DCドラマ Smallville 20周年
以前、「のだめカンタービレ」が今年で20周年記念ということで、コミックも新装版が発売されていまして、以下のような記事を投稿しました。
同じ2001年に太平洋の向こう側で始まったドラマ『Smallville』は、当初の予定を越えて10年続きました。
そして、その後同じDC系列の『Arrow』が誕生して、その後のDCドラマの興隆につながる起点となった記念碑的ドラマでもあります。
現在、日本のワーナー・ブラザースのHPでもDCコミックスのドラマとして紹介されている番組だけでもこんなにあります。
『Smallville』とは?
Smallville とはスーパーマンが幼い頃に宇宙船に乗って地球に到着したのが、この名前の町というか村だった、という設定になっています。
そして、ドラマ『Smallville』は、幼児だったクリプトンから来た少年が、スーパーマンに成長するまでの物語です。
「Small」な「Village」ということで日本語に訳すと「小さな村」。これでは確かに日本人にとってあまりなじみがない『Smallville』ですが、アメリカやイギリスの方々に『Smallville』というと、胸に「S」マークをなぞってくれたりするほど、「Smallville」=「スーパーマンの育った町」として認識されています。
ちなみに、この「Smallville」はもちろん架空の町ですが、カンザス州にあるとされています。
なぜカンザスになったのかは、どこかに書いてあるのかもしれませんが、今の時点では見つけられませんでした。原作者のジェリー・シーゲルはオハイオ出身、作画のジョー・シャスターはカナダ出身と、どちらの故郷でもないですし。
ただ、カンザス州と言えば『オズの魔法使い』の舞台でもありますので、ハリケーンが多い州としてもしられていますので、当初のアイデアとしてカル・エルが乗ってきた宇宙船がハリケーンに紛れて地球に到着した、といった構想でもあったのかもしれません。
さて。
「スーパーマン」。日本人にとってはクリストファー・リーブ主演、ジョン・ウィリアムスのテーマソングの映画が一番有名なのだと思います。
この映画の冒頭、惑星クリプトンが爆発する直前、父親ジョー・エルと母親ラーラ・エルに見送られ、小さな宇宙船に乗ったカル・エルが地球に飛び立つシーン、そして地球の老夫婦、ジョナサン・ケントとマーサ・ケントの運転する車の横に到着し、故障した車を持ち上げる幼児カル・エルのシーンがありました。
こちらでは、ゾッド将軍が『ファントム・ゾーン』に閉じ込められた横を、赤ちゃんのカル・エルが乗った宇宙船が飛び去っていき、6つの銀河を越えて地球に降りたち、ジョナサン・ケントとマーサ・ケントに出会うシーンが出てきます。
映画では、この次のシーンでは既に高校生になり、ラナ・ラングへの思いが宙に浮いたシーンの後、「孤独の要塞」でジョー・エルの残した知識を学んだかと思うと、「デイリー・プラネット」にやって来て、名物編集長のペリー・ホワイトや記者仲間のロイス・レイン、ジミー・オルセンに出会うところまで一瞬で過ぎ去り、そこからスーパーマンの活躍が描かれました。
果たして、幼児カル・エルはどうやって、「クラーク・ケント」の名前を得て、そしてどのように成長してスーパーマンとなっていったのでしょう?
