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[西洋の古い物語]「沈める町」

こんにちは。
いつもお読みくださり、ありがとうございます。
今回は、昔オランダの陸地であったある地域が水没して「ゾイデル海」となった次第を伝える不思議な物語です。

スタフォーレンという古い町を海から守っていた堤防が決壊して町が水没してしまうお話なのですが、この物語を訳しながら、今年も各地で水害が相次ぎ多くの方々が今も苦しんでいらっしゃること、そして東日本大震災で被災された方々のまだまだ生々しい心の傷を思いました。読んでくださる方の中には、辛くて悲しい気持ちになる方がいらっしゃるかもしれない、これはとばして次の「楽園の鳥」をお送りしよう、とも考えました。

しかし、長い間語り継がれてきたのですから、読む人の心に残る物語であることは間違いありません。やはり収録されている物語集の目次通りに進めてまいりましょう。ですからどうぞ、昔から伝わる物語の一つとしてお読みくださいますと幸いです。

※画像は、スタフォーレンの町の広場に立つ「スタフォーレンの貴婦人」の像の写真です。三角の被り物が中世の女性らしいですね。

「沈める町」

今日ゾイデル海の波がうねっているあたりは、かつては広い土地だったそうです。今、漁師たちが舟の錨を降ろして釣りをしている丁度そのあたりには、美しい町がありました。その町は大きな堤防で海から守られておりました。

町の名前はスタフォーレンといい、そこに暮らす人々はとても裕福でした。中には自分の邸宅の床に金や銀を敷き詰める人もいたほどでした。しかし、裕福でしたけれども自分勝手で思いやりがなく、冷たい心の人々で、貧しい人たちのことなど全く気にもかけませんでした。

(※ゾイデル海は、かつてオランダ北部の北海にあった内海の名称で、この物語は、昔ゾイデル海がまだ陸地であった頃のお話、ということですね。また、スタフォーレンはオランダの古い町で、かつて交易でたいへん繁栄しましたが、港の沖合に砂州ができ始めてからは船の入出港が困難となったうえに、洪水にも襲われ、次第に没落したとのこと。今では、漁業と観光の町として多くの人が訪れているそうです。)

町一番のお金持ちは、ある未婚の貴婦人でした。彼女は大邸宅や農園、船、カウントハウス(財務帳簿保管所)など人が望みうる全てを持っていました。しかし、彼女はもっと財産を蓄える方法ばかりを考えておりました。

ある日貴婦人は、自分が所有する最大の船の船長を呼び出しました。船長がやってきますと彼女は、出航して地上で最も貴重な積み荷を調達し、1年以内に戻ってくるよう命じました。女主人が何をお望みなのかはっきりとわかりませんでしたので、船長は彼女に尋ねました。しかし、貴婦人はただ命令を繰り返し、直ちに彼を送り出しました。

船長はあてもなくスタフォーレンから出航しました。港を離れると彼は幹部の船員たちを集め、助言を求めました。地上で最も貴重な積み荷とは何なのか。各人の意見はさまざまでした。

船長はかつてないほど困り果ててしまいました。彼はこの問題を何時間も考え続けました。パイプをくゆらし、頭をかきながら。そしてついに心の中で考えました。「小麦よりも貴重なものは何もない筈だ。生命を養うものなのだから。」

そこで彼は船に積み込めるだけの小麦の種を購入し、故郷の町へと意気揚々と戻りました。約束の一年よりもずっと早く到着したのです。一方、高慢な貴婦人は、自分の船が地上で最も貴重な積み荷を探して出航したことを友人全てに話していました。しかし、最も貴重なものとは何かについて彼女は親友にも語ろうとしませんでした。そんなわけで、誰も彼も積み荷が何なのか、興味津々なのでした。

ある日船長が突然彼女の前に姿を現し、積み荷の小麦を運んできたことを彼女に告げました。これを聞くと彼女のプライドは消え失せてしまいました。そして猛烈に怒りだし、「一粒残さず海に投げ入れておしまい」と命じました。

船長はこの命令に愕然とし、小麦を貧しい人々に与える許しを乞いました。
しかし、彼女は命令を繰り返して言いました。
「一粒残らず確かに海に投げ込まれるよう、私みずから港へ出向きます。」

船長は悲しそうに船に戻っていきました。その道中、大勢の貧しい人々が道ばたにいるのに出会いました。彼は彼らに積み荷の小麦が海に投げ込まれることを話しました。貴婦人が船着場に到着する頃には、町の至る所から貧しい人々が集まってきていました。彼らは、投げ込まれる小麦をいくらかでも救いたいと望んでいたのです。

貴婦人が近づいてくると多くの嘆願する手が彼女に向かって伸ばされました。しかし、すべては無駄なことでした。ぷりぷり怒った高慢な貴婦人は、船員たちに小麦を全て海の中に投げ込ませました。船長はこの罪深い無駄を妨げる力もなく、静かな怒りを覚えながらじっと見ておりました。最後の一粒が水面の下に消えたとき、彼は高慢な女主人の方を向いて叫びました。
「天上に神がおられるのと同じぐらい確かに、あなたはこの罪により罰せられることでしょう。スタフォーレンきっての富豪であるあなたが、手のひらに何杯かでも、この無駄になった小麦を欲しいと思う時がやってくるでしょう。」

