神さまなんて大嫌い!⑧
【汪楓白、男色の危機に晒されるの巻】
そんなことになってるなんて、まるで知らない僕は今、最悪の状況に身を置いていた。
「……はぁ」
「……ヤレヤレだな」
ここは、百鬼討伐隊本陣『白宿・冥府曼荼羅堂』の、暗く冷たい石造りの地下牢。
そこへ、隊員たちによって、手荒く放りこまれた僕と神々廻道士は、青息吐息であった。
雨音が聞こえる。降り出したのか……まるで、僕の運命を悼む泪雨のようだな。
「チッ……どっかの阿呆のせいで、散々だぜ、まったく」
「えぇ、えぇ、阿呆のせいでねぇ……誰が、阿呆ですか!」
「彪麼のことに、決まってんだろ、阿呆!」
「あ、なるほど……って、今、僕に阿呆って云いましたよね」
「畜生、あいつ……瓢箪まで取り上げやがって! どうなっても知らんぞ!」
「ちょっと……僕の話、聞いてます?」
「やべぇ……鬼去酒が切れそうだ」
「よかったじゃないですか。タマには酒気を抜いた方が、体のためですよ。大体、毎日毎日、浴びるほど、浸かるほど、溺れるほど呑み続けて、平気な方が不思議なんですからね」
「太平楽なこと、ほざいてんじゃねぇ! シラフになっちまうんだぞ!」
「なってくださいよ! 大体、この期に及んで酒って……太平楽はどっちですか!」
ついに我慢の限界を超えた僕は、思わず口ごたえしてしまった。途端に――、
――ビタ――ンッ!
張り手一発! い、今のは……かなり、き、効いた! うっ……クラクラ!
「じゃっかましい! 奴隷の分際で、この俺さまに、口ごたえばっかするようになりやがって! 生意気な青二才が、図に乗んじゃねぇ! いいから、酒だ! 酒持って来ぉい!」
こりゃあ、完璧な酒乱だ!
折角まとめた元結髷は解き、長袍もしどけなく着崩し、あぐらをかいて大威張りするさまは、まさに暴君と呼ぶにふさわしい! これで道士だなんて、絶対に信じられないぞ!
「も、持って来られるワケ、ないでしょお! ここは百鬼討伐隊本陣の、牢屋敷ですよ!」
「黙れ。神の命令だ。持って来い」
「無理です」
僕は、努めて冷静に、酒乱道士へ対応しようとした。
「無理ですむか! 奴隷なら、神の命令に従え!」
「神なら、自分でなんとかしなさいよ!」
「なにをっ……ムチャクチャ云うな!」
「あのね……どっちが、ですか!」
互いにつかみ合い、罵り合う僕らのすぐそばで、その時、不意に咳払いが聞こえた。
「あ~、コホン」
「「……あ」」
先客の存在に、まったく気づかなかった僕は、なんともバツが悪くて頭を下げた。
「どうも、すみません。ウチの神が、ご迷惑をおかけしてます」
「なんだ、その態度は! 俺さまをなめてやがんのか!」
「あなたの代わりに、先客へ謝ってるんじゃないですか!」
もう、どうせ明日をも知れぬ身だ! こんな奴に、媚びへつらってられるか!
二度と再び、下手になんて、出てやらないぞ! 暴力にだって、屈するもんか!
「なにやら、そちらの御仁……だいぶ、切羽詰まっとるらしいですな」
ぬぅ――っと、暗がりから顔を出した壮年男は、髭もじゃ垢まみれの痩身で、どうにもスケベったらしい顔をしていた。初見の相手に失礼とは思うけど、本当にそうなんだモン。
好色さが、ありありと満面に、にじみ出てるって云うか……とにかく、薄気味悪い。
「あぁん? なんだ、オッサン」
「どうぞ、お気になさらず。ただの癇癪ですから」
僕は、その不潔な好色おじさんと、あまり関わりたくなかったので、神々廻道士を軽く去なし、会話を終わらせようとした。無論、神々廻道士は、癇癪玉を破裂させたけどね。
「黙れ! デカチン色魔シロ!」
また! 僕の品位を貶める! その呼び名だけは、嫌だったのに! こん畜生――っ!
だが神々廻道士は、僕の憤慨などまるで意に介さず乱暴に押しのけると、不潔な好色おじさんへにじり寄った。ヒカヒカと鼻をうごめかせ、おじさんの臭いを嗅ぐ。臭そうだな。
「喂、あんた……鬼去酒の匂いがするな。持ってるのか?」
「持っとるよ。ホレ、この通り……哈哈哈」
不潔な好色おじさんは、ボロ布の貫頭衣の裾から、つやつやした酒瓢箪を取り出した。
神々廻道士の目前にチラつかせ、彼の、飽くなき酒への欲望をあおり立てる。
「しかし、只では譲れんな」
「ふん、他人の足元見やがって……狙いはなんだ?」
不潔な好色おじさんは、口端をいやらしくゆがめ、僕を指差した。しかも、小指で。
「……へ? 僕?」
「活きのいい白面の尻に、近頃ありついてなかったんでな」
なに? どういうこと? え? え? えぇえっ!?