ドラマ『Smallville』は、まさしくこの点に焦点をあてたシリーズになりました。
2001年放映開始当時、少年クラーク・ケントは15歳で高校生になったばかり。ハイスクール・カーストの上位に位置するフットボール・チームに入れば、ぶっちぎりでヒーローになれるのに、父親のジョナサン・ケントは、それを堅く禁止していて、何もさせてもらえない。
そんなところから、1年ずつ学年も繰り上がり、大学生にもなって、そしてお約束のデイリー・プラネットの記者になり、最終シーズンの最後の最後にスーパーマンとなって、ジョン・ウィリアムスの曲が鳴り響いて終わります。
そういうこともあって、「スーパーマン」が「ヤング」の時のドラマ、という意味なんだと思いますが、日本では日本人にはなじみがない『Smallville』ではなく『ヤング・スーパーマン』というタイトルでドラマやDVD、そしてウィキペディアも作成されています。
当時から思っていたことですし、同じような感想を述べる方も多いのですが、「ヤング・スーパーマン」はいくらなんでもださすぎてやめてほしいタイトルの一つです。
当初のプランとWBからの制約
『Smallville』は、アルフレッド・ゴフとマイルズ・ミラーの企画で立ち上がりましたが、放映権を持っているワーナー・ブラザースからは二つの条件付きで許可されたそうです。
それが「(スーパーマンの)青いタイツは着ない。空は飛ばない。」でした。映画と同じスーツで空を飛び回られることで、映画のイメージがダブることを懸念したとか、そういった理由だったと思います。
それにしても、こういうところもちゃんと韻を踏むんですね。
とはいえ、このFandomのページでも記載されているように、例外的なシーンでは空を飛んだり、スーパーマンのスーツを着ている場面があります。
こういうのも、脚本とかの段階からワーナー・ブラザースに許可を取って使ってたそうですが、とにかくドラマの流れとしてクラーク・ケントは空を飛ばないというのは徹底していて、2015年に放映された「ビッグバンセオリー」のシーズン8の最終話でもネタにされていました。
当初5年ほどのシリーズで制作される予定だったそうですから、最初の1年は高校1年生のクラーク、その次の2年で高校2~4年生(アメリカの高校は4年制。少なくともカンザス州は)、最後の2年で大学生から社会人クラークまで、といったスケール感だったのでしょうか。
こんな制約付きながらも、無事ワーナー・ブラザースからの許諾もおり、予算もついて、キャスト選びも終わり、パイロット(第1話)が放映されたのは、2001年10月16日年です。
結果としては大ヒットしたおかげで、最初の4年間は1年ずつ繰り上がる「ハリーポッター方式」でシーズン4の最後は高校の卒業式でした。大学の4年間がちょっと曖昧ですが、それでも大学生クラークが描かれ、最後はデイリー・プラネットの記者として活躍するところまで、描かれました。
最悪のタイミングでの放映開始
20年前のことではありますが、この約一か月前にアメリカを襲った悲劇は、世界中を恐怖のどん底に叩き落したことは、当時をを知る人ならだれでも思いだすことでしょう。
この章のタイトルを「最悪のタイミング」と書いたのは、9月11日におきたあの事件の一か月後に放送する予定だった「Smallville」の冒頭は、幼児カル・エルが乗った宇宙船とそれを取り囲む惑星クリプトンの破片が「Smallville」に降り注ぐ場面からスタートするからです。
オープニング・クレジット シーズン1-10
ちなみに、同年9月7日に発売された鬼束ちひろのシングル「Infection」は歌詞に含まれる表現のせいで、しばらくプロモーションが行われなかったのは有名な話です。
最悪の状況の中での「希望の光(Beacon of Hope)」に
太平洋を隔てた日本でも、歌詞の一部が影響した中、ワーナー・ブラザース社でも同様の議論があったはずですが、彼らは立ち止まらず、予定通りに『Smallville』を放映し、そして大ヒット街道を驀進することになりました。
「大ヒット街道を驀進」なんて、「全米が泣いた」並みの煽り文句のようですが、英語のウィキペディアに以下のように紹介されている通りです。
放映会社であるワーナー・ブラザースの高評価デビュー・レコードを始め、ペアレンツ・テレビ評議会が選ぶ番組ベスト10の第6位など、おおくの人達の支持を得たことがわかります。
当時、いくつかの媒体でも「(当時のような)時代だからこそ、希望の光としてのSmallvilleが受け入れられたのだろう」とか「悩みながらもやがてスーパーマンに成長していくクラーク・ケントに希望を見出した」といった分析がされていたように思います。
今、探そうとするとなかなか記事が見つからず、引用できなくて申し訳ありませんが。
この文脈とは全く異なりますし、こちらで引用している動画はシーズン10、つまりいよいよ最終シーズンでのものですが、超絶的な能力をもって影で人助けをしているクラークが自分の活動に制約を加えようとする雰囲気の中、「それでもクラークを支持する」という動画の投稿が相次ぐシーン。
まだ、この時点ではスーパーマンになっておらず、「Blur」(スーパースピードで動くため、ぼやけた輪郭しか見えないので、人々からは「Blur」と呼ばれ、また衣装も青と赤のスーパーマン・タイツではなく、真っ黒なバットマンのような仕様の服を着ています。
この「ヒーローの持つ超絶的な能力で活躍することは、是か非か」のような議論は、アメリカでは良く議論にあがるパターンで、同様のテーマではいくつも映画やドラマが作られています。
スーパーヒーローと社会の関りの映画作品等
Mr.インクレディブルは、まさにそんな「ヒーローたちがやりすぎた」ことで、ヒーローたちの活動を制約する法律が制定された世界での物語でした。
同じ様なテーマは、マーベルのアベンジャーズでも取り上げられていて、「エイジ・オブ・ウルトロン」が元でソコヴィア条約が制定されたりしました。
Amazonプライムでも大評判になったこちらの作品は、明らかにアメリカのエンタメ界の某事件をネタに、それをヒーローに当てはめて制作しているのは有名だと思います。
Smallvilleのクラークは、なぜ「ザ・ボーイズ」のホームランダーにならなかったのか?
