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神さまなんて大嫌い!④

 【汪楓白おうふうはく、羞恥心の限界を超えるの巻】



 その後、神々廻道士ししばどうしの働きで、鬼騒動が収まった村落では、ささやかな宴席が設けられ、村長の邪鬼祓い成功を祝い、集まった住民たちにより、こんな会話がなされていたそうだ。

「それにしても、神々廻道士さまは、素晴らしい御方だなぁ」

「本当ですね、お父さま。人は見かけではないのだと、よく判りました」

「そうそう! 現れた当初は正直、不安だったがねぇ……よくやってくれたよ!」

身形みなりはとにかく、強くて精悍で勇敢で……顔立ちも、なかなか男前だったじゃないか」

「なんにせよ、今夜は村長の完治と、神々廻道士さまの活躍に対し、祝盃を挙げようぜ!」

 村長も、愛娘も、住民たちもみな、村落中央広場の焚火台を囲み、酒酌み交わし、口々に神々廻道士へ惜しみない賛辞を送り、彼の武勇をほめたたえていた。
 ところが、そんな風に浮かれ調子の村人たちへ、突如、妖しい集団が忍び寄って来て、祝宴に水を差した。

「その祝盃、しばし待たれよ!」と、威風堂々たる男声。

 背後の闇に、ズラリと立ち並ぶのは、赤い戦袍せんぽうの一団。

 腰には段平刀だんびらがたな、背には〝事難方見丈夫心じなんほうけんじょうぶしん〟の黒字隊訓。

 振り返って、その姿を見るなり、村人たちは震撼した。

「そ、そんな……嘘だろ、まさか!」

「なっ……何故、あなたがたが……」

「「「ひっ……【百鬼討伐隊ひゃっきとうばつたい】!?」」」

 陶磁器製の祝盃が、村長の手からすべり落ち、地面で粉々に砕け散った。

【百鬼討伐隊】……それは、住劫楽土じゅうこうらくどを守護する二大軍部【左右衛士府そうえじふ】から選抜された、精鋭ぞろいの鬼退治専門護国団だ。全十二小隊からなり、おもに邪鬼や妖怪、鬼憑き罪人を捕縛断罪するのが仕事である。彼らは斬り捨て御免の権限を持し、ひとたびこの残忍な狩人に、鬼憑き嫌疑をかけられたが最期……一族郎党、連座で死罪というのが常套だった。

 ゆえに、天下の悪法『百鬼狩り令』発布時の当世では、民草から鬼より恐れられている存在なのだ。当然、村人たちも身に覚えがあるため、余計に、震え上がるのは道理だった。

「あ、あの……どういった御用でしょう」

 それでも平静を装いつつ、勇気ある村の若者が、赤戦袍の一団へ問いかけた。
 ちなみに、彼らの戦袍が赤いのは、討伐相手の返り血で、武功を競い合うように、染めているからだ。

「うむ。ここで鬼憑き騒ぎがあったと、近在の村の者から、通報を受けてな」

 副長とおぼしき髭面の壮年男が、威圧的な口調で、こう云った。村長は顔面蒼白、娘は戦慄、住民たちは焦燥……とにかく、みなが一丸となり、慌てて討伐隊の疑念を否定した。

「ご、ご冗談でしょう! 鬼憑きなんて、この村にはいませんよ!」

「えぇ、そうです! 謂われなき嫌疑は、はなはだ迷惑です!」

「そんなの、誤報に決まっています! どうぞ、お引き取りください!」

 しかし、残忍で執拗な狩人たちが、簡単にあきらめるはずもなく……討伐隊のまだ歳若き鬼隊長《鬼焼おにくべの彪麼ひょうま》は、炯々けいけいたる眼光で村人たちを睨み、ズバリ核心を突いて来た。

「それは妙だな……先程、お前たちが《神々廻道士》の話をしているのを、確かに聞いたのだが……奴が訪れたということは、邪鬼や妖怪にまつわる騒動が、ここで起きたという証ではないのか? 正直に話した方が、身のためだぞ? 奴は、ここでなにをしたのだ?」