「なんだ。そんなことなら、貸してやる。だから、早く酒よこせ」
「ちょお――っと、待ったぁ――っ! 尻!? 尻って、なんですか!?」
「阿呆か。クソをひり出す穴に決まってんだろ」
「そういうことじゃなくて、ですね!」
僕は顔面蒼白で、神々廻道士の襟首をつかんだ。
「ぐひひひひっ……可愛いのう」
スルリ……と、僕の裾細袴の帯を、簡単に解き始める不潔な好色おじさん。
「嫌ぁ――――っ!」
僕は全身総毛立ち、悪寒で肌理が粟立ち、必死で神々廻道士に助けをもとめた。
「女みてぇな悲鳴上げて、しがみつくんじゃねぇ!」
「嫌です! 嫌です! 嫌です! 嫌です! 嫌です! 嫌です! 嫌で……はぐっ!」
腹を、またまた、また……殴られて、もう、息が、止まりそう。
「一回聞きゃあ、判んだよ! しつけぇな!」
酒のために、弟子を売る!? それが人の、することか!?
だけど、そうして僕が大人しくなった一瞬の隙に、不潔な好色おじさんは目にも止まらぬ早業で、僕の裾細袴を脱がし、下穿きまで引っ張り下ろし、無防備な尻をなでさすった。
その上で、僕の尻を高々と持ち上げた。うげぇ――っ!
「心配要らんよ。儂はただ、憑坐が欲しいだけ……ここから、脱出するためのな。用がすめば、すぐに出て往ってやるから、安心して尻を出せ。しばしの辛抱じゃ。ささ、はよう」
初体験が、こんな不潔な好色おじさんだなんて、嫌だよぉ――っ!
他のことなら、なんでもするから、それだけは勘弁してぇ――っ!
「きゃあぁぁあぁぁぁぁあっ! 助けて、神さまぁあぁぁぁぁあっ!」
僕は尻の穴に思いっきり力をこめ、異物の侵入を命懸けでこばんだ。ところが――、
「……って、アレ?」
僕は、スースー寒いだけで、他になんにも感じない尻を、不可解に思い、薄目を開けた。
すると、不潔な好色おじさんの姿は、牢内のどこにも見えず……影も形もなくなっていた。つまり消えちゃったんだ! 僕は、ニタニタ笑う神々廻道士へ、恐る恐る聞いてみた。
「あの……い、今の、おじさんは?」
「てめぇのケツん中だろ」
「哈哈、まさか……ん? なんか、お腹が、モゾモゾする……ま、まさか! まさか!」
僕は腹部の膨張感と、蠕動運動の激しさに、いよいよ懸念を増大させた。
神々廻道士は、さも愉快げに僕を見、ただいまの現象について講釈し始めた。
「ありゃあな、鬼生虫ってんだ。人体の九穴……女は十穴だな。そこから侵入し、そいつを意のままに操るって……まぁ、邪鬼の一種だ。下っ端の下っ端ってトコだな。心配すんな。なかなか出て来ねぇで、悪さ働くようなら、俺さまが引き出してやるからよ。哈哈」
寄生虫……もとい、鬼生虫と聞いて、僕の背筋をまたしても悪寒が走った。
「鬼生虫……ひっ、ひぇえぇぇえっ! 今すぐ、取って! 取って! 取ってぇえっ!」
僕は必死の形相で、神々廻道士の襟首にしがみつき、わめいた。神々廻道士は、僕の手を乱暴に払いのけ、面倒臭そうに押しやると、おじさんが残していった酒瓢箪をあおった。
「いちいちうるせぇな! お、こいつは上物じゃねぇか! やっぱ、鬼去酒は最高だぜ!」
なんて無慈悲な……体内に、あんな不潔で、不気味で、スケベったらしい妖怪もどきが、侵入しているのかと思うと、僕はもう、おぞましくて、居ても立ってもいられないよぉ!
「そんなぁ、非道いよぉ……うっぷ、なんか、吐き気が……それに、大の方も」
突然の体調不良と、猛烈な便意に襲われて、僕は脂汗をかき始めた。
「クソか? てめぇ、どこまで他人に迷惑かける気だ? こんなせまい牢内で、くっせぇクソ漏らしやがったら、ただじゃおかねぇぞ! ケツの穴に、焼け火箸、突っこんだる!」
「誰のせいですか! あの……すみませぇん! 厠に往かせてくださぁい! うひっ!」
そうこうする内にも、神々廻し道士は、持ち前の諧謔趣味と、底意地の悪さを発揮して、僕の腹を容赦なく圧迫する。ちょっと! そんなことされたら、本当に漏らしちゃうじゃないか! やめてくれよ、莫迦! 云ってることと、やってることが、矛盾しすぎだろ!
