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[西洋の古い物語]「銀の鐘」

こんにちは。
いつもお読みくださり、ありがとうございます。
今回は、真に自分を省みず、人のために尽くすとはどういうことかを考えさせてくれる物語です。
ご一緒にお読みくださいましたら幸いです。

※画像は、今回の物語とは関係ないのですが、フランシスコ・デ・ゴヤの「トビアスと大天使ラファエル」(1786-1788)の一部です。輝く天使の優しい表情に心惹かれます。パブリック・ドメインからお借りしました。

「銀の鐘」

昔、シュパイアーという古い町には2つの大鐘がありました。どちらも人間の手で鳴らされたことはありません。言い伝えによれば、人が亡くなるときに天使が天上から降りてきてどちらかの鐘を鳴らすのだそうです。

※シュパイアーはドイツ中南部、ライン川左岸に位置する古い町です。


片方の鐘は鉄製でした。この鐘は罪を犯した人の魂が肉体から離れるときに鳴らされました。もう片方の鐘は純銀でできておりました。この鐘はさる貴族によって塔に取り付けられたものでした。彼は、人々を真に愛する者が現われるまで決して鳴らされるべきではないと考えてこの鐘を掲げたのでした。

この鐘が取り付けられたとき、鐘はたくさんの紐でぐるぐる巻きにされておりました。それは、鐘が塔に細心の注意をはらって据え付けられるまで音が出ないようにするためでした。

また、この鐘については次のような取り決めがありました。もしも人々を真に愛する者が33年間現われなかったら、この鐘は永遠に音を鳴らさないままにしておくのです。そうなればこの鐘は人間の冷酷さの証人となるでしょう。

さて、その33年間満了が目前に迫りました。しかし、自分をかえりみずに人々を愛したと言えるような者は国中でまだ一人も見つかりませんでした。親切な行いは数多く行われましたし、勇敢で高潔な奉仕もたくさんなされました。しかし、詳しく吟味すれば、それらの行いには何かしら利己的な動機が潜んでいるらしいのが常でした。

人々は来る日も来る日も切なる願いを込めてこの鐘を見つめていました。この人のためなら鐘が鳴らされてもよいというような人が現われることを望み、祈りました。誰もが鐘の澄んだ音を聞きたいと願いました。その鐘は実にうっとりするような調べを発すると言われておりました。しかし、幾度かの夏と冬がむなしく過ぎ去っていきました。  

その鐘が塔に据えられるのを若い頃に見た人々は、年寄りになりました。人々は待ち続けました。そして希望は彼らの胸の奧底へと沈み始めました。もうあの銀の鐘の音を聞くことはないだろうと彼らは考え始めました。

恐ろしい疫病がその地方で発生しました。病人を救う方法は誰にもわかりませんでした。陰鬱な空気が町中に居座り、町は全滅の脅威にさらされているかに思われました。慈悲深い行いがなされ、人々の胸は哀れな仲間への同情で血を流しました。人々はこの時も真に無私の心で慈悲の行いをなす人を見つけようと懸命になりました。しかし、よくよく調べてみますと、人々は自分たちの友は憐れみましたが、敵のことは顧みることがありませんでした。彼らは近しい者のためには涙を流しますが、知らない人たちのことを思いやることはありませんでした。父親も母親も自分の子供たちは勇敢に守りますが、他人の子供らのことは気にかけませんでした。こんなふうでしたので、たくさんの高潔な行いがなされたにもかかわらず、それらは人類全体への深い愛に由来する行いではないことがわかりました。 

この間中、あの鉄の鐘はほとんどひっきりなしに鳴っていました。昼も鳴り、夜も鳴りました。希望や朗らかさはとうとう消えてしまい、絶望と恐怖がどの家の上にも垂れ込めたのです。

この土地の王様はまだ若くハンサムな方で、近頃即位なさったばかりでした。欲しいと思うものは何でも手に入れるのが常でしたし、苦難に耐えたり他の人々の苦しみに同情することには慣れておられませんでした。この王様が慰めや絶望からの救いを与えてくれるなどと、誰も望んでおりませんでした。

ところが、夜、町が途切れがちな休息に沈みますと、この若い王はひざまずき、貧しい人々や惨めな人々のために祈りました。そして、その祈りに自らの手で応えるため立ち上がると、食べ物と衣類を馬に積み、農夫の姿に身を変えて一人で町へと出かけて行きました。

王様は、夜な夜な彼は貧しい人々に分け与える宝物をたずさえて、暗い、打ちひしがれた町の通りを通っていきました。夕暮れから明け方まで彼は人々の苦しみを和らげるため一人で働きました。そして、夜の闇がすっかり消え去る頃、宮殿の門へと戻っていきました。

