何者かになりたくて
僕は昔から、
『何者かになりたい』という謎の願望がある。
男の子なら、誰もが一度は思い描いたことが
あるのではないだろうか?
今日は
何者でもない僕が、何者かになれるのか。
というお話。
シザーハンズの衝撃
僕には小学生の頃の記憶があまり残っていない。
だが謎に、小学1年生の記憶で割と鮮明なものがある。
それが「シザーハンズ」という
ジョニーデップが出ていた映画。
(もちろん小1の僕はジョニデということはしらいない。)
なぜこの映画に打たれたのかはいまだにわからない。
25歳くらいの時に改めてみたが謎は解けなかった。
ただ衝撃的だった。
と、同時にとても強い憧れを抱いた感覚は、今での
なんとなく残っているのだ。
小1で、シザーハンズのジョニデに強い憧れを抱く。
かなり危険な滑り出しだとは思わないか?w
そして、工作の授業かはっきりはしないが、
それこそクリスマスの時期だった気がする。
みんなで自分の作ったもので、変身?しよう!
的な授業があった。
大体の男子は、5戦隊っぽいヒーローのお面や動物やロボット
女子は今で言うところのプリンセスやらお花やらそんな感じで
それぞれが、それぞれの変身を楽しんでいた。
そんな中、小1のROM少年(僕)は
新聞紙を細く丸め、先っぽは鋭く鋭利に尖らせ
その爪のようなものを一本ずつ指にはめていく。
それを両の手にはめ、一人何やら満足そうに
不敵な笑みを浮かべていたのだ。
こえーよ!!!!!!!!!!!!
我ながら、
こえーよ!!!!!!!!!!!!
やべーじゃんこいつw
こんな感じで僕の
「何者かになる」という願望の歴史がスタートしたのである。
こえーよ!w
念能力も使えなくて
それからの小学生の記憶はあまりない。
何者かには相変わらずなろうとはしていたと思うが
シザーハンズを超える衝撃はなく
ドラゴンボールにもそんなに反応せず
時は流れていった。
中学生の頃だったと思う。
再びあの衝撃に襲われる。
それは「ハンター✖︎ハンター」という漫画を読んだ時である。
誰に衝撃を受けたかって?
読んだことがある方なら想像できてしまうかもしれない。
そう、
『ヒソカ』だ。
なぜだ。
なぜ君はそういう類のキャラクターに惹かれていくんだ。
もはやヴィランではないか。
ヒーローではなくてヴィラン。
終わった。
水見式という、自分の念能力がどんな属性かを
調べる方法が漫画の中で登場する。
おそらく当時の中学生は、ほぼ全員がこれを
試したのではないだろうか。
たらいに水を張って、葉っぱを1枚浮かべるあれだ。
全員がやったことがあるだろうから細かいことは
置いておくが、
もちろん僕もやった。
たらいなんかないから風呂場から洗面器を
拝借してきて、水をはり、葉っぱを浮かべ
両の手を葉っぱに向けて
そして念能力を「んんん!」って感じに送ってみた。
何かが起こるわけがない。
やる前に気がついてくれw
『ヒソカ』にはなれないんだとがっかりしたのを
覚えている。
アメコミのヒーローに憧れて
ちなみに、成人してからのちょっと恥ずかしいはなし
大人の仲間入りを果たしたわけだが、
僕は真剣に
「バットマン」になれると思っていたし
(御曹司じゃないから無理)
アイアンマンにもなれると思っていた。
この頃になると、ちゃんとヒーローっぽいのに
憧れを抱くようになったみたいだw
『何者か』とは何者だ?
僕はいつも
何者かになりたかった。
ヴィランでもヒーローでも
なんでもよかった。
ここでいう何者かというのは
きっと自分ではない何か。
だったのではないか、と思う。
今の自分に自信が持てず、
影響力や、能力が秀でている
何者かになりたい。
そうやって今の自分から目を逸らしたかったのかもしれない。
何者でもない僕
どんなに頑張っても僕がアイアンマになることは
かなり厳しいと思う。
でも諦めなかったら僕もアイアンマンになれるかもね。
でも、今はアイアンマになりたいとは思わない。
どうしてかって?
それはね、
何者でもない僕でいっか。ってなったから。
何かになれなくても、今のままでまあいっか。ってなったから。
別に空を飛べなくても
弾丸を弾くスーツがなくっても
困っている人を助けることはできる。
そう思ったから。
何やら壮大な話になりそうだ。
象徴
彼らは僕にとっての憧れで、そして象徴だった。
外見や能力がそれと同じでなくっても
僕も彼らになれるってことに気がついた。
要は、『在り方』なんだ。
ヒーローをヒーローたらしめるのは
外見ではなくてその行いや在り方そのもので
つまり、僕も今、この瞬間に
ヒーローになれるってこと!
だいぶ痛いやつだ。
自分で書いていて、気持ち悪くなってきたw w w
でもいいじゃない。一人くらいこんなやつがいても。
僕は何者でもない。
何者かになろうともしない。
なぜなら何者かになるためには
何者であるか。を決めることだと気づいたから。
何かに憧れることが悪いというわけではない。
憧れから
何を感じ
何を学び
どう活かすか
それを考えることこそが
何者かになる。
ということなのはないだろうか。
おしまい