だが、その時、地下牢の頑丈な鉄扉が開き、討伐隊員が二人、つかつかと入って来た。
僕を指差し、声高に命令する。
「汪楓白! 出ろ!」
「は、はい! もう出そうで……え?」
「燕隊長がお呼びだ! 早く出ろ!」
隊員二名は、錠前を外し、鉄格子のせまい出入口を、僕のために開放してくれた。
もしかして、釈放? いや……悪くすれば、拷問? うぅむ、後者の方が確率高しだな。
「じゃ、頑張って来いよ」
神々廻道士は僕の背中を軽く叩き、笑って見送るつもりだ。けれど、戦々恐々と振り返った僕に対し、神々廻道士は突如、眉間にシワを寄せ、唇を真一文字に結び、うそぶいた。
「あ、あの……」
「但し、余計なこと、しゃべったら……」
「しゃべったら?」
迫力みなぎる語気に、僕はおびえて生唾をゴクリと呑みこんだ。途端に、神々廻道士は破顔し、鷹揚な態度で、さっきとは真逆の、不真面目で冗談めかしたセリフを投げて来た。
「……ま、いいか。思いっきり垂れ流して来い」
「哈、哈哈……冗談に、なってないよ」
僕は、グルグルとうなる腹をかかえたまま、地下牢を出て、石段を昇り、幾重もの鉄扉や門戸をくぐり抜け、長い回廊を歩き、隊員二名に連行され、燕隊長の執務室へ向かった。
途中、いよいよ切迫した僕は、「あの、厠に……」と、問いかけたが――、
「私語は慎め。隊長をお待たせするな」
「で、でも……今にも出そうで」
「我慢しろ」
「はい」
それ以上、有無を云わさぬ隊員たちの強い語調に、僕はあきらめざるを得なかった。
腹部と肛門に、ありったけの力をこめ、便意から気を逸らすよう心がけ、ついに立派な執務室の前に立った。けれど、いつまで保つものやら……そう長くは、我慢できないぞ?
啊、最悪だ……この上、脱糞でもしようモンなら、もう僕の人生は、終わったも同然だ。
だって、こんな主人公あり得ないでしょ! 誰が同調してくれるのさ!
「隊長、連れて来ました」
「入れ」
軽く扉を叩き、合図する隊員。素っ気ない声音で、応答する燕隊長。いよいよ、運命の時だ。啊、天帝君……どうか、拷問だけは、されずにすみますよう、お守りください!
僕は祈るような気持ちで、恐る恐る執務室の中へ、足を踏み入れた。
整然とした広い室内の中央、さまざまな文献や書類が並ぶ、大きな机の前に立たされた僕は、緊張した面持ちで、曲彔に座す《燕彪麼》隊長と向き合った。隊員二名は退室し、二人きりである。燕隊長は書類のひとつを手に取り、僕の顔と交互に見比べつつ、問いかけた。
「汪楓白……劫族出身の劫初内文官で、文士としてもワリと名が知れているらしいな」
「は、はい……」
さすがは百鬼討伐隊。身元調査も、早い、早い。
「読んだぞ」
燕隊長は、僕の書いた作品の一冊を取り出し、深いため息をついた。
「え? 読んでくれたんですか? 啊……でも、僕の作品って、極端に男性ウケが悪いんですよね……女々しいとか、くだらないご都合主義だとか、莫迦莫迦しくて読めないとか」
「うむ。はっきり云って、落胆した」
「そうでしょうねぇ……はぁ」
はっきり云われてしまい、今度は僕が大きなため息をついた。
予想はしてたけど……やっぱりなぁ、とくにこの手の武道家系には、最低の話だろう。
「これほどの名作を、世に送り出した天才文士が、よもや……あのような悪逆非道の人非人に与し、ともに許しがたい罪業を犯すとは……なんとも勿体ない! 落胆のきわみだ!」
えぇ、えぇ、そうでしょうとも……ん? 名作? 天才文士?
「……はぁ!?」
僕は一瞬の間を置き、素っ頓狂な声を発してしまった。
「なにか、理由があるのでしょう? あの男のことだ。先生の弱みをにぎって脅し、無理やり悪事に引きずりこんだのでしょう? 先生ほどの御方が……それ以外、考えられない」
「せ、先生!?」
僕はあまりの衝撃に、猛烈な便意も忘れ、パチパチと目をしばたかせた。
だって……この男らしい荒武者が、僕の作品の愛読者だなんて、とても信じられない!
でも、あの目は……情熱に満ちたあの目は、僕の作品の愛読女性たちと、同じものだ!
「真実を教えてください。力になりますから」
「ほ、本当ですか!? 僕を、助けてくれますか!?」
曲彔から立ち上がり、机越しに手を伸ばす燕隊長へ、僕はすがりついてしまった。
「無論です。先生のためなら、私はどんな手段を用いてでも、必ずや趙劉晏を……神々廻道士を、断罪してみせます! そして、あの憎き下衆男に、生き恥をかかせ、生き地獄を味わわせ、もう殺してくれと泣いて懇願するまで、散々に苦しめて……おっと、哈哈哈」
いよいよ激情を過熱させ、息巻く燕隊長は、慌てて残忍なセリフの語尾を切り微笑んだ。
要するに、僕を助けるうんぬんは二の次で、本当は過去の私怨を晴らしたいワケですね。
なんか、この人も可哀そうだなぁ……。
「とにかく、先生の証言如何で、あの下衆男に正義の鉄槌をくだすことができるのです! 先生の身の安全は、保障しますので、是非とも、ご協力のほど、よろしくお願いします!」
「は、はい! それは、もう! こちらこそ、よろしくお願いします!」
燕隊長に、力強く手をにぎられ、僕は理由こそどうあれ、うれしくなった。
ようやっと、味方ができたよ! これで、あのクソ莫迦道士の命令に、従わなくてすむようになるぞ!