「そ、それは……」

 村人たちは、鬼隊長の有無を云わせぬ気迫に圧倒され、うつむき、口ごもった。

 そこへ拍車をかけるように、一歩前に出た厳格な隊正が、語気を荒げて恫喝する。

「云え! 云わぬと、貴様ら全員、鬼憑きとして、連座の死罪にするぞ!」

 殺伐とした空気を漂わせる隊員が、一斉に村人たちを取り囲み、武具を軋らせ威嚇する。

 村人たちは腰砕け、おびえて冷や汗まみれ、それでも懸命に取りつくろおうと云い返す。

「そんな、殺生な! いくら、護国団筆頭のお役人さまでも、あまりに乱暴すぎます!」

「どうぞ、私どもを信じてください! 決して、嘘偽りなどは申しておりません!」

「これ、この通り……鬼憑きの兆候を見せる者とて、どこにもおりますまい!」

 だが、鬼より怖い【百鬼討伐隊】に、そんな云いわけは、まったく通用せず、かえって彼らの怒りに、火を注ぐだけの結果となってしまった。副長が、鬼の形相で怒鳴りつける。

「黙れ! 最早、貴様らに、選択肢などないのだ! 我々の云う通りにしろ!」

 こうなっては最早、如何いかんともしがたい。ついに観念した村長は、せめて愛娘や村人、恩人である《神々廻道士》だけでも救おうと、自ら名乗り出て、赤戦袍軍団に情けを乞うた。

「うっ……わ、判りました……ですが、神々廻道士さまは、あくまで私に憑いた邪鬼を祓ってくださっただけで……すべての咎は、邪鬼など依せてしまった、私自身にあります! 娘や、村人たちには、なんの罪もありません! ましてや、神々廻道士さまは、私どもの恩人! これ以上、迷惑はかけたくありません! どうか、どうか……寛大なご処分を!」

 地面に額をこすりつけ、必死に懇願する村長の姿を横目で見やり、鬼隊長は長嘆息ちょうたんそくした。

「ふっ……神仏まで手玉に取るという、イカサマ道士か。毎度毎度、我々の仕事を横取りしおって……今度ばかりは、許さんぞ。奴の化けの皮を、衆目の前ではがしてやる……」

 低くこもった声で、そんな怨言をつむぎ、【百鬼討伐隊】の中でも、とくに武勲誉れ高い『諡火おくりびの第三小隊』を統べる若き指揮官《鬼焼べの彪麼》は、黒瞳こくどうに闘志を燃えたぎらせた。しこうして【劫貴族こうきぞく(住劫楽土の人口大多数を占める『劫族こうぞく』の中でも、とくに身分の高い支配階級)】出身の彼は、この日……神々廻道士への敵愾心を、ますます強めたのだ。



 さて、僕は死に、物語は完結……したかに見えたが、いや……悪夢はまだ、続いていた。

「それにしても、あのクソオヤジ! 正気に戻った途端、えらそうな態度取りやがって! 折角、助けてやったのに、手間賃は、これっぽっちかよ! ケチ野郎! これじゃあ、骨折り損のくたびれ儲けじゃねぇか! ムカッ腹の立つ! いっそ目の前で小娘を、嬲り者にしてやりゃあよかったぜ! 畜生っ……この莫迦ばかは、信じられねぇポカやらかすしよ!」

――バンッ!

ひつぎに放りこんで、村民から謝礼と金を騙し取り、引き上げるまではよかったが……まさか、この莫迦が、あんな真似するとは……俺さまの刀身をワザと受け止め、しかも、あんな信じられねぇコト……とにかく、お陰で村人どもをなだめ、取りつくろうのに、余計な手間をかけちまったじゃねぇか! 一体なんなんだよ、こいつ! イラつくったらねぇ!」

――バンッ、バンッ!

「まぁ、まぁ、ご主人さま。そう、お怒りにならず……」

「こんな危険なヤツ、さっさと殺しちまいましょうぜ!」

ああ、それが得策ですな。びょうへ着く前に、この場で……」

――バンッ、バンッ、バンッ!