そもそもクラーク・ケントがホームランダーになっちゃったら、スーパーマンの物語が成立しないわけですが、『Smallville』では、このあたりは非常に丁寧に描いています。
シーズン1の第1話でクラーク・ケントは、なぜスモールビルに「化け物」が多いのか、という理由が自分がクリプトンからやってきた時に一緒に到着した隕石によるものであることに気が付き、そういう人たちを救う責任があると感じたから。
それでも一時は自分の能力を抑えながら大学でフットボールで活躍することも夢見たクラーク・ケントですが、同じ高校の先輩が超能力を生かしてチートをしていたことを発見して、やはり自分が地球人と同じ舞台でスポーツの道に進むのは正しくないと判断するエピソードなど、他の人間と同じように悩みながら正しい道を進むクラークには共感せざるを得ません。
既にクラークが超能力を持っていることを知っていたクロエが、フットボールをあきらめる、と聞いた時に「あなたを誇りに思うわ」と語るのは、視聴者も同じ気持ちになったことでしょう。
(動画:シーズン4第13話「スターへの誘惑」から)
そして、超能力を持ちながら、見返りをまったく求めず、人知れず人助けをするクラークこそ本当のスーパーヒーローだと語るクロエ・サリバン。
(動画:シーズン5第1話「クリプトンからの客」から)
それにしても、アリソン・マックなぁ。あんなことにならなければ、演技派女優として活躍していただろうに…(涙
つよく勧めておきたいポイント
スーパーマン成長譚としてのストーリー展開
ここまでの記述でも既に書いてしまっていますが、惑星クリプトンから地球に到着した幼児カル・エルが、どのようにしてクラーク・ケントの名前を獲得し、自分の運命を悟り、成長してスーパーマンになっていくのかを10年もかけて描いています。
物語の展開が途中であっても、視聴率が悪ければ制作中止が当たりまえのアメリカにあって、当初の5年の予定が倍の10年になり、きちんとスーパーマンのスーツを来て空を飛ぶシーンで完結するに至りました。
それだけ、「スーパーマン」としての物語を精緻に積み上げたから、という事でもあります。
スーパーマンの成長物語として、これ以上の傑作を生みだせる可能性は、限りなくゼロに近いのではないでしょうか。
クラークを取り巻く人間関係と全員の成長
15歳の悩み多き青年が、成長しながら獲得していくのは、義両親となったジョナサン・ケント、マーサ・ケント夫妻だけでなく、ピート・ロスや本「Smallville」オリジナルのクロエ・サリバン。若き日のあこがれの相手であるラナ・ラングに、のちにパートナーとなるロイス・レイン。
果ては最大の敵であるレックス・ルーサーやその親、ライオネル・ルーサーまで登場してきますが、そんな人間関係の中での困難を克服しつつ、味方を見つけて「ジャスティス・リーグ」を結成していく。
これは人間ドラマとしても良く描けていると思います。
音楽・BGMともに最高
映画音楽の超人、ジョン・ウィリアムスほど有名ではありませんが、このドラマ、『Smallville』の音楽を担当したマーク・スノウもテレビ番組の劇伴音楽の作曲者としてアメリカでは有名な方です。X-ファイルとか、それよりさらに古くなりますが「刑事スタスキー&ハッチ」などの音楽を担当してきたようです。シーズンで使うオリジナル曲
本作『Smallville』でも、その才能は遺憾なく発揮されており、エンディング・クレジットで流れる音楽はマーク・スノウ作曲のもの。シーズンで使うオリジナル曲(エンディング・クレジットの曲含む)はすべてマーク・スノウが1人で担当していて、シーズン7が最後で降板してしまうのですが、
エンディング・クレジットに流れる音楽は、どれもほんの1分程度と短いものばかりなのですが、『Smallville』を見た人ならわかる、あの最強のエンディング・クレジット感はたまらないものがあります。
このエンディング・クレジットだけのCDでも出してほしいという声がアメリカでも多く出されているのですが、いくつか出された「Smallville」関連のCDのどれにも、エンディング・クレジットの音源は採録されませんでした。
エンディング・クレジットのように短いバージョンではなく、フルスコアがあれば出してくれ、という声も根強いのですけどね。例えばこの動画のコメントでも、こんなのがあります。
BGMの選曲もマーク・スノウが担当していたかどうかは分からないのですが、BGMの当て方も素晴らしかったです。
たとえばこちらは「Five for Fighting」という不思議な名前のワンマンバンドの曲をあてたエンディングシーン。