貴婦人は驕り高ぶり、物も言わずに彼の言葉を聴いていました。彼が言い終わると、彼女は華奢な手から高価な指輪をとり、それを海に投げ込みました。
「この指輪が私の元に戻ってきたら」と彼女は言いました。「お前が言ったことを信じましょう。そして自分が窮乏することを恐れましょう。」

数時間後のこと、貴婦人の料理人が女主人の夕食を準備しておりました。つい今し方海から釣り上げられた大きな魚をさばいておりますと、驚いたことに、ふと彼の目にとまったのがあの高価な指輪だったのです。彼はすぐさまその指輪を高慢な女主人にお届けしました。自分の指輪だとわかると彼女は真っ青になりました。

それからしばらくしますと報告が入り、彼女のカウントハウスの一つが崩れ落ちたというのです。同じ晩のうちにまた禍いの報告が入りました。彼女のカウントハウスがことごとく崩落したのです。さらに、彼女の船団は海で難破し、邸宅は火災で焼け落ち、農園は嵐にやられて荒れ果ててしまいました。

所有していた全てが数時間の内に彼女から奪われてしまいました。住んでいた邸宅もその夜のうちに焼け落ちてしまい、彼女は命からがら逃げ出す始末でした。

今や彼女はすっかり見捨てられてしまいました。町の裕福な人々は無一文になった彼女のことなど全く気に掛けませんでした。彼女が軽蔑をもってあしらった貧しい人々は、彼女がみすぼらしい納屋の中で空腹と寒さのために死ぬがまま、放っておきました。

スタフォーレンの町はこの高慢な貴婦人の悲しい最期によって何の教訓も学びませんでした。お金持ちは楽しく暮らし続け、貧しい人々をないがしろにし続けました。惨めなやつらに何が起ろうとも自分たちには関係ない、と思っていたのです。あの傲慢な貴婦人と同じく、彼らは実に利己的でした。

時が過ぎ、港の中では砂が増え始め、やがて船が錨を下ろすことができなくなってしまいました。事態はもっと悪くなっていきました。波が砂を押し上げ、水面に巨大な砂州が現われました。そのため、以後あらゆる交易はストップしてしまいました。ほどなくすると砂州は小さな緑の植物の葉で覆われました。人々は驚嘆して砂州を見つめました。

「これはあの貴婦人の砂州だ」と彼らは言いました。「あそこに生えて育っているのは彼女が海の中に投げ捨てた小麦なのだから。」

小麦はとても早く成長しましたが、実りませんでした。裕福な人々は交易が停止しても困りませんでしたが、貧しい人々は非常に困窮しました。今や彼らにはなすすべが何もありませんでした。彼らはお金持ちに助けを乞いましたが、嘆願は顧みられませんでした。

その後まもなく、町を守っていた堤防に小さな漏れ口が見つかりました。知らぬ間にこの穴から海水が町の貯水池に流れ込み、飲み水をすっかり駄目にしてしまいました。

お金持ちは、水が飲めないのだからシャンパンを飲もう、と言って笑うだけでした。しかし、貧しい人々はどうすればよいのでしょう。彼らはビールを一口もらおうとお金持ちの家の門に押し寄せましたが、乱暴に追い返されてしまうのでした。

お金持ちは言いました。「もしこの惨めなやつらが本当に死んでしまうとしたら、それは結構なことだ。やつらは一体何の役に立つというのだ。自分のためにも誰かのためにも何の役にも立たんじゃないか?」

スタフォーレンの裕福な人々は善き行ないをする最後のチャンスを逃してしまったのです。その同じ夜のこと、宴会を終えてご機嫌の人々が寝に戻る頃、海が脆弱になっていた堤防を決壊させ、押し入ってきた水は町中を覆ってしまいました。

かつてスタフォーレンの町があった場所では、今では波が明るい陽光に輝き、海から冷たい風が吹き込む時には、波は激しく海面をうち、しぶきをあげています。

今も昔の町の名前を帯びているわびしい小さな漁村から、船乗りたちは舟を漕いでやってきます。海面が穏やかなときには、彼らは櫓を休め、はるか水底にあるスタフォーレンの尖塔や小塔や邸宅を指さします。

波の下に横たわる昔の町の街路は、かつてあれほど賑わっておりましたのに、今ではうち捨てられています。市場もがらんとしています。何も音は聞こえません。ただ、教会の鐘楼の合間を泳ぐ詮索好きの魚が尾びれで鐘の一つにぶつかったりするような時には、悲しげな音が聞こえてきます。それはまるで沈める町を弔う鐘の音のように聞こえるのです。

これで「沈める町」のお話はお終いです。

今回のお話の舞台、ゾイデル海は、2000年ほど前には湿地帯と湖(「プレヴォ湖」と呼ばれたそうです)だったそうです。プレヴォ湖の湖岸は泥炭でできていて柔らかかったので波に浸食され、中世までの間には湖は大きくなっていきました。

その後、海面上昇や冬の荒天による高潮などのために湖岸がますます削られ、12~13世紀にあいついだ大嵐、高潮、洪水のためプレヴォ湖に海水が流入、泥炭地や砂丘、森林地帯が失われ、プレヴォ湖は「ゾイデル海」となったそうです。

1932年、ゾイデル海と北海との間を締め切る堤防が完成して、ゾイデル海は淡水湖となりアイセル湖と名称が変わったとのことです。



「沈める町」が収録されている物語集は以下の通りです。

今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。
次回をどうぞお楽しみに。


ヨーロッパの古い物語を翻訳しています。
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