「だぁあぁぁぁあっ! うるさあぁぁぁあいっ!」

 何度も何度も執拗に、柩の上蓋を叩かれ、僕はようやく意識を取り戻した。

 思わず上蓋を押し開け、柩を乗せた大八車の上に、敢然と立ち上がる。無論、素っ裸で。

「おぅおぅ。相変わらず、口先だきゃあ、威勢がいいな」

 同じく大八車の上、柩の横に乗り、僕を嘲笑いながら、瓢箪酒ひょうたんざけをあおる神々廻道士だ。

「ついでに、下もねぇ……クス❤」

 大八車の後ろから、一見美少女の蛇那じゃなに、下腹部を指差され、僕は慌てふためいた。

「うひゃあぁぁあっ! ちょっと、見ないでくださいよぉぉおっ!」

 僕は、その部分だけでも手で隠し、急いで柩の中へ座りこんだ。すると大八車の横側へ、ヌゥ――ッと立ち現われた不気味な影法師・蒐影しゅうえいが、僕の倉皇そうこうぶりを茶化すように云った。

「見せつけるかのように、我々の目前へ立ちはだかったのは、お前の方だろう」

 大八車の牽き手・赤毛の呀鳥あとりも、僕を小莫迦にしたように見上げ、口のをゆがめる。

「今更、隠したってムダムダ。みぃんなに、見られちまったからなぁ」

 そんな、絶望的なこと……真実でも、云わないでくれよぉおっ!

「……ってか、なんで僕、裸なんですか! しかも髪は、ボサボサだし……僕に一体、どんな恨みがあって、晒し者に……ここまでの辱めに合わせるんですかぁ! うわ――ん!」

「男のクセに、泣くんじゃねぇ!」

――バチ――ンッ!

 途端に、情け容赦ない張り手が炸裂……ひえぇえっ! 頬っぺた、腫れそう!

「痛ぁあっ! また殴る! どうして、あなたは、そう暴力的……アレ? そう云えば僕、さっきあなたに、胸を刺されたような……でも、傷跡がない……肢だって、物凄い痛みを感じたのに、なんともない……立ち上がれる……ってことは、悪夢だったのかなぁ……」

 そうだ、あの時……確かに、僕は、こいつに……どうなってるんだ!?

 すると神々廻道士は、不機嫌そうに舌打ちし、僕を睨みつける。

「誰が、〝こいつ〟だって?」

「ひっ……ごめんなさい、ご主人さま!」

 僕はすっかり、気持ちの面で委縮し、条件反射で、謝る必要もないのに、謝っていた。

 神々廻道士は、逆にどんどんつけ上がり、悪辣あくらつきわまりない暴論を、平然と振りかざす。

「てめぇは罪人の死骸だっつってんのに、あんな身綺麗なカッコしてたら、怪しまれるだけだろ! そんなことも判らねぇのか、この莫迦が! 文官のクセに、ホント頭悪ぃな!」

「なるほど、尤もですね。はい……いや、もう騙されないぞ! よくも僕に、生き恥を!」

 僕の我慢も、ついに限界に達し、拳を振り上げ、神々廻道士へ、殴りかかろうとした。

――ドカッ!

「ふぐっ……」

 無防備な股間に、神々廻道士の足蹴りが直撃……って、冷静に、状況を説明してる場合じゃないや! こいつは効いたぁあっ! 死ぬほど痛いよぉおっ! 痛すぎて、はっ、吐きそう! うっぷ! もう……なんも云えんわ! 男なら、察してくれるよねぇぇえっ!

「脳足りんの阿呆が! 俺さまに、口ごたえすんじゃねぇ! 八つ裂きにすんぞ!」

 …………くっ! 怒声も響く……つらい……潰れた、かも…………うがあぁぁあっ!

「嫌だ……痛そう」

「声も出んらしい」

「自業自得だろ!」

 蛇那、蒐影、呀鳥は、三者三様。口々に、さまざまな言葉を、投げかけて来る。

 但し、誰の顔にも、嘲るような笑みが、湛えられていた。ち・く・しょ――――っ!