「それでは早速だが、先生……あなたには我々討伐隊の、密偵になって頂きたい。そして、神々廻道士の秘密を探り、悪事の決定的な証拠をつかむのです。時に……現時点まで奴と一緒にいて、なにか気づいたことはありませんか? どんな些細なことでも結構ですから」
燕隊長に問われるまま、僕は少々調子に乗って、神々廻道士の秘密や悪口を並べ立てた。
「そうですねぇ……まぁ、おかしな妖怪三匹を使役して」
「ええ」
「僕に、こんな忌々しい首輪を嵌めて」
「ほぉ」
「年がら年中、だらしなく鬼去酒を呑み続けて」
「ふむ」
「がめつくて、口うるさくて、乱暴で、短気で、悪逆で、冷酷で、自分勝手で……」
「先生も相当、苦労していらっしゃるようですな」
こっくりとうなずく僕……が、急激な便意に襲われたのは、その時だった。
「おや、どうしました?」
「あ、あの……すみませんが、厠をお借りしても……」
「判りました。すぐ誰かに案内させましょう」
「い、いえ……教えて、頂ければ、一人で、いけます、から……」
は、早くしてくれぇ! 今までとは比較になんないくらい、凄い便意なんだよぉ!
お腹も、パンパンにふくれて来ちゃったし……ひぇえっ、なんて不格好!
「ここは入り組んでいて、迷いやすい。一人で動き回るのは、大変です」
「あっは、それは、ご親切に……でも、急いで、もらえると、ありがた……い!」
僕は腹をよじり、肛門を手で押さえ、脂汗をかいて、足踏みした。ねぇ! この状態なの! 気づいてるんでしょ? 早くったら、早くして! それとも、ワザと焦らしてる?
「それに、軍部の主要拠点ですので、無闇に立ち入られては、都合が悪い場所もある」
「あっ……そ、そ……れ、は……たい、へ、んんっ!」
だぁあっ! 説明なんか、どうでもいい!
僕はじっとしておれず、腹と尻を押さえたまま、執務室を飛び出そうとした。
この人の前で、漏らすのだけは嫌だ! せめて、外へ……だけど、もう、間に合わないぃいっ!
「あっ……あぁあっ! だ、ダメだ! 出る! 漏れちゃう!」
情けない悲鳴を上げる僕に、瞠目した燕隊長。
「え? そんなに、切迫してらした? いや……ちがう、この妖気は……よもや!」
すると燕隊長は、僕の目前へと回りこみ、大きくふくれ上がった腹部を一瞥……直後!
「先生、失礼!」
――ドカッ!
「ふぐぅっ……」
極限まで我慢していた腹へ、燕隊長から情け容赦ない一撃を喰らって、僕は前かがみにうずくまった。直後、僕の肛門をなにか異物が通過し、腹部の膨満感は一気に消え去った。
お腹の出っ張りも、元通りに引っこんだ。ふぅ、すっきり……じゃない!
あぁあっ、ついにやっちまったぁ!
よりにもよって、百鬼討伐隊本陣の、隊長の執務室で、僕の作品の愛好者と判った途端に、大便を漏らすなんて、最低最悪じゃないかぁ! もう嫌だ、消えてしまいたい……と、泪で顔をゆがめ、頭をかかえながら、僕は、恐る恐る自分の足元後方へ、視線をやった。
そこに、僕が見た黒いかたまりとは、勿論!
「うん……?」
うん〇だと思った人、不正解。何者かの足でした。よかった、漏らしてないみたい!
ん? それじゃあ……この足は誰の足? ヤケに立派な深沓をはいてるけど……え?
「貴様……どうやって、牢を出た!」
「いやぁ、尻を出たのさ。この子の」
聞き覚えのある声音、口調……と、云うことは!
「まさか……不潔で好色なおじさん!?」
ではなかった。
僕の背後に突如、出現したのは、例の不潔で好色なおじさんでなく、総髪に浅葱色の水干姿の、凛々しくも見目麗しい美青年であった。誰なの!? 本当に、あんた誰なの!?
