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【佐伯祐三と同時代の赤レンガ壁展示室にて】佐伯祐三 自画像としての風景 東京ステーションギャラリー


以前、目黒区美術館で木村伊兵衛が1940年代にカラーで撮ったパリの写真を見る機会があった。
それは近代の画家たちが見たパリの風景に近しい色彩なんだろうな、と感じたのだ。
写真で答え合わせをするようなそんな感覚。

アジアとはまた違う種類のポスター広告があふれるパリの街角。

今回の佐伯祐三展のパリの風景も(新宿の風景も)そんな写真の色を思い出しながら、タイムトリップをできるような、そんな展示だった。

【自分が見た中で印象深かった作品】


カニの絵である。
最近カニ🦀づいてるな…

茹で上げられたにもかかわらず、鮮度が悪いからと、処分されたカニを題材にサッと描き上げた作品。
しかも描いた後、佐伯自ら、カニをまるごと食べたらしい。
食べるも描くも同じ一連の動作のように想像してしまう。
佐伯作品の画面は茶色〜グレーの無彩色が多い印象だが、鮮やかなカニのバーミリオンは展示品の中では異彩を放っていた。

【100年前の絵の具事情も考える】

色彩については、本人の意思とは別に、100年前の絵の具事情も加味しながら見ねばならないと最近考えている。
「暗い内面を反映した重い画面…」的な解説を読むこともある。
確かにそれもそうかもしれないが、一方でその当時の絵の具の品質等、科学的な要素や、社会的な物資面・金銭面の貧しさ、なども同方向に考えておきたいな、と思っている。
でないとただの暗い絵になってしまう。
「そんな物資の背景もありながら、何をどう描きたかった」も考えてみたい。

【年表上に書かれた「終わり」は知っているけれど】

1928年8月16日 没
と年表には描かれているけれど、そこに展示されている絵は到底「終わり」を感じさせないのだ。
ただ彼の死は半ば自分の意思を持っての死だった可能性もありそれと、作品を描くことの終わりはイコールではないのではないか、と思い知る。

いや、それは私の想像する「絶筆に近い絵ってこんな感じ」という妄想や先入観なだけであって、実際は想像もつかないこと、実物を描いてみる、みるまでわからない事だらけ、だ。

会場の東京ステーションギャラリーは重要文化財。作家が生きた時代のレンガだと思うとグッとくる。
丸の内出口の天井

【ほんのりと、各美術館がリンクする瞬間がある】

5月28日まで開催している東京都現代美術館のディオール展。チケットが取れないと話題だが、じつはその会場に佐伯祐三の妻、佐伯米子氏の作品が展示されている。
1965年制作の「山の花」。
東京都現代美術館の所蔵品である。
佐伯祐三が亡くなった1928年から37年後の作品。
彼女は描くことを続けていた。

場所は違うが、同じタイミングで2人の作品を見ることができてよかった。

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