 永らくの間、脂汗をかき、悶絶している僕だったが、やがて、ナニがナニして、ナニになり……なんとか苦痛も引いて来たので、ようやく柩の縁につかまって、半身を起こした。

「なんだ、永眠したんじゃねぇのか?」

「……ゼェ、ゼェ、悪い冗談は、ゼェ、ゼェ……や、やめてくださいよ」

 ただ、呼吸の乱れだけは、なかなか元に戻らなかった。

 僕は切れ切れに、声をつむぐのが、やっとだった。

 さらに半時ほどすると、僕は急に寒気を覚え、ゾクッと身震いした。

 多分、廟の近くまで来ているのだろう。辺りは鬱蒼たる竹林で、蚊も多い。

 天には赤い忌月いみづきが満々とたたえられ、深奥な夜闇を、不気味に照らし出している。

 暑気も隆盛の胠月きょげつ、朱夏とはいえど、全裸では寒くて当然だ。

 それに、羞恥心だってある。

「あの~、すみません。凄く寒いんですけど……そろそろ服を、返してもらえませんか?」

 僕は思いきって、延々と酒をあおり続ける神々廻道士に、こう願い出た。
 しかし――、

「啊、アレな。俺さまの腹ン中だ」

「え?」

「酒代にして、呑んじまったってことだよ」

「えぇっ!?」

「ついでに、懐中品も全部、酒代に変えたからな」

「えぇえっ!?」

「おっと、こいつだけは売れなかったぜ。こんなクソくだらねぇ三文小説、ゴミだってよ」

「えぇえぇぇえっ!?」

 神々廻道士は、ボロボロになった日記だけを、僕に投げ返した。

 そんな……あんまりだ! 僕になんの断りもなく、勝手なこと……非道ひどすぎる! どこまで根腐れた野郎なんだ、このイカサマ道士は! こんな奴、死後は絶対、地獄逝きだ!
 と、心の中で、思いっきり悪態をついた、その瞬間!

唵嚩耶吠娑嚩訶おんばやべいそわか!」

「ぐっ……ぐえぇえぇぇえっ! くっ、苦しいぃぃぃいぃぃぃぃいっ!」

 いきなり、神々廻道士が唱えたのは、例の呪禁じゅごんだ。直後、首輪が急激に締まり、僕は七転八倒、四苦八苦……呼吸ができず、首輪をつかんで、柩の中、悶絶する有様であった。

 神々廻道士は、そんな僕の苦しみようを見下し、荒々しい語調で痛烈になじった。

「野郎だ? イカサマだ? 地獄逝きだ? あ? なめてんのか、てめぇ? あ?」

 神々廻道士は、僕の首輪の飾り宝玉をつかみ、乱暴に引っ張りながら、難癖つけて来た。

 泪型の宝玉は、赤く変色し、内部に奇妙な文字らしきものを、浮かび上がらせている。

 どうやら、神々廻道士はこれで、僕の心裏を読み解いているらしい。

 しかし……それにしても、だ。

 心の声まで聞かれてしまうというのは、なんて残酷なんだ! 自由に、物思うことすら、禁じられてしまうなんて……僕は最早、声も出せず、一刻も早く苦境から脱したい一心で、忌々しくはあったが、やむなく神々廻道士の足元に土下座して、両手を合わせ、懇願した。

「ねぇ、ご主人さま。これだけ、謝ってるんだから、許してあげましょうよ。ね? ね?」

「なんだ、蛇那……情がうつったか? 相変わらず、惚れっぽいな」

「しかも、毎度毎度、クズ男ばっかに熱を上げる……お前の悪いクセだぜ」

 尤も、この時の僕には、三妖怪の勝手な放言など、ほとんど耳に入っていなかったが。

うん!」

 だが、神々廻道士は唐突に、呪禁解除の文言を唱え、僕の首輪の収縮を止めてくれた。

 うぅむ……止めて〝くれた〟ってのも、なんだか癪だけど……多分、まだまだ僕を、利用する算段なのだろう。すぐには殺さず、使い勝手がある内は酷使する……残虐非、ムゴムゴ! 余計な物思いは、禍の元だ! とにかく、現時点では助かった……はぁ――っ!

 それに宝玉は、たちまち碧色になり、文字(らしきもの)の雰囲気も、だいぶ変わった。

 やっぱり、そうなんだ。最早、疑いようもない。

 昨日、神々廻道士……いや、ご主人さまが云った通り、これが僕の内心を表してるんだ。

「ふん、ようやく、判って来たみてぇじゃねぇか」

「ゼェ、ゼェ、はい……よぉく、痛いほど、つらいほど、苦しいほど、判りました」

 こうなったら、無だ! 無我の境地を目指すんだ! ……とは、思ってみても、僕は元来、雑念が多いんだ! 文士をやってるくらいだから、思案を止めるというのは、絶対に無理があるんだ! それじゃあ……どうなるの、僕? 今後も一生、奴隷生活? 嫌だ!

