教える前に「難しいよ」とハードル上げる変な話
自分はいろいろ人から教わるのが嫌いなほうではない。もちろんそのまま受け入れる場合と、検討して少し変形したり自分なりの解釈をするという当たり前のことを前提とした話ではある。
ゆっくり紐解けば自分でわかるはず
自分の場合、学習する対象とか内容について、あまり予断をもたずに、率直にまず理解することから始めるようにしている。その場合の前提というか考え方は、「ゆっくり紐解けば自分でもわかるはずだ」 ということだ。
これを言い換えると、人間みんな同じ程度なんだから(極端な天才を除く)自分にだってわかるはずだ、ということである。したがって、自分の場合、人に教えることを仕事としてやっている場合もあるので、「ゆっくり紐解けば、私がわかったんだから、みんななら絶対わかるよ」というスタンスで臨んでいる。これは意識しての話ではなく、私自身が逆の立場でそう思っているからだと思う。
教える内容が、少し複雑だったり、面倒だったりする場合はあるが、ゆっくり紐解けばそれほど難しい話はあまりない(前提となる知識やレベルの問題はあるから、必要な時間は異なる場合はある)。時間がかかる場合、根気の問題で理解を放棄してしまうケースはある。
教える前に難しいといってハードル上げる人を自分は信用しないようにしている
ところが最近、不思議なことに気が付いた。「教える」と言ってる側が、教える前の導入に際して、「これから教える内容は難しいよ」、と実質的にいってハードル上げるケースがあることだ。これだと、教わる側は、最初からあきらめるとか、いやになるケースが増加するはずだから、本当の意味で教える気はないのではないかと思う。自分はこういうことを言って教える人については信用しないようにしている。裏に、別の意図があるような気がするからだ。
最初にこのことに気が付いたのは、「○○枚目の名刺」とかいう法人の「アラフィフでも2枚目の名刺は始められる!」というコピーを目にした時。
この文章「アラフィフでも2枚目の名刺は始められる!」は アラフィフ」は普通、二枚目の名刺を持つことは難しいんだよ(・・でも)かなり頑張れば二枚目の名刺をもつことが「できる」(でも できる)かも
となる。
そもそも二枚目の名刺をもつことを促進する側が、わざわざアラフィフの場合には「難しいいんだ」とハードルあげて印象付けする意図がわからない。
気にしていたら、他にもあった。「保険は難しいとお思いですよね」から始める保険教育。これもびっくりである。
自分は保険やリスクの研究者でもあるし、教えたりもする。しかし、保険が難しいといって話を始めたことはない。そもそもこれほど合理的で理解しやすいものはないはずである。これを難しくしているのは、売れるように複雑怪奇な商品にしてしまった業界の問題はある。しかし、これも分解してゆっくりひもとけばわかるはず。だいたい業界で仕事してる人だって、普通の人である。これは私がその業界にいたからよくわかる。大半は普通のレベルの人間である(私を含む)。
難しいよと言ってハードル上げる人の話には気を付けようと思う。