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【感想】アルジャーノンに花束を

 自分と違うものを受け入れるのは勇気と時間がいる。この本を読んで、最初に思ったことだ。知的障害など、見た目で分かるような違いは分かりやすいが、もっと細かい、個人の感情レベルで、「違うもの」と思って排除してしまっているもの、障壁はたくさんあるのではないだろうか。

だれでも、なにかを軽蔑するもんじゃないですか。あなたは、いかさま師や芸術家気どりの奴らを軽蔑しているんでしょう?

アルジャーノンに花束を

 フェイとチャーリイが初めて会ったときに交わした会話の一部だ。私はこの言葉に背筋が凍った。まさにその通りだ。私も誰かを軽蔑しながら生きている、と思った。自分の考えと合わない人、行動の意味が理解できない人を、「自分とは違うもの」として排除してしまっている。ただ、何とも難しいと思う点が2つある。1つめは自分の心身を守るためにそうせざるを得ないときがあること。そしてもう1つは、軽蔑する対象や事柄は、立場によって変わってくるものであること。

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 手術後のチャーリイがウォレン看護学校を訪問するシーンで、印象的なシーンがある。

金や物を与える人間は大勢いますが、時間と愛情を与える人間は数少ないのです。そういう意味ですよ

アルジャーノンに花束を

 金や物を与えるのは簡単だ。しかし時間と愛情は、なかなか与えられるものではない。与える対象に、重要な意味を見出していないと難しいことだと思う。しかし人間にとって愛情がどれだけ大事か、チャーリイは見出していく。

人間的な愛情の裏打ちのない知能や教育なんてなんの値打ちもない

傲慢で、自己中心的なしろもの。チャーリイとは違って、友だちも作れなければ、他人のことや他人の問題を考えてやることもできない。そして、自分だけにしか興味を持たない

アルジャーノンに花束を

 この言葉もとても印象に残っている。高い知能を持つことで全てが解決することはなく、人間は人間的な関わりを持ってこそ力を発揮できるものということだろう。私もまだまだ人間の修行中だが、ここに人生のミソ、があるような気がしている。

 チャーリイがだんだんと家族の記憶を思い出すシーンは辛かったが、父、母、妹との再会のシーンも辛かった。チャーリイにとっては父も母も妹も1人しかいない、家族の愛情を求められるのはこの3人しかいないのだ。妹のことを優しく許す姿は本当に温かい人だと思った。そう考えると、こんなに温かなチャーリイを育てた(最後まで育ててはいないが‥)ゴードン一家はいい家庭だったのかもしれない。チャーリイを目の前にして、問題を解決する方法が分からなかっただけで。


 ウォレン養護学校に行くときのチャーリイは、手術後に知的レベルが上がった自分自身のことをこのように言っていた。

ぼくににているけれどもそれがぼくだとおもわないのわそれはぼくが窓からそのひとを見ているようなものだからです

アルジャーノンに花束を

 これはチャーリイが単純に手術前後で解離性同一性障害のような症状が現れていた、と捉えることもできる。しかし読後に私が感じたのは「チャーリイはいつでも変わらない」ということだ。アルジャーノンが迷路を成功させないと餌をもらえないことにおかしいと思う気持ちも、自分が実験のモルモットのように扱われ、人間として扱ってもらえないことに対し憤りを感じているところも、そしてニーマー教授をよく思っていないところも。手術をしてもしなくても、チャーリイはチャーリイだ。

 高い知能を持ち、その感情を表現する方法が変わっても、チャーリイという人間は変わらずに存在していた。これをずっと理解して伝えようとしてくれていたのがアリスだったのではないだろうか。そしてチャーリイもこれを感覚レベルで理解していたのだと思う。だからアリスを愛した。間違えてキニアン先生の授業に行ってしまったとき、チャーリイはウォレン養護学校に行くことを決める。これを愛と言わず何と言うのだろうか。

この世かいにあるなんてしらなかったたくさんのこともおぼいたし、ほんのちょとのあいだだけれどそれが見れてよかたとおもているのです。それからぼくの家族のことやぼくのことがよくわかたのもうれしいです。みんなのことをおもいだしてあうまでわ家族なんかいないのとおんなじでしたけれどもいまわ家族もあることがわかっているしぼくもみんなみたいな人間だとわかっているのです。

アルジャーノンに花束を

 チャーリイがこう思っていることに安堵した。どんな知識よりもこの思いが一番重要で、チャーリイは手術を受けてよかったと思った。
 アルジャーノンは、どうだっただろう。チャーリイに、花束を添えて欲しいと願われることは嬉しく思っているのではないだろうか。そう思いたい。

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