 そんなの絶対に、嫌だよぉぉぉおっ!

 こうなったら、当たって砕けろだ! 真正面から、ぶつかってみるしかない!

「ご主人さま! どうか、お願いです! 僕を自由にしてください! 僕はただ……妻を、凛樺りんかを、取り戻したかっただけで……このままでは、彼女はどんどん遠ざかってしまう! ホンの少しでも、僕を憐れと思うなら、どうか、どうか……お慈悲をぉおぉぉおっ!」と、再び土下座してみた。
 神々廻道士の邪悪な性格……ではなくて! 勝気な性格から鑑みても、勝算がきわめて低いことは、判りきっている。無駄骨になることだって、百も承知だ。

 でも、でも……でも!

「……いいぜ。但し、交換条件だ。これから起こる事態を、上手く一人で解決してみせろ」

「は?」

 あまりに呆気なく、思いがけない言葉……拍子抜け……僕は一瞬、我が耳を疑った。

 すると、次の瞬間――、

――ヒュンッ!

 突如、金色に煌めく円環が、空を斬り、僕の頬をかすめ、柩の縁に突き刺さった。

「な、ななっ……なに、なんなの、これは!?」

 ギュンギュンギュン……と、耳障りな音を立て、柩の縁を削り、なおも回転し続けるそれは、金環の外周から、五寸ほどの鋭い刃を、幾本も立ち上げていた。丁度、丸鋸まるのこぎりのような形状の武器である。さらに、細い鉄線がついていて、闇中にひそむ何者かが、勢いよく引っ張ると、鉄線が外周に巻きつき、数多あまたの刃を寝かせる、という仕掛けらしい。そうして、ただの金環に戻した上で、操舵主そうだしゅの手の中へ無事に帰参させる、という仕組みらしい。

 それを見た道士……ご主人さまは、目の色を変え、険悪な表情で吐き捨てた。

「来やがったな! 賞金稼ぎの変態姉妹! 《魑魅狩ちみが琉樺耶るかや》と《夜叉篭やしゃごめの茉李まつり》!」

「へ、変態姉妹!?」と、聞いて、僕の胸は何故か、異様に高鳴った。

 こら! それ以前に『賞金稼ぎ』と、聞いて、驚くべきだろう! どうしたんだ、僕!

 なにはともあれ……竹をしならせ、笹の葉を散らし、中空から颯爽と舞い降りて来た謎の二人組に、僕の目は釘づけとなった。大八車の進路を阻むように、五間ほど手前へ着地したのは、いかにもな女武芸者二人……長身の一人は先程の金環武器をたずさえ、小柄なもう一人は重厚感たっぷりな大鉞おおまさかりを、片手で軽々と肩に担いでいる。彼女らは敵意をむき出しにし、ご主人さまへ、威圧的な態度で喰ってかかる、怖い物しらずな豪胆さを見せた。

「ついに見つけたぞ! いよいよ年貢の納め時だな、神々廻道士!」

 うぅん……凄い美人だけど、こっちは別段、変態に見えないなぁ……なんか、ガッカリ。

 怜悧れいりで涼しげな美貌を誇る女は、歳の頃二十。劫族男子風の、頭頂部でひとまとめにした元結髷もとゆいまげが、よく似合っている。服装は、動きやすさを重視したのだろう。黒地の革戦袍は、体にピッタリと密着しており、それが彼女のしなやかな細身を艶っぽく強調している。

 衣服からわずかにのぞく日に焼けた精悍な肌が、かえって隠された部分への妄想をふくらませ、なんとも男心をくすぐ……いや! 僕の心は、愛する妻・凛樺一人のものだぞ!

「おねぇたまに刃向かうちゅもりなら、しゅっごく痛い〝おちおき〟しちゃうからね!」

 うん、こっちはまちがいなく、変態だ。所謂いわゆる、露出狂ってヤツ? しかも、幼児言葉!

