ぜってぇ誰も真似できねぇ俺のライフ
はじめまして、またはお久しぶりです。
ローマの人と申します。
普段は「カードショップくじから」というお店で店長をしています。
これは2024年の総括のようなものです。気が向いたら読んであげてくれると喜びます。
あとこちらは宣伝になりますが、僕が店長をしているカードショップくじからでは、youtubeチャンネルを運営しております!毎週MTGやFaBの話をするラジオや企画、KMC様の決勝動画の解説などをさせていただいております!
https://www.youtube.com/c/cards_kujikara
この記事を読んでくださった皆様、お手数ですがぜひチャンネル登録よろしくお願いします!
2023年末日
僕には泡銭と言えるお金があった。2023年にエターナルウィークエンドヴィンテージで入賞した賞品である。
宵越しの金は持たないと言えば聞こえはいいが、どうせ現金化すれば無駄遣いするのはわかりきっていた。自分の性格は自分が一番良く知っている。だから僕は考えた。
そうだ!このお金、経験値に替えてしまおう!
そうと決めたら、行動は早かった。僕はそもそも来る2024年はFlesh and Bloodに力を入れると決めていた。MTGはありがたい事に固定の常連さんも、沢山の友達にも恵まれた。来年は新しい人たちと出会う年にすると決めていたのだ。だから僕は、ニュージーランドへ行く事に決めた。
2024年1月15日
僕は3人の友人と成田空港にいた。ここからオーストラリアのブリスベンを経由し、FaB始まりの地ニュージーランドのクイーンズタウンへと向かう、21時間を超える旅が始まった。台北やシンガポールまでしか行ったことのない私にとって、過去最大の大冒険だ。
私は残念ながら英語ができない。Fラン大学出の悲しい語学力は付け焼き刃にもならなかったが、共に行く友人達はしっかりと英語でコミュニケーションが取れる人たちだった。これには感謝してもし足りない。今でも、初の長旅をこの友人達と共に出来た事は34年になる自分の人生の中でも大きな影響だったと思っている。ここで最大の感謝を伝えたい。
サイドイベントのシールド戦の最終試合。カッサイミラーで時間切れになってしまった試合があった。対戦相手は
「君は日本から来たんだよね確か。ここは僕が投了しよう。君の旅行が最高のものになる事を願っているよ」
と僕に言った。こんな事がさらっと言える男になりたい。僕にとって忘れられない1試合だ。
Airbnbの使用。Uberの使用。かけ捨ての保険に国ごとの入国の条件や禁止事項。国ごとの部屋の特性など、慣れない事も沢山あったし、色々教わり、間違いなく2024年を生き抜く経験として一番価値のある8日間だった。(帰りに、僕だけオーストラリアの入国ビザが無く詰む所だったのはいまでも冷や汗モノだ。助けてくれたゆーごーさんがいなかったら僕は今でもニュージーランドで羊と戯れる日々だったかもしれない。助けてくれて本当にありがとうございました)
2024年4月4日
次に選んだのはタイのプーケットだった。特に理由があったわけではないのだが、クイーンズタウンはどちらかと言うと大自然に囲まれた場所だったので、せっかくだから観光地に行ってみようと思い、Callingプーケットへと行く事に決めた。日本人プレイヤーも多く参加し、僕もまた、友人と二人で行く事になったので安心感も強かった。
しかし、ここでもまた立ち塞がる物があった。
予防接種だ。
タイの治安や、環境下では避けられない予防接種が沢山あった。総額15万円。プーケットへの交通費より高かったが死ぬよりは安いと思い可能な限りケアした。そもそもカードゲーマーが、死をケアしないのはプレイに一貫性が無さすぎる。(ここでも、僕を助けてくれた方がいた。ヒロさんは僕に何の予防接種が必要か細かく教えてくれたし、もしかかるとどうなるのかも教えてくれた。バカでもわかる6つの「死にます」は何よりクリティカルだった。本当にありがとうございました)
プーケットでは、せっかくだから対戦相手と可能な限り話すことを目標にした。日本でカードショップの店長をしている事。日本でのワールドプレミアの開催が決まっている事などは話すきっかけとしては最高だった。出来損ないの英語力だが、ニュージーランドの時よりはコミュニケーションも取れた。
「何だこの変なジャパニーズ」と思われたかもしれないが、Zeebraも言ってたぜ、「成せばなる」
結果、沢山の海外のプレイヤーと仲良くなる事が出来た。彼らとはその先のイベントで何度も出会い、何度も話す間柄になった。持ち前の性格が生きた瞬間だ、偉大な母に感謝である。ありがとうございます。
「僕、プーケットおる間に糖尿病なって死ぬ!」と叫ぶくらい甘い紅茶と、辛い飯に翻弄されながらも4月に真夏を楽しめた最高の5日間を忘れる事は無いだろう。会場となっていたホテルのサービス、会場自体のサービスがあまりにも素晴らしかったので、もし次回またプーケットでイベントがある際は必ず参加したいと思わせてくれる魅力のある場所だった。
2024年5月17日
ワールドプレミア東京、ついにFaBに日本語が来た。MTGに4版あたりで日本語が来た時もきっとこんな感じだったのだろうか?