そのうち人々は真に無私な魂を持った人物が現われたのだと希望を抱くようになりました。しかし、彼らはあまりに惨めでしたので、このことについて考えたりあの銀の鐘について考えたりするいとまがほとんどありませんでした。それでも、誰かが自分たちのことを気にかけてくれているのだと思うことは、多くの人々にとって慰めの源となりました。彼らの胸には喜びが目覚め、喜びは彼らに力をもたらし、ついに彼らはいつもの仕事をしに鍛冶場や畑へと戻っていきました。

しかし、困っているときに彼らのところへ来てくれるこの人物が誰なのかはわからないままでした。その正体は誰にもわかりませんでしたし、感づいた者さえいませんでした。多くの人々は天使がやって来たのだと考えていました。一方、誰か良き魂の持ち主が行っているのだと考え、それが誰なのか知りたいと願う人々も大勢いました。人々は銀の鐘がまだ鳴らされる可能性があるかもしれない、と信じるようになりました。

ついに人々は王様のところへ行き、彼らにこれほどふんだんに恵みを与えてくれる人物が誰かわかるよう、御触れを出してくださいと願い出ました。
「きっと」と彼らは申し上げました。「真に無私な魂の持ち主が私たちの中にいるのです。誰なのかはわかりませんが。」
「皆の者よ」と王様はお答えになりました。「満足を知るがよい。お前たちが困っているときに神が僕をお遣わしになったのだ。それで十分ではないか。」

これを聞いて人々は呟きました。「王は富と力を持ち、若さの恵みを享受しているから、我々の苦しみを知らないのだ。だから我々の感謝を理解することができないのだ。我々があばら屋でひもじい思いをしているとき、王は宮殿で腰をおろしてワインをたらふく飲んでいたのだ。王には何も期待できない。」

他の人々はこのように申し立てました。「少なくとも、あの大鐘を鳴らしてください。もう定めの33年間がほとんど尽きようとしているのですから。今日鳴らされなければ、あの鐘の喜びの調べを聞くことはもうできなくなります。」

それでも王様は、「それはならぬ」とお答えになりました。「だが、お前たちがそうしたいなら、あの鐘のところへ行って祈るがよい。もしあらゆることをご存じの主がそれほどの名誉に値する者をご照覧あそばすなら、あの鐘を鳴らすよう天使をお遣わしくださるようにと。」

その夜、大勢の人々が、善なる神がいと高きところから天使を遣わして銀の鐘を鳴らしてくださるよう祈りながら、教会の前で待っていました。
夜はゆっくりと過ぎていき、そして、はら、日の出の最初の光が山々の上にまさに上がってこようとしています。突然、太陽が立ち止まったように見え、暗がりが続きました。すると雲の中から光輝が現われ、その輝きは教会と教会の塔の上にとどまりました。待っていた大衆は皆、驚嘆して見上げました。銀の鐘が鳴り始めました。鐘は天使のような調べを響き渡らせました。人間が誰もこれまで聞いたことのないような調べでした。人々はうっとりとしました。まるで天使の軍勢が総出で喜びの歌を歌うかのように思われました。

鐘の音は平和と人々への善意の音でした。その音は山々にこだまし、はるか遠い谷間にまで届きました。
太陽の最初の光が地平線から顔を覗かせますと、その光輝は塔の上から消え去り、そのかわりにそこには光に包まれた人の姿が現われました。塔の幅一杯に一続きの文字が見えました。人々は見上げてそれを読みました。
「見よ、真に同胞を愛した者を。」

人々は皆ひざまずきました。そこには王様の姿がありました。自分たちがどれほど王様のことをひどく言ったかを思い出すと、心臓がとまる思いでした。同時に、それが王様であることがわかって彼らは喜びました。人々は皆立ち上がり、自分たちが先頃軽蔑した王を称えに急いで駆け寄りました。

人々は宮殿の門へとやってきましたが、中に入ることは許されませんでした。あの鐘を鳴らした天使が彼らに先立って宮殿へと入りました。そして無私の心で人々を愛した王様の気高い魂をたずさえて天使は去っていきました。

「銀の鐘」のお話はこれでお終いです。

 友人でも敵でも、身内でも他人でも、真に人々を愛して、無私の心で尽くすとはどういうことなのでしょう。そんなことは果たして可能なのでしょうか。頭ではそれが理想だとわかっていても、簡単にできることではありませんよね。私たちは善行や慈善行為をなぜ行うのでしょう。立派な人だ、優しい人だ、と褒められたい、承認されたい、そういう利己的な動機が心のどこかに潜んでいるのかもしれません。この物語を読んでハッとしました。時々は読み返して、誰かのために尽くしているつもりになっている自分を省みたいと思います。

このお話が収録されている物語集は以下の通りです。

https://www.gutenberg.org/cache/epub/58185/pg58185-images.html#Page_113

今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。
次のお話をどうぞお楽しみに。

前回のお話「熱々のオートミールの鍋」はこちらからどうぞ。

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