 歳の頃は十六、七。童顔で、色白で、藍色の瞳は大きく、唐輪髷からわまげに牡丹の花をあしらったかんざしを挿し、愛くるしい顔立ちをしているのに、小柄な体は、意外にも熟しきっている。

 襟ぐりは丸出し、爆乳は赤い胸当から今にもこぼれそうだし、裾丈も短すぎて、動くたび白い下穿きがチラチラ見え隠れするし、そのクセ手甲脚絆はしっかり巻いているし、その不均衡感が、なんとも男心をくすぐ……いや! 僕の心は、凛樺一人のものだってば!

 神々廻道士は、フンと鼻を鳴らし、蛇那は、いかにも不愉快げに眉宇びうをひそめた。

「嫌だ! また、あんたたちなの!? 執拗しつこいったら、ないわね!」

「だが、姉貴分の方は、なかなかいい感じだぞ。そこはかとない色香が、また……な」

「そうか? 俺は妹分の方が断然、好みだけどな。だって、あのカッコ見ろよ。ってくれって、云わんばかりじゃねぇの。毎度のことながら、たまらんわ。目の保養になるぜ」

 ただ、蒐影と呀鳥は、どうも歓迎しているような口ぶりで、美女二人に熱視線を送っている。それを横で見聞きし、蛇那は大きなため息をつき、神々廻道士へしなだれかかった。

「男って、これだから嫌よ……ねぇ、ご主人さま❤」

「なんだ、白蛇オカマ! それじゃあ、てめぇ……俺さまも、同類だっていいてぇのか?」

 途端に神々廻道士は、不機嫌そうな表情になり、甘える蛇那を乱暴に突き放した。

 蛇那は気落ちした様子で、肩をすぼめている。

おい! ちゃんと話を聞きな! 死ぬ前にも、地獄を見せるよ!」

 琉樺耶と云う名の長身美貌賞金稼ぎは、金環武器二輪を胸の前で交差させ、刺々しい大音声だいおんじょうで僕らを圧倒する。今、思い出したんだけど、あの武器……もしかしたら『天法輪てんぽうりん』ってヤツかもしれないぞ! 通常は神祇官じんぎかん鬼狩人おにかりうどが、邪鬼のたぐいを捕縛するのに用いる特殊な投擲具とうてきぐだ。それに、彼女の闘志といい、身ごなしといい、かなりの強敵と見た!

「まかちて、おねぇたま! 茉李が、こんなやちゅら、コッペパンにしてやるから!」

 茉李と名乗った童顔小柄の方は、大鉞を振り回し、僕らを威嚇する。それにしても、見かけによらず、凄い剛腕……いや、怪腕だなぁ! あの大型武器を、ああも軽々とあつかえるなんて……これも意外と、難敵かもしれないぞ? ご主人さま、どうするつもりだ?

 と、心配したのも束の間――、

「コテンパン、だろ。なんだい、コッペパンって……相変わらず、舌足らずだね、茉李」

「てへ❤ やぁだぁ……まちゅがえたぁ❤ ゆるちて、おねぇたま❤」

「はいはい、仕様のない子だね。暑苦しいから、すぐに抱きつくのは、おやめ」

「だってぇ……おねぇたまの胸に、スリスリすると、しゅっごく落ちちゅくんだモン❤」

 哈哈ハハ……、いやはや、なんともはや……えぇと、どう云っていいのやら……。

 それにしても、この二人の、なんとも云えない甘々しさ、色んな意味で異色な性格設定、見てて恥ずかしくなるような独特の世界観……うぅむ。とても、ついていけない……まさかとは思うけど、女同士でデキてるんじゃないだろうな? うん、その可能性が高いぞ!

(茉李の方は、甘えかたが、蛇那と微妙にかぶってるし……)

「啊! お前……私たちの隙を突いて、神々廻道士と仲間を、逃がしたね!?」

「いやぁ――ん! ホントだ、いなくなってるぅ! ぴど――い!」

 再度こちらを向くなり、琉樺耶と茉李は、怒声と悲鳴をかさねた。僕には、その言葉の意味が一瞬、判らず、キョトンと小首をかしげた。しかし、周囲を見れば人気はなく閑散。

「なんだよ、〝ぴどい〟って……ん? えっと、わぁあぁあっ! いつの間にぃ!?」

 なんと神々廻道士と、三妖怪の姿が、いつの間にか、見えなくなっていたのだ。

 まさか……まさかとは、思うが、まさかなの!?

