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許される「差別」のある不思議

 世の中では、なぜか正面から許される差別が存在している(と思う。私見です)。

 「許されない差別」としては当然だが、人種差別や女性差別、障害者差別などが代表である。

 これに対して、寄ってたかって大手マスメディアからアカデミックの一部にいたるまで、許される差別が「おっさん差別」である。

 最近、少しおとなしくなったかと思っていたら、またまた出てきた。おっさんは、ネットリテラシーがなく、その事例として、職場におけるおっさんのPCリテラシーの低さ、保守的傾向などが語られる。これらは、すべて否定されるべき「おっさん」の特性として語られる。

「おっさん=無能力、保守的、みじめ、それらを象徴する存在」として定義

 驚くべきことに、結構著名なアカデミック(大学教授で、人材とかキャリアとかについて多く発信している)の人が、「女性も気を付けないとおっさん化する」とか書いている。だったら「おばさん化」でいいではないかとおもうが、これがダメなのである。

 「おばさん化」と書くと、女性差別になって非難されてしまうかもしれない。その点、「おっさん」を悪者にしている限りは、どれだけ差別したって、みんな受け入れてくれる。というより、大手マスメディア等が積極的に差別して社会的に助長してくれている。これにのらない手はないということのようである。さらに当のおっさん達だって「差別だ!」といって、抗議したりするやつは出てこない。

 私は根本的に差別が許されないと思っていて、それはどの対象であっても許されないと思っている。その上、私自身が年代的にも立派な「おっさん」である。したがって「おっさん差別」も他の差別と同様に許されないと思っている。

 判断基準が外にある人達

 しかし世の中を見ていると、大手マスメディアやアカデミックでも、「ダメな存在としてのおっさん」を明確に表現し差別している。だから「おっさん差別」はしても許される。許されないのは、大手メディアやニュース等外側で非難されるものだけである。

 内容が差別かどうかではなく、「差別してはいけない」と明示されたものだけ「差別ゆるすまじ」とすればよい。

 自分は、こういう情けない人間にならないようにしようと思う。問題は個々の人間である。世代、宗教、人種、様々な属性で切り取って、その切り取った特定の属性をバカにしたり、差別することが許されるとは到底思えない。まあ、こういう考えは少数派だけどね。
 

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