「牢内は、あんまり居心地が悪くてね。そろそろ、おいとまさせてもらうことにしたよ」
総髪の美青年は、泪目で振り仰ぐ僕の肩を軽く叩き、意味深な目配せをした。
「ふざけるな! そんな勝手は絶対に許さん!」
「啊、心配無用だよ。今の密談は、決して他言しないから」
「黙れ! 牢内に戻らぬなら、この場で処刑してやる!」
燕隊長は、段平刀を抜き、総髪の美青年へ、すかさず斬りかかった。美青年は、僕の体を楯にして、鋭い切っ先をかわす。燕隊長の殺意は、僕の鼻先一寸のところで、辛うじて急停止する。僕は慌てて、右側へ移動し、二人の争いから逃れようとしたが、無駄だった。
美青年も僕と一緒に右側へ移動し、隠し持っていた匕首を、僕の脇の下から、燕隊長めがけて繰り出したのだ。互いの凶器が、僕の体スレスレに交わり、激しい火花を散らす。
ひぃ――っ! 好い加減にしてくれ! 僕を巻きこむなぁ――っ!
「討伐隊員を愚弄し、狼藉を働いた邪鬼! そんな奴を、先生は何故かばうのですか!」
「それは勿論、私と彼が割りない仲だからだよ。すぐに私を、受け容れてくれたものね」
「ちょっと! 莫迦なこと云わないでくれよ! いつ僕が、あんたを……うひゃあっ!」
耳障りな刃音を執務室一杯に響かせて、繰り広げられる奇妙な剣劇。
燕隊長の段平刀が、僕の袖口をつらぬけば、総髪美青年の匕首が、僕の元結髷を殺ぐ。
燕隊長の段平刀が、僕の長袍を斬り裂けば、総髪美青年の匕首が、僕の肩を傷つける。
一対一の死闘に、はさまれた格好の部外者(僕)が、何故か一番、被害をこうむっている。前を向いても後ろを見ても、怒気を満々と湛えた眼差しは、僕の顔にすえられている。
いつの間にか僕は、あちこち傷だらけ、髪はほどけてザンバラ、衣装もズタズタ、顔面蒼白で……だから、なんで!? なんで!? なんで、こうなっちゃうのさぁ――っ!
「おのれぇ! 我が同朋のみならず、先生の操まで奪ったのか! もう断じて許せん!」
「哈哈哈! 彼……とっても可愛いお尻だったよ、隊長さん! うらやましいだろぉ!」
「ぬわっ……誤解です、燕隊長……ってか、お願いだから、僕を巻きこまないでくれ!」
僕は嫌ってほど命の危険を感じ、今すぐ両者間から、逃げ出したい気持ちで一杯だった。
なのに、二人とも……そうは、させてくれないんだよぉ――っ!
頼むから、別のところでやってくれぇ――っ!
「最早、堪忍ならぁん! 貴様だけは、本気で潰す!」
「おっと……火に油注いじゃったね。こりゃまずいな」
「やめてっ……あぶ、危ないっ! ひえぇえ――っ!」
――キィィィンッ!
「「「……」」」
刹那、燕隊長の段平刀と、総髪美青年の匕首が、ほぼ同時に、僕の首筋で交差された。
つまり、僕の首をはさみつけるように、左右から凶刃が、かち合ったワケだ。
僕は恐怖のあまり、棒立ちで一歩も動けない。間一髪って、まさにこのことだよ!
本当に、本当に、二人の殺意は、僕の首ひとつ分のところで、止まったんだから!
すると、総髪美青年の方から先に、ゆっくりと匕首を退いた。
そうして、僕の体を捕まえたまま、背後の嵌め殺し窓まで、ジリジリと後退する。
燕隊長は、人質に取られた僕の身を案じてか、それ以上、接近しようとしない。
それをいいことに、総髪美青年は、勝ち誇った含み笑いを交えて、かくうそぶいた。
「さてと、お遊びはここまで。それじゃあ、楓白君。またね……君の尻、最高だったよ」
――ガシャァアァァァンッ!
ご丁寧に、僕の尻をなでさすった直後、彼は嵌め殺し窓を蹴破り、外へ飛び出した。
えぇえ!? ここって確か、四階だったよねぇ!?
しかし、その心配は杞憂だった。相手は邪鬼だ。闇夜を悠々と舞い、あっと云う間に篝火で明るい中庭へ着地すると、そのまま地中へともぐりこみ……姿を消してしまったのだ。
ここで僕は、今更ながらハッとして、消え往く総髪美青年へ、怒声を投げつけた。
「ちょ、ちょっと! これ以上、人聞きの悪いこと、云うなぁ――っ!」
とにかく、それだけ叫ぶのがやっとだった。
あとは、張り詰めていた緊張の糸が、プツリと切れたお陰で、その場に腰砕け。
僕はもう、呆然とへたりこんでしまった。
一方で、僕の真横に並び立つ燕隊長は、階下を睨んでは、忌々しげに舌打ちするばかり……ただ今の騒ぎに驚き、心配して駆けつけた部下たちを、非道く不機嫌な表情で追い払った。そして……再びの静寂。途轍もなく重苦しい静寂。
雨は上がったらしいが、割れた窓から吹きこむ夜風が、どことなく不穏な感じだ。
僕は、こんなことになってしまった責任の一端を感じ、黙ってうつむいていた。
やがて、燕隊長は長嘆息を吐き、僕に詰問した。
「先生……これは一体、どういうことです?」
「え……どうって?」
ってか、なんで鍵をかけたんです? そんな、うるんだ目で僕を見るんです?