それはそれとして、凄く盛り上がっていた、日本国外からも沢山のプレイヤーが集まり、本当にお祭り騒ぎだった。
僕は、MTGのコンベンションやグランプリも大好きだ。本当に本当に楽しい。そして、プーケットで、クイーンズタウンで出会った沢山の人と再開する事が出来た。ありがたい事に皆は僕の名前を覚えてくれていた。この時ばかりは『Gen』という覚えやすく呼びやすい名前に感謝するばかりである。マイビューティフルマザーには感謝である。(ちなみに第二候補は、オグリキャップ引退後すぐ産まれたため
『オグリ』だった。危ないところだった)
ここでは、関東のプレイヤー・関西のプレイヤー・チーム BluePitchのメンバーとの飲み会が実現した。酒の飲めないおしゃべりデブを誘ってくれて本当にありがとう。企画してくれた関東の皆や間を取り持ってくれたどくいろ君には感謝である。ありがとう。
2024年7月6日
nationals。予選にはあまり出れなかったがレーティングで参加権は得た。命より大事なレーティングを守り続けた甲斐があったというものだ。
結果はあまりよくなかったが、ここでもまた沢山の友達が出来た。練習会にはあまり顔を出せなかったが、構築やプレイの相談に沢山のってくれたおかゆパイレーツの皆さんには感謝しかない。ありがとうございます。今後もよろしくお願いします。
翌日のプロクエストではYojiで決勝まで進む事が出来た。「コントロールの天才」と呼ばれるような未来を思い描いていたのだが、「Yojiのおじさん」と呼ばれるようになった、予定が違う。
そしてここで僕は思った。
目の前で世界選手権の切符を逃した。2023年もそうだった。悔しかった。凄く悔しかった。しかも今年の世界選手権は大阪である。
出ないの、もったいなくない?絶対後悔するよ。絶対後で「出ればよかった、ほんとに出ればよかった」って、部屋で泣くよ。そういう奴だろお前。
PTIを買う事に決めた。もう一度どこか海外に行くつもりだった予算をそこに回した。反省?後で思う存分する事にするよ。俺がNo. 1カードゲームドリーム。DashをLLにした日本人となる。そう決めた。
2024年8月15日
BMOというMTGのイベントが東京で開催されるため、それに参加する予定を立てていた。その時、おもむろに連絡が来た。
「マニラへの飛行機代、35000円らしいですよ」
安すぎるだろ。東京への新幹線と誤差やんけ。僕は東京の宿をキャンセル、マニラの宿の予約をとった。
流石に今回で3回目、飛行機の予約も慣れたものである。今回は友人と四人で日本を発った。治安が最悪と聞いていた空港に戦々恐々としながらも特に大きなトラブルもなく無事に四日間過ごして日本へと帰ってきた。治安が怪しい国に泊まる時にはなるべくいいホテルを取りましょう。お兄さんとの約束です。僕たちが泊まったホテルは会場からも近く朝ご飯も美味しくよかったと思います。(謎のあずき粥以外)
2024年10月13日
エターナルウィークエンドヴィンテージ2024でベスト8には惜しくも1勝足りなかったが、32位入賞したのでPTI代は取り戻した。よくやった。
2024年10月31日
FaB、Worldsが開催された。大阪で。
サイン会には8人のアーティスト、物販も沢山、サイドイベントも沢山。無限である。これが世界かってなりましたね。
本戦には当然、世界のあらゆる大会で見た顔が揃っている。記事やツイートで流れてくる強豪ばかりだ。
不思議と緊張は無かった。だって一番チャレンジャーなのはPTIを買った僕なんだぜ?あとは自分の用意してきた全てを思いっきりぶつけるだけ。負ける気せぇへん。地元やし。
「掴めNo.1カードゲームドリーム 胸はれ誇り高き日本人」
僕の今年最後で一番大きな戦いが始まった。
初日最終戦4-3ラインに僕はいた。この最終戦を勝てばDay2、負けたら初日敗退。バブルマッチという奴だ。
お互いのデッキはもう無かった、相手は最後にプレイできるカードをプレイして全てのリソースを失った。僕もまた全てのリソースを使って守らないと敗北するライフだった。この試合は引き分けになると考えながらブロックの計算をして差し出すカードを選んだ。
相手は言った
「ここはお前のホームタウンなんだろう?だったらお前が2日目に行くべきだ。投了するよ。頑張ってきてくれよ」
僕はその席から15分立ち上がれなかった。僕がもし同じ状況ならそんな事が言えただろうか?アーモリーじゃないんだぞ、世界の場なんだぞ?参加費も交通費もかけて来てるんだろ?俺より何倍も遠い場所から来てるんだろ?何でそれが言える?何で?
感情はぐちゃぐちゃになった。ただ一つ、どうあっても、明日どうなろうと絶対ドロップはしない。最後まで戦ってみせるぞ。そう決めた。
Day2
7-7で迎えた最終戦を僕は取り、8-7で最終ラウンドを終えた。
バブルマッチの彼は僕に
「どうだった?」と聞いた。
「8-7だった。なんとか勝ち越せたよ」僕は答えた。
彼は言った
「ナイスファイト、お前は凄い」
誇れる成績では無かったかもしれない。でも絶対にこのイベントに出た事は無駄ではなかった。そう思わせてくれた。きっと僕がこれからカードゲームを続けていくなかで、この試合を忘れる日は来ないだろう。
さいごに
ここまで読んでくれた皆様、ありがとうございました。僕の記事が、今後の誰かの競技イベントへの参加の足掛かりや、海外遠征への興味になればと思うばかりです。
僕はこの1年はずっといろんな環境、いろんなイベント、様々な国への挑戦でした。そんな中で出会えた人々や僕を助けてくれた人へ、今回は沢山の感謝を詰め合わせた記事になりました。
そして2025年の僕も、全力で頑張りたいと思っています。
道半ばあきらめた奴ら
ハードすぎて匙投げた奴ら
都会に飲まれた奴ら
今じゃ連絡も途絶えた奴らへ
誰も止めらんねぇハイパーな僕が、諦めた奴らの分も走るので、2025年も応援よろしくお願いします。
またどこかのイベントで会いましょう。