『7人の聖勇士の物語』第3章(3)
こんにちは。
いつもお読みくださりありがとうございます。
私の実家は自宅から歩いて20分ぐらいの所にあります。
お盆も終わる頃、実家から自宅へ戻ろうとご近所を歩いていた時のこと、空はどんより、風のない、蒸し暑い午後で、皆さん家の中にいらっしゃるのかお留守なのか、ご近所はしいんと静まりかえっていました。
一軒のお宅を通り過ぎたとき、突然、後ろから「ちりん」と風鈴の音が聞こえました。
誰かに呼ばれた気がして振り返りますと、そこは母の友人のお宅でした。母はその方と長い間とても親しくしていただきましたが、数年前、特別養護老人ホームに入られてからはなかなかお会いできなくなり、さらにコロナ禍でホームへの訪問もできず、もう2年以上もお目にかかれないままになっておりました。そして先日、母は偶然その方のお宅の前でご長男と出会い、お母様がこの春お亡くなりになったことを知らされたのだそうです。
私はそのことを母から聞いて知っていたのですが、不覚にもお宅の前をぼんやりと通り過ぎてしまったのです。
風鈴はもう鳴らず、どこに吊してあるのかもわかりませんでした。
でも、風も無かったのに、本当に「ちりん」と鳴ったのです。
もしかしたら御霊が初盆でお宅に帰っておられて、ぼんやり歩いている私を見かけ、「お母さんによろしくね。」と声を掛けてくださったのかな、なんて思います。
「長い間母と仲良くしてくださり、ありがとうございました。」と心の中でお礼を言いながら、私はお家に向かって頭を下げました。
(strollingricky様の写真をお借りしました。寄り添い合う2輪の蓮の花。まるで夢のような美しさに感動しました。)
『7人の聖勇士の物語』の続きです。
『7人の聖勇士の物語』
第3章 イングランドの聖ジョージの冒険(3)
翼をバタバタさせ、鼻孔から火を吹き出し、大きな声で吼えながら、竜がやってきました。聖ジョージは馬を駆り、鋭い槍を構えて竜めがけて突撃しましたが、あまりの衝撃の激しさに騎士は馬の鞍から転がり落ちそうになり、かたや馬は尻もちをついて倒れ、竜の恐るべき重量の下で押し潰されそうになりました。しかし、人馬ともに驚異的な敏捷さで脱出すると、聖ジョージは竜の鱗に覆われた胸を目がけて、力の限り、もう一度槍を繰り出しました。しかしそれは、真鍮の門に向かって打ちかかるようなものでした。
一瞬で頑丈な槍は木っ端みじんに砕け、竜は軽蔑して声高く咆哮しました。そして同時に、おのれの力を見せつけようとして、毒のある尖った尾を非常に速く振り回しました。その尾にひどく打ち付けられ、騎士も馬も地面にたたきつけられました。
この打撃を受けて騎士も馬も気を失い、そこに倒れて横たわりました。竜のほうは、この間に100歩ほど後退しました。そこからこれまで以上に猛然ととびかかり、ほとんど手中にしている勝利を完全に手に入れようと考えたのです。幸い、ド・フィスティカフは怪物の目的を察知し、隠者が言っていたオレンジの樹に気付くと、実を一つ摘み取り、それを持って主人のところへと急ぎました。
オレンジの実を口にするや否や、騎士は力が回復するのを感じてとび起きました。そして、実の残りを愛馬ベアードに与えると、即座にその背に跨がり、名剣アスカロンを手に、竜がまさにくらわそうとしている猛烈な攻撃を向かい打つ準備を整えました。
槍はいざという時に砕けて役に立ちませんでしたが、愛用の剣はいつものように頼りになりました。馬を前方へ駆りながら、彼は怪獣の黄金色の胸にすさまじい力で打ちかかり、剣の切っ先が鱗の間に突き刺さって傷を負わせました。竜は痛みと怒りで吼えたけりました。
それでも、これで騎士が優位に立ったとはいえませんでした。というのも、竜の傷口からひどい悪臭のするおびただしい黒い血糊が流れ出てきて騎士を後ずさりさせたからです。血糊の中で溺れそうなところへ、有毒な蒸気が鼻腔に入り込みましたので、騎士と勇敢な馬は気を失い、なすすべもなく地面に倒れました。
ド・フィスティカフは、主人の命令を心に留めていましたので、竜が何をしようとしているのかを探ろうと、じっと目を離さずにおりました。竜が炎のように燃える尾で自分の胸の傷に触れると、傷から出ていた血が止まりました。そして、緑の翼をバタバタさせ、恐ろしい声で吼えると、巨体を震わせ、騎士に仕掛ける新たな攻撃に備えました。