なんか、ますます嫌な予感が……先刻の会話から察するに、やっぱりこの人、男色みたいだし……うわぁ! 襲われたりしたら、どうしよう! だって、密室に二人きりだし、この人、僕のこと誤解してるし、隊服の襟を緩めてるし、啊……なにより、隣室には、この人の休憩所……つまり、寝台まであるじゃないか! どうしてもっと早く、気づかなかったんだ!
さらに、僕の疑念と恐怖をあおるように、燕隊長は信じがたいセリフを云い放った。
「どうして、あんな奴に、みすみす身をゆだねたのですか……あんな、下衆な三下邪鬼に、いいようにもてあそばれた挙句、罪をかさねて、脱獄を幇助するなんて! 嘆かわしい!」
真面目な顔して、なんてこと……誤解にも、ほどがあるよ……啊、頭が、痛い。
「燕隊長、莫迦なこと、云わないでください! 僕だって、終いにゃ本気で怒りますよ!」
僕は猛然と立ち上がり、燕隊長の端整な、しかし今にも泣きそうな、僕への憐れみに満ちた顔を、ギッと睨みつけた。すると勢いで、僕の長袍の襟元から、飛び出した首輪の宝玉に目を留め、乱暴につかんで引き寄せ、燕隊長がさらに語気を荒げて、云いつのった。
「では、この場で身の潔白を、貞操の純潔を、しかと証明できますか? こんないかがわしい首輪まで嵌められて、まるで雌犬ではないか! 男として、恥ずかしくはないのか!」
ち、近い! 顔が近い! なんか、怖い! 目が血走ってるよ、この人!
「これは! 神々廻道士が、無理やり……」
「つまり、劉晏に、犯された? うぬぅ――っ! それは、いよいよもって……」
それこそ、絶対に、あり得ぇ――んっ!
「先生、とにかく隣室へ……そこで、念入りにお体を調べさせて頂きます! あなたの云うことが本当か、否か……それに、あのような汚らわしい邪鬼に、尻を犯されたとなると、早々に処置しておかねば! 場合によっては、僭越ながらこの私めが、今宵は身を粉にしてでも、清めて差し上げねば! 鬼業の障りが出る前にね! さぁ、先生……二人きりだし、男同士だし、なにも遠慮は要りません! ただちに、隣室へ移動してください!」
ひえぇ――っ! そういう展開!? やっぱ、そういう展開を繰り広げる人なの!?
いくら相手が美男子でも、それだけは、勘弁してくれぇ――っ!
「いいえ、結構です! 僕は犯されてなんかいませんし、鬼業に汚れてもいません!」
「ならば、この場で下穿きを脱ぎなさい。確認が済むまで、解放しませんよ」
声が……声が、一段と低くなって、怖い! ダメだよ、絶対……下穿きなんか脱いだら、それこそ……この人、確認だけじゃあ、済ませてくれないよ! だけど、僕がモタモタしている間にも、燕隊長は僕の裾細袴の帯に手をかけ、さらにもう一方の手で、尻をなでさすり……うげぇっ! これじゃあ、さっきの妖怪と、おんなじじゃないかぁ――っ!
「ちょ、ちょ、ちょっと! 燕隊長! やめてくださ……いっひ――っ!」
刹那、ズンッ……と、肛門に激痛が走り、僕は悲鳴を上げて、飛び上がった。
燕隊長が、僕の後孔に親指を突っこみやがったんだ! いわゆる、浣腸ってヤツ!
「痛いですか?」
「いぃっ……痛くないワケ、ないでしょうが! いきなり、なにを……くぅっ!」
僕は尻を押さえたまま、悶絶している。燕隊長は、涼しい顔で僕を見ている。
血っ! 血っ! 血が出たかもしんないぞ! 最悪だよ、もう!
「おかしいな。日毎夜毎に、劉晏から鬼畜のような調教を受け、奴の汚い魔羅を、ぶっこまれ続けているワリには、つぼみが固すぎる。女のアソコとちがって、普通、尻は使いこめば使いこむほど、括約筋にゆるみが出て、酷くなると直腸の一部が飛び出し、めくれあがり、挿れてもガバガバで、まったく締めつけなくなるものなのですが……先生のは随分」
ブツブツと独語する燕隊長……ちょっと! そっち系の知識、多すぎでしょ! しかも、僕を神々廻道士の、犬みたいに誤解して……もう、頭来たぞ! この男色莫迦隊長めぇ!
