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生きるために食うか、食うために生きるか
生きるためには食わなければ
僕らが生きていくためには、食わなければならない。
こんな当たり前のことを
考えたことがあるだろうか。
食をめぐり、今日もどこかで
食べ物論争が巻き起こっていると思うが
僕も今日はその渦に巻き込まれてみようかと思う。
動物としての僕ら人間は
他の生物(6~7割は水だが)の
命を頂戴することでしか生きられない構造をしている。
地球上で生存している生き物ほぼ全てが
誰か別の命を食べて生きているのと同じように。
だから生きていくためには、食わなければならない。
だけど、生きるために、食うぞ。
って食事を口に運ぶ人は、果たしてどのくらいいるのだろうか。
おそらくそんなに多くはないだろう。
昨今の日本で、食事にありつけない。なんてことは
ゼロではないだろうが、ほぼないに等しい。
だからこの感覚が
カルピスを20倍希釈したくらいに
うっすくなっているのだ。
そんなカルピス、飲めたもんじゃない。
卵は高級品だった
今となってはそんな日本だが
昔は米を腹一杯に食えない時代が
あったとか、なかったとか。
卵はえらく高級品で、お金持ちしか
食べられなかったとか。
お米も高級品で
庶民は稗とか粟を食っていたとか。
今みたいに、好きなものを好きな時
食べられるっていう世界線じゃなかった。
知らんけど。
ワンピースのワノ国編はその辺の時代を
描写しているのだろうか。
知らんけど。
ゆで卵を6個も食べられる時代
でも今は違う。
好きなものを、ある程度は好きなだけ
食べることができるようになった。
高級だった卵だって
1日に6こ食べることだってできる。
僕はゆで卵を6個も食べる気にはなれないが
それでも大好きなお寿司は
毎日だって食べていられる。
なんの話だ。
いい時代になったな!という話だ。
おまえさん何歳だよw
僕はゆで卵を6個も食べれる時代で
生まれてきたもんだから、
23歳くらいで一人暮らしをして
本当にお金がなくって
もやし(当時9円)か、夏は10束で199円の
トップバリューの素麺を1日1束、
19円分しか食えなかった時期を除いて
ご飯をお腹いっぱいにいただけている。
おありがてぇ。
感謝も20倍希釈
そんな時代だから、
ご飯を食べれてありがたい。なんて
滅多に思う機会はない。
これが僕は実に悲しい。
そんなことを言っている僕自身
常に感謝して、食っているかというと
そんなこともないのだ。
実に悲しい。
僕の感謝も
カルピスの20倍希釈のように
もはや色、付いてますの?ってくらいに
うっすうすである。
このままではまずい。
どう考えても良くない。
僕は肉よりも魚派だが、
もちろん肉も喰らう。
だからもっと感謝をしないとだ。
そんなことを
今するめを食べていてふと思ったので、
こうして記事にしてみている。
イカさん。ありがとう。
食べたものでできている
僕らの今を作っているのは
10年前に食べたもの。って言うのを
聞いたことがある。
その時口にしたものの栄養で
今が作られているんだ。と。
10年前に食べたものを
なかったことにはできないが
これからの10年をどうするかは
いま何を食べるかで変わってくる。
だとするならば、できるだけ
体にいいもんを喰らう方がいいだろう。
だけどここで僕が感銘を受けた
お話を聞いていただきたい。
ひとりさんの名言
ある時一人さんのスピーチ?だか
何かをYouTubeで聞いていたときに
ひとりさんが言っていた一言。
「食べ物を食べるときに、これが体に悪いとか
それは毒だとか。そんなことばかり言ってるから
体にとって毒になるんだよ。
人間は生き物からしか栄養をいただけないんだからさ。
だから、お陰様でって手を合わせていただくんだよ。
そうしたら、毒でもなんでも大丈夫なんだよ。」
空覚えなので若干違っているとは思うが
大体のニュアンスはこんな感じだったと思う。
これを聞いたときにハッとした。
食べ物に対して僕はとても失礼なことをしていたんだ。
と気付かされた。
そうだよな、もし自分が
何かに食べられるとして、
そんなときに
「あーこれ食べると毒なんだよなぁ」
とか言いながら食べられたら
たまったもんじゃない。
絶対に呪ってやる!と思うに違いない。
だから僕たちはご飯をいただくときってのは
感謝して、お陰様で。って食べなきゃいけないんだ。
手を合わせて、いただきます。
って言うのはそういうことなんだろな。
大人になるとさ
わざわざ手を合わせて
いただきますってしなくなってたな。って
気付かされた。
これからはちゃんと
「いただきます」を言おうと思う。
そういえばキリスト教の人は
ちゃんとアーメンって言ってから
食べてるよな。
食べるために生きる
そう考えるようになると
どんなものでも美味しく感じるようになった。
気がする。
僕は食べることが好きだ。
どうせ食べるならそりゃ美味しい方がいい。
何より、素材そのものの味が
ちゃんとわかる。
それが大事だと思っている。
生き物で料理をするのは
人間くらいだろう。
他のみんなは基本、そのまま行っちゃうもんね。
大体、なまだしね。
なんなら生きてるまま行っちゃうもんね。
なまじゃ流石にやばい時もあるから
然るべき調理は、僕ら人間には必要だが、
できるだけシンプルがいいなと思う。
生きるために食うか、食うために生きるか
どうせいただくなら
食うために生きて、美味しいな、ありがたいなって
感じて食事をするようにしたいものだ。
おしまい