「今お持ちします!」と叫ぶと従者はオレンジの樹のところへ駆けていき、そこから黄金色の実を2つ摘み取って、その1つの果汁を主人の喉に、もう1つの果汁をベアードの喉に注ぎ込みました。両者は瞬時に回復し、聖ジョージはベアードの背にとび乗ると、これまで以上に元気で戦う気力に満ちていると感じました。人馬とも、竜の尾を避けることが重要だと学んだので、竜が尾を一方に振ればベアードは他の方向へと跳び、自身や乗り手を狙う有毒な尾の攻撃を縦横無尽にすばやく避けました。
竜は何度も身をもたげ、勇敢な敵を倒して押し潰そうとしましたが、ベアードは驚くべき明敏さで竜の次の動きを正確に把握し、怪物が不意打ちをかけるたびに、後ろにとびのいたり脇へよけたりして、迫りくる破滅をかわしました。しかし、竜は弱る様子を見せません。聖ジョージは渾身の力を振り絞らねばならないと思い、愛剣アスカロンを握り直すと馬に拍車をあて、怪獣に向かっていきました。竜は翼を広げ、騎士を殺そうと思い定めて再び立ち上がりました。聖ジョージは馬の横腹に拍車を当て続け、ド・フィスティカフに向かって叫びました。「死か勝利か、我が命運この一撃にあり!」
聖ジョージは、アスカロンの輝く切っ先を前に突き出し、怪物の胸をめがけてまっすぐに剣を突き立てました。剣は翼の下にあたり、ぶ厚い肉に食い込んで、そのまま怪物の心臓を貫きました。近隣の森や山々に響き渡り、野獣をも肝を潰して震えさせるほどの大きな呻き声を発しながら、猛々しい緑色の竜はどさりと横倒しに倒れました。すかさず聖ジョージは、傷口から剣を引き抜き、横倒しになった怪物の上に駆け上がり、竜が敵に復讐しようと身を起こす前に何度も切りつけて竜の頭を胴体から切断しました。その傷口からは夥しい血が流れ出ましたので、谷間はあっという間に血の湖となり、そこから流れ出る川の血に染まった色は、近隣の地域の住人たちに、高貴な生まれのイングランドの戦士が彼らを長らく苦しめていた敵を殺したことを知らせる第一報となりました。
さて、勝利を得た騎士はド・フィスティカフが持ってきたオレンジの実によって自分も愛馬も、また闘いを始められるほどの元気を回復しました。そして、凶暴だった竜の巨大な首を棒の先に突きさしました。その棒は充実な従者が槍の柄でこしらえたもので、槍の先端は闘いの初めに怪獣の鱗に覆われた脇腹にあたって砕けてしまったのでした。
聖ジョージは武勲の戦利品をド・フィスティカフに渡し、高々と掲げて運ばせ、王国の首都めざして進んで行きました。そこでは美しいサブラに歓迎され、王と臣下たちとによって勝者として迎えられ、国中の鐘という鐘が打ち鳴らされ、家々には明かりがともり、どの通りにもかがり火が焚かれているものと彼は思っておりました。しかし、成功というものはしばしば敵と中傷者を生み出す、という苦い教訓を学ばねばならなかったのです。
ところで、バガボーナボウ国の君主であるバッタボロ王の宮廷には、肌の色の黒いモロッコの王アルミドールが逗留しておりました。アルミドールは長い間サブラ王女に求婚しているのですが、色よい返事をもらえないでおりました。王女が彼を受け入れられない理由はいくつもありました。
さて、アルミドールは聖ジョージが竜との闘いに勝利したことを聞き及ぶと、王女の愛を勝ち取るのがますます難しくなるに違いないと思いました。この上なく卑劣にも、彼は王女を手に入れるためにいちかばちかやってみようと心に決めました。そこで、莫大な報酬の約束によって12人の名のある戦士たちを雇い、ブリテンの戦士を待ち伏せたうえ彼の戦利品と生命を奪わせ、自分が竜を倒したのだと美しいサブラの前で自慢しようと考えました。
聖ジョージが峡谷の狭い道を通っていると、12人のアフリカの騎士たちが剣を振り回し、彼がそれ以上進めないよう妨害するつもりなのが目に入りました。
聖ジョージはド・フィスティカフに言いました。
「ベアードを頼む。私は剣を持ち、徒歩であの卑劣者らと戦うぞ。」