「燕隊長! 僕は、あんな奴と、そんなことには、絶対、絶対、絶対、絶対、なりませんから! 侮辱にも、ほどがあります! 今の行為についても、僕に、謝ってください!」
僕は勇気をふりしぼり、ハッキリと宣告した。
ところが、燕隊長の誤解は、まだ続いていた。
「奴が、首輪を嵌めてまで、可愛がる先生だ。さぞや、使い勝手がいいんでしょうな」
「あの……僕の話、聞いてます?」
「あるいは、媚薬など用いて、先生の意識を奪い、記憶まで操作しているのでは……」
「だから、燕隊長! 僕の話を、少しは聞いてくださいよ!」
「尻には、丹念に香油をぬりこんで、指を使ってよくほぐし、ほどよく仕上がったら」
「ちょっと! 燕隊長! それ以上云ったら、本当に、本気で殴りますよ!」
「四つん這いにさせて後ろから、肛門が傷つかないよう、ユルユルと……いや、それより先生の乱れた表情を、よくよく観察するために、前からということも……いずれにせよ」
「え、ん、た、い、ちょ――っ! やっぱ一発、殴らせてもらいます!」
「先生! お可哀そうにぃ! 私でよければ、今すぐにも慰めて差し上げます!」
――ガバッ!
「ひあっ……」
本気で殴りかかろうとした僕を、燕隊長は振り向きざま、思いきり抱きすくめた。
目に泪を一杯ためて……そのまま、隣室の寝台へと、押しやられそうになり、僕は倉皇した。
だぁかぁらぁ! どうして、こうなっちゃうんだよぉ――っ!
「だぁ――っ! 好い加減にしろぉ――っ!」
僕は、渾身の力で、燕隊長の体を突き飛ばした。しかし、そこは武術家と素人の差。
反動で倒れたのは僕。燕隊長は、驚いた様子で、その場に佇んでいる。
チクショ――ッ! これは、これで、なんか腹立つ!
「何故、こばむのです? 劉晏の魔羅は、やすやす受け容れておいて!」
こらこらこらこらこら! さっきから、魔羅って……云い方! 云い方!
もう……この人、嫌だよぉ!
「だから! ちがうって云ってるでしょう! 僕をなんだと思ってるんですか!」
「ちがう? いや、待てよ……この首輪、今一度、じっくり拝見させてもらいます!」
「ぐえっ……ちょ、ちょっと、苦しいっ……ん」
燕隊長は、なにか気がかりな点に思い当ったらしく、さっきよりもっと乱暴に、僕の首輪(の宝玉)を、自分の方へ引っ張った。否応なく、僕と燕隊長の距離は縮まる。
ほとんどはずみだと思うけど、燕隊長の唇が僕の鼻先をかすめ、僕は耳まで真っ赤になっていた。
感覚で判る……だからこそ、余計に恥ずかしい! なにを意識してるんだ、男同士じゃないか! 相手にも怪しまれるだろ! だけど、いままでのくだりもあるし……あぁあ!
モヤモヤする! イライラする! ムカムカする! ジリジリする! ムラムラする!
いや、最後のはちがった!(僕も相当、混乱してるな)
だけど燕隊長の懸念は、僕の羞恥心や、煩悶のたぐいなど一蹴した。
「先生……これが、なんだか、ご存知で?」
そう問いながら、ヤケに深刻な表情で、僕の首輪から手を離す燕隊長だ。
「あ、はい、えぇと、誰でも自分の云いなりにできる首輪……ですか? あっ! 但しあいつは、僕のこと、そう云う目では見てませんけど! まかりまちがっても、絶対に!」
僕は、燕隊長に、またぞろ妙な誤解されることを恐れ、急いで補足した。すると――、
「そんな単純なものでは、ありません。ここに嵌まった宝玉は、命を吸い取るのです」
「はぁ……へ? 命?」
すっかり他のこと(燕隊長が男色だって件、襲われかけた件、浣腸された件、唇が触れた件……もう、色々ありすぎて……とにかく、本当に、どれも驚いたんだモン!)に気を取られていた僕は、彼の言葉の意味が判らず、すぐに嚥下できず、間抜けにも問い返した。
燕隊長は、やはりそんなことなど気にもせず、この首輪について丁寧に説明してくれた。
「鬼封じの首輪。正しい名称は【厄呪環】……本来は茨のような棘が突出し、邪鬼を拘束するという代物なのですが、かなり形状は異なるものの、まちがいないでしょう。討伐隊でも用いますから、判るのです。あいつ……先生にこんな真似しやがって、もう許せん!」
語尾で突然、感情を爆発させ、燕隊長は床に転がる酒瓢箪を、思いきり蹴り上げた。
中から酒が吹きこぼれる。啊、アレ……燕隊長が取り上げて、ここにあったのか。
ただいまの大騒ぎで、どこかに隠してあったのが、床に落ちたんだな、きっと。
なんにせよ、【厄呪環】と聞いて、僕はひとつ得心し、大きくうなずいた。
「それで、神々廻道士が呪禁を唱えるたび、僕の首を絞めつけたり、この宝玉の色味や文字で、僕の心を読んだりできたんですね? だけど、それがそんなに重要なことですか?」
僕の質問は、前の質問よりもっと稚拙で、愚問だったらしい。
燕隊長は、額に手を当て、大きく頭を振った。
「云ったでしょう。この宝玉は、着けた相手の命を吸い取ると……反逆心を殺し、自在に操るためにね。吸い取った生命力は、鬼業と化し、やがては着けた者を廃人にするのです。いや……あるいは生きる屍と云った方が、いいかもしれませんな。とにかく危険な代物だ」
命を吸い取る、命を吸い取る……あっ! つまり! 要は! まさか! そんな!