Smallvilleの劇中コミックである「Warrier Angel」を大切にしていたライアンが、引っ越していくにあたってそれをクラークに渡す。ライアンが大切にしていたコミックを受け取れない、というクラークに、「僕にはクラーク(という本物のヒーロー)がいるから」という、感涙ものの場面で流れるのが、「Superman (It's Not Easy)」という曲。
この曲は、「9・11」の時の消防士、警察官など現場で殉職された方々をしのんで、当時ラジオなどでリクエストが相次いだ曲でもあります。
曲のタイトルの通り、スーパーマンであることは簡単ではない、という歌でヒーローの苦悩を歌う内容。
曲自体が素晴らしいのもあるのですが、その曲をBGMとして入れる場面やタイミングが抜群にうまい番組でした。
再掲になりますが、シーズン4のこの場面で流れるのは、Simple planというバンドの"How Could this happen to me"という曲。
歌詞は、間違って事故を起こしてしまったことを悔いるものです。
クラークはまだ大学入学前で、超能力を使ったチートはしていませんし、誰かをケガさせたりもしていないのですが、空っぽになったフットボール・スタジアムで、この歌をバックにフィールドを去っていくクラークに交錯する思いを表現したような曲。
『Smallville』を見て気に入り、買ってしまったアルバムもいくつもあります。同じようにBGMが最高とされる『Cold Case』よりも、個人的には影響を受けました。
サプライズ・キャラも多数
驚きと言いますか、『Smallville』では、過去の「スーパーマン」や「DCドラマ」に出てきた俳優が多数出演します。
例えば映画ではクリストファー・リーブ(クラーク・ケント/スーパーマン)にマーゴット・キダー(ロイス・レイン)、そしてマーサ・ケント役を務めるアネット・オトゥールは映画では成人後のラナ・ラング役でした。
映画スーパーガールからヘレン・スレイターはカル・エルの実の母親ラーラ・エル役で登場。
ドラマ「新スーパーマン(LOIS&ClARK)」でロイス・レインを務めたテリ・ハッチャーは、ロイス・レインの母親役で生前に録画したビデオに登場します。「新スーパーマン」のクラークを演じたディーン・ケインも出てくるのですが、なぜか切り裂きジャック役だったというのは、個人的には納得が言ってませんが。
『Smallville』のオリジナル・キャラ、クロエ・サリバンの母親は、ドラマのワンダーウーマンを演じていたリンダ・カーターが出てました。
ざっと思いつくだけでもこれだけありますが、他にももっと多くいたはずです。
あと、驚きと言えば、スーパーマンになる前のクラーク・ケントを描いているのに、スーパーマンになった後のキャラが敵味方ともに多数出てきて驚きます。たとえばレックス・ルーサーなんていうのは、スーパーマンの最高の敵キャラなわけですが、それが高校生のクラークのお友達でした!なんていうのは最初、「そんなので大丈夫かいな?」とか思っていました。
しかし、このあたりも非常に良くできています。
個人的には他の数多ある映画に登場するレックス・ルーサーよりも、『Smallville』に登場するレックス・ルーサーが最高にレックス・ルーサーだったと思っています。
とくにロイス・レインはザ・ベスト
レックス・ルーサーも素晴らしかったのですが、『Smallville』に出てくるロイス・レインは、本当に素晴らしい。ザ・ベストというか至高のロイス・レインというか、なんか表現が陳腐すぎて申し訳ないのですが、ともかくツンデレなロイスはエリカ・デュランスが最高にはまり役でした。
キャシディ・フリーマンの歌には惚れました
テス・マーサー役として登場するキャシディ・フリーマンと、ドクター・エミールとして登場するアレッサンドロ・ジュリアーニが、マジシャンのザターナの魔法でみんな狂ったようになってしまって歌い踊るシーンがあるのですが、これみてキャシディ・フリーマンのファンになりました(笑
この場面のジャスティン・ハートレーの女装でのダンスとか喧嘩シーンももう爆笑ものでしたが。
ちょっと残念だった点もいくつか
基本的には『Smallville』は超絶お勧め作品なのですが、「完全無欠」というわけでもなく、いくつか残念なところもあります。
たとえば、シーズン2でのカワチ洞窟の「勇者ナマン」と「サギース」のあたりとか、カル・エルの父親、ジョー・エルも昔地球に来ていてクラークの祖父と会っていたとかは、うーむとうなったところ。
拒絶反応を起こすようなことはありませんが、もう少し自然な流れにしておいてほしかったなという感じですね。
その敵まで出しちゃっていいのでしょうか?
