エッセイ 「静かの海」のナゾ 後編
中編で、月面地形の和名を統一したのは日本天文学会ではなさそう、な感じでしたが、天文月報の思わぬところに突破口がありました。
では、ナゾ解きの後編です。
1960年の天文月報を読んでいくと、
天文月報 1960年(昭和35年)11月号 の目次に広告があります。
東京天文台 関口直甫著「月面裁判」 300円
中野繁著「月面とその観測」 380円
「月面裁判」! なんですか、それ!
関口氏は、中編に出てきた 天文月報「月への飛行の力学」 を書いた方ですね。
…
どっちも図書館で読めそうです。Go
まず、
「月面裁判」関口直甫著 出版社 恒星社厚生閣 1960年(昭和35年)11月発行
裁判っぽいドラマ仕立てで月面の地形の起源が語られていて、海の名前は
豊かの海、静かの海、晴れの海、雨の海、嵐の大洋、雲の海、危機の海、神酒の海、湯気の海、氷の海
と、もう決まっているかのようです。
ウィキペディアとは少し違いますが…
そして、なんと!
本には、和製「月面地図」が折り畳まれていました。
「静かの海」が載っています! おぉぉぉ
次は、
「月面とその観測」中野繁著 出版社 恒星社厚生閣 1959年(昭和34年)
月の地形や観測の仕方が詳しく語られています。
「Ⅳ. 月面地誌 §1. 月の海」の中の ⚫️静かの海(M.Tranguillitatis) に、
「静寂の海、または和の海ともいわれ、」とあります。
…
つまり、
「静かの海」「静寂の海」「 和の海」の中から、「静かの海」を選んだってことだよね! じゃぁ、この中野氏が?
この本にも月面地図が折り畳まれてます。
「月面裁判」の地図と同じっぽい。
6章「月面図と参考書」に色々と資料が載っています。
その中で、
村上定男監修、小島修輔編「月面図と全天星図」(地人書館) に、
「観測用月面図としては日本で唯一のもの。国際天文同盟で決定された固有名の外に、ウイルキンスの新固有名もふくまれ、詳しい表もつけられていますから、月面観測家には、非常にためになります。」とあります。
中野氏が「ためになった」月面図… ほほぉ... 調べねば
参考書の、一戸直蔵 「月」大正元年 絶版 も気になります。
まず、「月面図と全天星図」
国会図書館にも近くの図書館にもありません。ムゥゥゥ
次に、「月」
1909年(明治42年6月20日発行) 一戸直蔵 著 東京帝国大学理科大学講師
国会図書館デジタルコレクション で読めます。
P.98 「~又黒く見えて、如何にも海ではないかと想像さるる処もある。略
是等に静穩(おん)海、睛の海、寒の海等の名を附して居る。~」
静穩(おん)海! なんか、明治っぽい。
P.111「~是れは所謂月界の海の一(ひとつ)で、其名は『危(アヤフ)の海』と称せらるる一種異様な名がついて居る。~」
なんと! 危の海と書いてアヤフのうみ って読むんですね。
P.114「危の海の下方に見える海は豊饒の海と称せらるるが、この名を附した人に月世界に幸な生活をなして居る人を想像したのは、ありありと心頭に映ずる。此海から少し下方にある海は神酒の海と称せられているが、天文学者の創造がいかに理想の楽園を希望したかが分かるであらふ。是等両海の間に夢の浅瀬と称せらるる所すらある。さらに神酒の海を出でて少し北方へ向ふと『和(ナゴ)の海』と称せらるる大洋に入込む。地球上で最も大なる大洋が甚だ平静であるのを考ふると、月界の大洋もよし最大でないにしても静穩なこと想像していいであらふ。さらに和の海の上方に、又大洋が見える。此處が睛の海と言う名が附いて居るが、如何に昔時の天文学者が平和にあこがれて居たかは是等の考で益々明瞭である。~」
和の海は、ナゴのうみ って読むんだ。
1909年当時は「静かの海」を、「静穩(おん)海」や「和(ナゴ)の海」って呼んでたんですね。
明治のちょっと芝居がかった文体が、読んでいてスゴく楽しい。
ていうか、114年前の本を読めるって...ちょっと感動です。
ここまでの「静かの海」の変遷をザックリまとめると、
1909年 「月」(一戸氏) 「静穩(おん)海」「和(ナゴ)の海」
1943年 「月の話」(山本氏) 「静寂の海」
1959年 「月面とその観測」(中野氏) 「静かの海」
「静かの海」と和名を統一したのは中野氏ですかね?
