡礼の衣服をまとい、世界中を歩き回ろうと決心しました。これまでのように武芸の偉業を成すためではなく、彼が最後には骨を埋めるつもりの愛する故郷に役立つあらゆる種類の知識を集めたいと考えたのです。

もう忠実なテレンスを伴わず、たった一人で年老いた巡礼は出発しました。彼は偉大な人物ではありましたが、嘆き悲しむべき多くの罪を犯しましたし、申し訳なく思うこともたくさんあったのです。

彼が最も悔やんでいたことの一つは、善行を行う機会と同世代の人々に役立つ知識を得る機会を逸したことでした。彼は若い頃の怠慢を埋め合わせしようと考えました。しかし、これほど偉大な聖人といえども、年月が急ぎ足で進み、重い手で人を捕える頃になっては、若くて力に満ちていた日々に失った機会を取り戻すことは滅多に、いえ決してできはしないということを学ばねばなりませんでした。そこで、杖に身を任せ、鍔広帽の前にはホタテ貝(巡礼のしるしです)の貝殻をつけ、赤褐色の手織り布でできた外衣をまとい、ずだ袋を背負って、年老いた英雄は再び冒険の旅へと旅立ちました。

数多くの不思議な冒険が彼に降りかかりました。幾度となく激しい誘惑に襲われましたが、昔、敵を撃退したように、彼は勇敢にそれらを退けました。彼が主として調査の対象としたのは外国の法律や諸制度でした。全てが彼には有益でした。彼は目にした全てのことについて尋ね、知識を得るのに倦み疲れることは決してないように見えました。飲食店や台所にさえ彼は入っていきました。ある人々が主張することによりますと、アイルランド人はジャガイモの適切な調理法を聖パトリックから教わったのだということです。もっとも、それが本当かどうか正確なところは私にはわかりかねますが。というのは、ご記憶のとおり、ジャガイモはアメリカから入ってきたのですし、当時はアメリカが知られていたなどということはないのですから。もしかしたら、聖パトリックは世の中の誰にも知られずにアメリカへ渡ったことがあるのでしょうか。それはともかく、他の人々が言うには、聖パトリックがアイリッシュシチューを広めたとのことです。でも、これについてもやはりちょっとした異議がありそうです。だって、アイリッシュシチューの材料にはたいがい「ジャガイモ」が入っていますからね。
※ジャガイモの原産は南アメリカのアンデス山脈だそうです。

すると、やはり、そういう異議は、何か他の根菜か穀物がジャガイモの代わりに用いられていたのだと主張する人々によって封じられます。しかし、真のアイルランド人なら、これからお話しする以下の事実を誰も疑いません。

聖パトリックは旅を続け、遂にアフリカのある地域にたどり着きました。そこは多くの蛇がはびこっている地域でした。聖パトリックはその地で、住民たちが蛇を駆除するのに用いている珍しい驚くべき方法を学びました。蛇を捕まえると、人々は尾に釣り針を付けるのです。蛇はこの邪魔なものが自分に付けられたことがわかるや、怒って必ず丸くなり、尾の先に噛みつきます。こんなふうにして蛇は決まって口を釣り針に突っ込み、輪っか状になりますと、この厄介な体勢からどうしても抜け出すことができません。そこを長い棒の先でたやすく捕え、左肩越しに一番近くの湖か川に投げ込みます。すると確実に、二度と戻ってくることはありません。

忘れてはなりませんが、これは祝福された聖人であり偉大な人物である聖パトリックが晩年の旅において集めた多くの重要な知識の数々の一例にすぎません。聖パトリックがアイルランド人に読み書きを教えたのだ、と言う人もあります。栄光を勝ち取ってきた素晴らしい武器であるシャレイリーと呼ばれる棍棒も聖パトリックが広めたものの一つであることは確かなことですし、その使い方をアイルランド人たちに教えたのも聖パトリックなのです。そのため、人々は然るべき尊崇をもって彼のことをずっと記憶にとどめているのです。彼がエリンの息子たち(アイルランド人)によって敬愛されているのには、他にも多くの理由があることは申し上げるまでもありません。

とうとう、人生の終りが近づいているのを感じた聖パトリックは、無事アイルランドに帰還しました。そこで骨を埋めようと固く心を決めていたのです。これは疑いようのないことですが、アイルランドでは、その頃大小無数の蛇がうようよしておりました。蛇には猛毒があり、人が咬まれると1分もしないうちに山のように腫れ上がるのでした。そこで人々は聖パトリックのところへやってきました。彼らは聖パトリックが王国屈指の賢者だと知っていたので、他の人のところへ行くはずがありません。人々は聖パトリックに、「もし蛇が駆除されなかったら、そのうち北から南まで国中の住民が死に絶えてしまうに違いありません」と言って、助言を求めました。聖パトリックは、丁度その時何か別のことを考えておりましたが、彼らに「シャレイリー(棍棒)を手に取って蛇どもの頭を打ち、海の中へと追い込みなさい」と言いました。そして自身で手本を示し、力強く蛇を打ちました。丁度、彼が若い頃、異教徒の軍勢のさなかで、または野獣や巨人や人喰い鬼を相手によくやっていたように。

ところで、目の前で身をくねらせている大蛇を打っている最中、彼はアフリカで見た蛇の駆除法をふと思い出しました。そこで、アイルランド全土から全ての釣り針を彼のところへ持ってくるよう命じ、蛇を見つけ次第その釣り針を尾につけさせました。たちまち蛇たちは輪っかになります。聖パトリックは忠実な従者たちを呼ぶと、輪状の蛇たちをどうやってシャレイリー(棍棒)にはめるかを示しました。そして、蛇たちをはめた棍棒を背負って歩いていきました。大蛇も蛇も毒蛇も全てが海へと運び去られ、海に投げ込まれて溺れ死にました。その時から今日まで、蛇は1匹たりともアイルランドへ戻ってこようとはしませんでしたし、これからも戻ってくることがないことは確かです。

この偉大で重要な偉業の後、敬虔な聖人は公的な生活から完全に引退したいと望みました。そこで彼は、木々に囲まれた湖の中の小島の上の苔むした灰色の巨岩に、自分用の庵を彫ってもらいました。彼に会うためにそこに赴こうと考える人は殆どおりませんでした。しかし、近くに住んでいた善良で敬虔な何世帯かの家族が彼に魚やその他の食料を持って行き、日々の入用―とてもささやかなものでしたが―を満たしておりました。

その庵で彼はその後数年を過ごしました。彼がどうやって時を過ごしていたのかは謎です。やがて彼の髪は伸び、爪も伸びました。後でわかったことですが、彼は伸びた爪で自分自身のお墓を掘ることに毎日いそしんでいたのでした。モグラのように働き続け、お墓の穴が彼の気に入るだけの深さと長さになるまで土を掘りました。それができると彼はその中に身を横たえました。世俗での生に倦み疲れ、二度とそこから起き上がってはきませんでした。

翌朝、農夫たちがやってきて、年老いた聖人が亡くなっているのを見つけました。そして、悲しみながら彼らは聖パトリックが掘り返した土を穴に戻しました。何年もたった後、聖人のお墓の正確な位置が確認され、その上に彼を記念する壮麗な教会が建立されました。

今回はここまでです。
お読みくださり、ありがとうございました。

次回をどうぞお楽しみに!


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