こう言いながら、聖ジョージは名剣アスカロンを鞘から抜き、敵の方へと向かっていきました。道の狭さのため、同時に3人しか対戦できません。剣が鋭く交わりました。敵の剣が聖ジョージの磨き上げられた武具にあたり、大きな音をたてました。しかし、聖ジョージが敵の鎖帷子の隙間からアスカロンで切り込むと、一人また一人と息絶えて地面に倒れました。次の3人がかかってきました。しかし、聖ジョージが、横倒しになった敵の馬の死骸の上に立って剣の一撃で3人の首を胴体から切断しますと、首は血まみれの土埃のなかを転がりました。聖ジョージは次に進んできた3人も、次々と剣の一撃で頭の天辺から座っている鞍までを真っ二つに切り裂きました。残りの3人は逃げようとくびすを巡らしましたので、不名誉にも背中からアスカロンで刺し貫かれる次第となりました。
アルミドールはブリテンの勇士が倒されるのを見届けようと、すぐ近くの山の頂きでずっと立っておりました。しかし、聖ジョージが倒されずに勝ち残ったのを見ると、アルミドールは急遽町に戻り、異国の騎士の剣によって竜が殺されたことを告げました。
緑色の竜を倒した勇敢な戦士を称えるためになされた壮麗な準備を十分に描くことはできないでしょう。聖ジョージが町に近づくと、15頭のミルクのように白い馬に引かれた、重厚な黄金製の豪華な馬車に出迎えられました。その車輪はこの上なく純度の高い黒檀でできており、覆いは黄金で浮き出し模様がつけられた絹でした。馬車の両側では、バガボーナボウ国の100人の最も位の高い貴族たちが、緋色のビロードを身に纏い、先程の馬車を引いているのと同じ純白の馬に騎乗しておりました。聖ジョージはその馬車に乗込みました。一方、ド・フィスティカフは片手でベアードを引き、もう片手で竜の首を高く掲げておりました。耳にも爽やかな勇ましい音楽のしらべが奏でられるなか聖ジョージは町に入りました。どの窓からも旗や刺繍したタペストリや豪華なアラス織が揺れ、何千もの賛嘆に輝く眼差しが見下ろす下を、彼は進んで行きました。
しかし、美しいサブラ王女の眼差しは誰にもまして輝いておりました。王女は彼を迎えるために調えられた豪華な天幕の中で歓迎の挨拶をし、彼はそこで王女の足元に自分の武勲の戦利品を横たえました。竜の巨大な顎をじっと見ると、王女は、自分がそこへ落ちねばならなかったかもしれないことを思い、身震いしました。そして、そんな恐ろしい運命から救ってくれた勇敢な異国の騎士への感謝の念と、それに加えて、もっと温かな感情が増していくのを感じたのでした。
天幕の中で、この国の第一級の医者たちがこぞって貴重な膏薬を携え、聖ジョージの傷に塗布し、竜の有害な息と毒に優れた薬効をもたらす特効薬を投与しようと周りに立ち並びました。騎士はそれらの薬を全てベッドの脇に置いて、彼を一人にしてくれるよう頼みました。そして、ド・フィスティカフの手を借りて薬の中身を全部窓から捨ててしまいました。翌朝、彼がとてもよくなったと言いますと、アスクレピオスのお弟子たち、つまり医者たちはたいそう彼のことが気に入りました。医者たちは銘々、自分の妙薬が治癒に役立ったと信じ、満足だったのです。
第3章はこれでお終いです。
聖ジョージによる竜退治のお話は、13世紀に編纂されたキリスト教の聖人伝『黄金伝説』に詳しく語られています。今、お読みくださった場面と異なる点がいくつかあり、例えば王女の名前は『黄金伝説』では記されていませんし、不思議な効能のあるオレンジも出てきません。読み比べてみるとおもしろいかもしれませんね。
聖ジョージの竜退治の場面は古くから画題としても人気があり、いろいろな画家が描いています。例えば、ラファエロもその一人です。ルーブル美術館蔵のラファエロの聖ジョージは、凜々しく勇ましいなかにもなんとも優美な表情をしています。よろしければこちらでご覧になってみてください。https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Saint_George_with_the_Dragon_(Louvre)_by_Raffaello_Sanzio
今回もお読みくださり、ありがとうございました。
次回、第4章に入ります。どうぞお楽しみに!