「ぼ、僕……死ぬんですか!?」
顔面蒼白、声を震わせる僕に、燕隊長は慈愛に満ちた笑みを向け、こう云った。
「ご心配なく。今すぐどうこう、というほどの鬼業を、先生からは感じません」
ホッと胸をなで下ろす僕。
でも、今すぐじゃなくても、いずれはってことだよね……?
だが、僕が懊悩の海へ沈みこむ前に、燕隊長が別の質問で、気を逸らそうとしてくれた。
「それに、奴は絶えず鬼去酒を呑み続けているとも、云いましたね」
「え? えぇ……それはもう、物凄い呑みっぷりで……」
それでも、なかば放心状態の僕は、うわの空で答えた。
しかし、燕隊長の次なるセリフが、僕をハタと覚醒させた。
「では、やはり……あの噂は、真実だったのか」
腕組みし、目を伏せ、意味深な態度で、つぶやく燕隊長だ。
僕は戸惑いながらも、ただいまのセリフの意味を訊ねた。
「なん、ですか?」
「神々廻道士は……いや、趙劉晏は、シラフになると人外の物と化す」
「は、い?」
あのぉ……余計に意味が、判らないんですけど……「人外の物」って、なに?
「もう少し、様子を見るべきかもしれんな、うむ……先生!」
「あ、はい!」
突然、燕隊長に力強く肩をつかまれ、僕はキリッと身を正した。と云うより、緊張で身を固くした。まさか、とは思うけど……いきなり、この場で押し倒したりはしないよね?
だけど、ヤケに熱っぽく、からみつくような眼差し、肩から伝わる体温は上昇傾向、小首をかしげて近づける顔……どんどん近づいて来る! 喂々! 口づけでも、する気か?
先刻からの流れで往くと、やっぱりそうなるの!? うぎゃ――っ! 頼むから、ちょ、ちょっと待ってくれ! 心の準備が……ってか、正直やめて欲しいよ! やめて――っ!
だけど、わずかに開けられた唇が、唇が、唇が、ついに! 僕へ……こう告げた。
「では、申しわけありませんが、ただちに牢内へ戻って頂きます」
「は……はぁあ?」
思いがけない一言に、吃驚したり、安堵したりで、僕は声を裏返した。
そんな僕に、燕隊長は作戦の概要を語り始めた。
「先生には今まで通り、奴に与するフリをして、そばに張りついていてもらいます。そして、奴の隙を見て、酒瓢箪の中身を鬼去酒から、鬼業に効果をもたらす『樒酒』へとすり替えて頂きます。それを呑んだ瞬間こそ、奴の最期……奴の正体は暴かれ、周囲で常に監視している我々【百鬼討伐隊】が捕縛に乗り出すと、まぁ、こういった流れになります」
よかった、この人……ようやく護国団筆頭の指揮官らしくなって来たよ……でもなぁ。
「そんなに、上手くいくでしょうか……あいつ、結構、勘がいいし、なんか不安で……」
僕は本音をもらし、弱気な表情でうつむいた。
「心配ご無用! 先生の身の安全は、我々が保証します!」
うぅん……確かに、僕一人じゃどうにもならないし、ここまで力説されちゃ、否とは云いづらいよなぁ……信用してないみたいでさ。今は護国団筆頭の彼らに、すべてを託すしかないか。これも、神々廻道士の呪縛から逃れるためだ。そして今度こそ、当初の目的である〝凛樺奪還〟を果たすためだ。やるしかない! そうだ、やるんだ! 頑張るんだ!
「判りました、燕隊長! 僕、やってみます! 必ずや作戦を成功させ、神々廻道士の悪行の数々を、白日の下に晒しましょう! そして、奴の息の根を止めてやりましょう!」
燕隊長は無言でうなずき、僕の両手をギュッとにぎった。これにて、協定締結!
だけど、もうひとつ……僕にはどうしても、気がかりな点があった。
この機会だし、神々廻道士の過去を知る燕隊長に、思いきって聞いてみよう。
「あの、燕隊長……是非とも、教えてください」
「なんでしょう?」
「神々廻道士……趙劉晏の過去と、雁萩太夫との関係を」
「雁萩太夫……?」
その名を聞くや、燕隊長の片眉が、ピクリと上がった。口元が真一文字に引き結ばれる。
なんか、まずいこと聞いちゃったかな……でも、大切なことだし、僕は知りたいんだ!
雁萩太夫を、苦界から救い出すために!
「………………………………」
それにしても、ムチャクチャ長い沈黙……つ、つらい!
だがやがて、待ち望む僕の、真剣な眼差しに観念したのか、燕隊長は重い口を開いた。
「いいでしょう……なにも知らずに、ただ振り回されるのは、先生とて不如意でしょうからね。私と劉晏と《紗耶》の関係、過去の経緯を、時間がないので簡略にご説明します」
ー続ー
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