「つよく勧めておきたいポイント」のキャラの出し過ぎ問題の裏返しにもなるのかもしれませんが、「スーパーマン」になる前の物語なので、スーパーマンになった後の強敵がぞろぞろ出現してしまっているのですが、シーズン10まで続いた故、仕方なかったとは思います。
しかし、レックス・ルーサーはシーズン1から友達登場なおで置いといたとしても、ゾッド将軍、ブレイニアック、ドゥームズデイ、ダークサイドと敵キャラもフル登場で倒しちゃって、スーパーマンになったらどうするんだろう?という、まったくもって大きなお世話な心配をしてしまいました。
あとは、あまり書きたくないことですが、ピート・ロス役の俳優やクロエ・サリバン役の女優の事件は、本当に残念です。
二人ともクラークの最初の頃からの友達として、素晴らしい友情を築いてきた役を演じていたのです。
あんなことがなければと心が痛みますが、私たちにできることはあまりない。特にクロエ・サリバン役の女優については被害者も多いので、今後の活躍を願うとは言えませんが、今後はまっとうに生きて行ってほしいと願っています。
DVD・Blu-ray、またはストリーミングサービス等
個人的には超絶お勧めなドラマの一つですが、上述したような理由が働いたのかどうか、しばらくはディスクなどもあまり積極的には発売されていませんでした。今まで、ブルーレイディスクはアメリカでもシーズン7以後のみがシーズンごとに発売されていたのだったと思います。
日本でもAXNだったかで最終シーズンまで吹き替え版も放映されていたはずですから、録音等はあるはずなんですが、日本で発売されるコンプリートDVDボックスも、シーズン7以降は日本語の吹替なし、という「酷い仕打ち」でファン感情を逆なでといったレビューが相次いでいました。
しかもDVDしかないという。シーズン1~6のブルーレイはでないのかな?となかばあきらめていたのです。
しかし今年が20周年記念ということで、ようやくブルーレイでのフルセットも発売されました。
単に20周年記念というだけでなく、クロエ・サリバン役の女優の裁判も結審して、法的な結着もついたからという面もあるのだと思っています。
アメリカ版を購入
日本のAmazonでもこちらのリンクの様に、ブルーレイのコンプリートボックスが発売されています。
ここに至るまでに、何度も見たので、ちょっとでも安い方をということでアメリカのAmazonから購入しました。
アメリカのAmazonで買ったので、半ば当然ではありますが日本語字幕などはついていませんでした。
今、日本語が付いたものを買おうとすると、こちらとかAmazonのプライムビデオでレンタルという状況しかなかったのが、ついこの間までの状況でした。
こちらのレビューをご覧いただくと、ただのDVDで発売開始当時で5万円以上の値付け。しかもシーズン7以降の吹替なし、ということで大クレームになっています。
正直、なんでこんな売り方したのかは、本当に謎ですね。
せっかく良い作品なのに。
U-NEXTで『Smallville』のストリーミング開始
こちらの方のツイートを見ますと、U-NEXTでも『Smallville』の配信が始まったようです。(日本でのタイトル「ヤング・スーパーマン」での配信のようですね。)
吹替があるかどうかは分かりませんでした。
Amazonプライムビデオは、今日時点では有料レンタルのみ。他のサービスは不明ですので、たぶん提供されていないのではないでしょうか。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
コメントなどいただけますとありがたいです。よろしくお願いいたします。