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質より量な時もある。

年が明けました。

年末年始、何をしていたか?

・・・大量に漫画を読んでいました・・・

引くぐらい大量に、寝る時間も惜しんで。

しかも、少女漫画をね!!

今や漫画がアプリで読める時代!(遅いよ!通学・通勤風景変わって何年経ったと思っているんだ!)

便利なツールを手に入れたわたしは、朝に夕(夜中)に、隙間時間に、ひたすら漫画を読んでいました。コミックエッセイ以外の漫画を、しかも少女漫画を読む・・・いつぶりなのかも思い出せない。下手したら20年近く読んでない可能性だって(汗)

きっかけはふとした気分転換のつもり・・・だったのですが、これが、ハマったのです。

何にハマったのか?

それは・・・「人が恋に落ちる瞬間」、その、ケース集め。

ヒロインは、高校生や学生や、最高でも32歳(絶妙だよね、この年齢)という設定で、ヒーローは大体イケメンだし(あと、「御曹司」設定が多すぎる、なんなんだこれ)、すっかりオトナになってしまった私には、「いやいやいやいや〜」みたいにツッコミたくなるところも多々あるのですが、それ以上に、ヒロイン・ヒーローが、「なんか、この人・・・」と気になり始めてから、「これが、好きってことなんだ」的に「落ちて」いく感じ、ふわふわした気持ちやもやもやした気持ちを内省したりぶつけ合ったりして、育んで、「信じている」関係に深めていく感じに、いいねいいねいいね〜!!と。

得意の速読を活かし(自分でいうのもなんだけど、引くぐらい速い)、いろんな作品をどばばばーっと読んで、どっぷり少女漫画脳に浸かり、ひったひたになったところで、その、「すてきな気持ち」がふつふつとよみがえってきた。

すてきな気持ち・・・いわゆる「きゅんきゅん」である。

恋愛には、この「きゅんきゅん」が凝縮されている。

でも、大事なことは・・・これが恋愛に限ったことではない、ということ!

「人が、人を知り、人と関係をつくっていく」ことに共通する、甘かったり痛かったり、それでもって、尊くて奇跡的な、つながり。ご縁。

ただすれ違う人は、ただの他人なのに、何のご縁か、挨拶を交わしたり、話をしたり、ともに学んだり、仕事をしたり、食事をしたり・・・

他人が、自分にとって関係のある人に変わっていく瞬間の「きゅんきゅん」。いろいろな瞬間が積み重なって、自分(たち)だけの特別な時間になって、人生になっていく。

あわよくば、その人(たち)と関われたこと、一緒にいられる自分を好きだと思える幸福。

わたしは子どもの頃からお友だちをつくるのが苦手だったし、大人になったらなったで、何やらやっかいな人間関係に巻き込まれることも少なくなかった。それらの考察はまた別の機会においておくとして、たぶんにだからこそ、ずっと「きゅんきゅん」に敏感だったし、それが面倒で逃げたり、逆に近づきすぎて気まずくなってしまったりしたこともたくさんあった。

「人が苦手で人が好き」という「ねじれ」を抱えたまま、むだにきゅんきゅんしながら経験を重ねてきたけれど、そういえばここ最近は、その「きゅんきゅん」を、無意識にどこかに閉じ込めていたように思う。年齢や役割や、自分の立場的なものが、出会う人出会う人にきゅんきゅんして傷ついたり舞い上がったりしてしまうことを回避しようとしていたのかもしれない。あるいは単に、「そういう人がもうまわりにいなくなってしまった」という現実や、または、「そういう人を求めて出かけよう」という意欲の消失が、自分が若さを失ってきていることの象徴的な現れのように感じて怖かったのか。いずれにしても、自己防衛的なものが働いていたようだ。

でも・・・

人がこわくて、でも人を知りたくて、近づきたくて。

きゅんきゅんしない自分は、半分死んでいたのではないか?(これが本当の「キュン死」?・・・失礼しました・・・)

そう、人がこわい!でも、人を知りたい!近づきたい!

表面上、うまくやるなんてこと、器用にはできないのです。気になる人とは、関わりたい。そして、好きだと思った人とは、徹底的に関わりたい!だからわたしは、動こうと思う。人に、出会いに。

そういう気持ち、自分の大事に向き合う気持ちをひとたび確認すると、思いがけず世界がキラキラして見えてくるから不思議。

わたしの近くにいる人も、ただすれ違っただけの人も、みんな、心の機微を抱えて、生きている。わたしとその人の関わりが、これからどう展開するのかはわからない。誰にもまだ見えていないストーリーがそこにあって、人生はそうやって紡がれていく。あっちで、こっちで。単調なようで複雑で、真剣なようで滑稽な。

J-POPの歌詞もいちいち沁みるようになってきたし(その感覚が戻ってきたし)、ビジネス書を読んだって、著者に人としての興味を持てばこそ、いきなりラブレターのような気がしてきちゃったりもする!

そんな、鈍感になっていた部分を、ガンガンと揺さぶったのは大量の少女漫画。

意外にも、二次元への現実逃避が現実受容の突破口になったというわけ。これはまさに、ショック療法?質より、というと、漫画家さんに失礼なのは承知のうえで、今回については、その量が、効いたのは間違いない。

「心」が「お亡くなり」になっている(「忙」!)時にこそ、心を揺さぶるカルチャーに引くほど(ここポイント)大量に触れることが、治療になることがあるんだなと実感した年始。

次なる課題は・・・そろそろ、漫画を読むのはやめて、睡眠不足解消に、かかろうかな。よい出会いには、よいお肌が必要・・・っと。。。

それこそ漫画のように、気づいたら夕方、っていうくらいまで、眠ってみたい。

※余談ですが、元『りぼん』っ子のわたしとしては、現代の「少女漫画」のエロさに驚いています。本当に少女(未成年)が読むの!?・・・をはじめ、少女漫画考察もいずれ、まとめてみたいなぁ。


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