でも、同じ年 1959年 ルナ2号月面衝突の新聞記事に「静かの海」が使われていたことが引っ掛かります。
慣用っぽく名前が使われるようになるのには、もう少し、年単位の時間が掛かる気がします。
「月面とその観測」出版前に、何かが、1943年から1959年の16年間に、「静寂の海」を「静かの海」にする何かがあったんじゃないかと。
図書館検索で「月面」を調べてたら
「 月面ガイドブック」高橋 実著、出版社 誠文堂新光社 出版1974年
を見つけました。
1974年の少し未来から、この時代を見られるかもしれません。
さっそく図書館へ…
月面ガイドブック
3.月面図と参考書 に「中野月面図」や「小島月面図」、エルガーやウィルキンスの月面図が紹介されています。
「中野月面図」は「月面とその観測」に折り畳まれてた月面図のようです。
…先にこの本を読んでおけば
ただですね、中野月面図の説明に「ガイド役としてよりも、いくらか観望に慣れてきた時に目新しい地形を書き込むのに惜しげなく使えるものとしてお勧めします」とあるんです。 ん? 簡易版?
そして、「小島月面図」
「日本人が作ったものとしては最大で最精密な月面図。直径54センチで、I.A.U.(国際天文同盟)の決定による782カ所の月面地名表がつき、これに付された数字と図に書きこまれた数字を対比させることで地形名がわかります。略
光学会社の社長で月面観測に情熱を注いだ故小島修介氏がつくったもので、「月面の地図」(地人書館)の名で発表されています。略」
なんですと! 「月面の地図」!!
…
国会図書館にはありませんでした。
が、図書館検索で調べてたら、近くの図書館にありました。 Go !
「月面の地図」小島 修介著、出版者 地人書館、出版年月 [19‐‐]
「静かの海」が載っています。
最精密… なるほどです。
この図書は、A3サイズの見開き1枚と大きな地図、2枚だけの構成です。
不思議なことに、どこにも発行日らしき記載がありません。
図書館の方にも調べてもらいましたが、分からないとのことでした。
ただ、見開きに こうあります。
「この"月面の地図"は、昭和27年(1952年)に学術用として、わが国で初めて作られた"地人書館月面図"をより精細に校閲修正して完成したもので、略」
これですね!
1943年の「月の話」から、1959年の「月面とその観測」の間のミッシングリンクを埋めるのは「小島月面図」のようです。
辿り着きました。
「月の話」から「小島月面図」に至る、月面地形の和名を決めていく過程には、おそらく小島氏だけでなく、この時代の天文学を志す人たちがたくさん関わっているんじゃないか、と想像できます。
ですが、1952年にわが国で初めて作られた最大で最精密な月面図に使われた和名は、著者である小島氏が決定したはずなので、Mare Tranquillitatis あるいは Sea of Tranquility を「静かの海」と訳したのは 小島修介氏 であると、そう考えます。
もし、1943年から1952年という戦中戦後の、月面地図に魅せられた人たちの文献に出会えれば、謎を深掘りしても良いかもしれません。
「誰が」は解りました。あとは、何故「静かの海」なのか、ですが。
本当のところは小島氏に聞かなければわかりませんが、小島月面図を見ていて感じました。
海の名前を「~の海」で統一するのであれば、Sea of Tranquilityの和名は、
「静寂の海」「静穩の海」「和(ナゴ)の海」「静かの海」
の中から選ぶことになります、よね。
情熱を注いだ最精密な地図を邪魔しない相応しい和名をこの中から選ぶとすれば、この月面図を目にするさまざまな世代の人に、
見やすくて、読みやすくて、覚えやすい「静かの海」
を Mare Tranquillitatis に冠したんじゃないかと。
この熱い時代に魅せられた、私の妄想ですが。
私の中で、ナゾは解けました。
楽しかったぁ!!!
最後に、
「月面図」で検索したら「月面の地図」が引っ掛かるぐらいのA I っぷりがあっても良いですよね、図書館検索にも。
おしまい