「僕を置き去りにして、逃げちゃった!? そりゃあ、あんまり非道すぎでしょお!」

 僕は慄然とし、周囲の闇に目を凝らしたが……やっぱり、いない。なんてこった!

 そういえば、さっき神々廻道士が、こんなことを云ってたな……『これから起こる事態を、上手く一人で解決してみせろ』……それが、解放の交換条件だと! つまり僕一人で、こいつらを、倒せってことなの!? そりゃあ……無理だ! 絶対に、絶対に無理だよ!

 大体、僕……服も着ていないし、丸っきりの丸腰なんだよ!? どうしろってのさ!?

「とぼけるんじゃないよ! お前が如き小悪党の浅知恵なんて、お見通しなんだよ!」

「しょうだ! おねぇたまは、なんでもお見通しなんだぞ――っ!」

 ズイッ……と、大八車に近づいた女賞金稼ぎ二人は、怒り心頭、戦意万端だった。

 だけどさ……ちょっと待ってくれよ!

「いや……そもそも、あなたたち、隙だらけだったじゃないですか! 二人だけの世界に入りこんじゃって、恥ずかしいったら……大体ね! 賞金稼ぎのクセに、なに捕り逃がしてんですか! あんな大悪党、のさばらせておいたら、今後どれだけ弱者が泣く破目に」

「黙れ! 薄汚い罪人の仲間が、えらそうな口利きやがって……この琉樺耶ねえさんに、意見すんじゃないよ! さっさとそこから出て来い! まずはお前をお仕置きしてやる!」

「しょうだ! 早く出て来ぉ――い! おちおきちちゃうぞ――っ!」

 出て来いったって、それは、さすがに……まずいっしょお! 僕は頬を紅潮させ、まるで浴槽に浸かるように、柩の中へ身を沈めては、縁につかまったまま、女二人を睨んだ。

「い、嫌です! 遠慮します!」

「ほぉ……つまり、その柩の中に、永眠させて欲しいのかい!」

 そ、そんな……こっちの事情も知らないで、怖いこと、云わないでくれよぉ!

「それも、嫌です! 遠慮します!」

「だったら、こうちちゃうぞ! てぇえ――いっ!」

「ま、待って! 僕は、あいつらとは無関係……うぎゃぁあぁぁぁあっ!」

 すかさず駆け寄った茉李が、僕入り柩の乗った大八車を、その怪腕で思いきり振り回し、ついには派手にひっくり返してしまった。僕は柩から投げ出され、琉樺耶の前にドスン!

 地面に頭をめりこませ、丁度、逆さまで大事な部分を丸出し状態……って、ひ――っ!

 恥ずかしすぎる! 羞恥心の限界越えだ! だって、僕……服を着てないんだぞ!?

「きゃん! こいちゅ、しゅっぽんぽん!」

「ひっ……」

 案の定……というか、それ以上の過剰反応を示したのは、琉樺耶の方だった。小さな悲鳴とともに顔を覆い、背中を向け、ワナワナと震え出し……直後、烈火の如く激昂した。

 どうやら彼女、猛烈な男嫌いらしい。いや、嫌いを通り越して、憎悪してるかも?

「き、貴様……この、私の視界に、よくも、そんな、薄汚いモン、入れてくれたねぇ!」

 なんとか半身を起こした僕は、慌てて恥部を手で隠そうとした。

「そんな、ムチャクチャな……云いがかりも、はなはだ」

 刹那、ヒュンッ……と、空を斬り飛来した金環が、僕の股間に突き刺さった。

「どっしぇえぇぇぇえっ! あっ、あっ、あっ……あぶっ、危なっ……」

 も、もう少し! あと一寸で、大事なモノが、斬り落とされるトコだった! 金環の鋭利な刃は、僕自身とスレスレのところで、ギュンギュンと音を立て、猛回転しているぞ!

「こらぁ! 茉李のおねぇたまに、よくも恥をかかちてくれたわねぇ!」

「恥をかいたのは、こっちですよ! しかも、あんたのせいで!」

「最早、問答無用!」

 琉樺耶は、僕(の裸)を、見るのも疎ましいといった感じで、再び天法輪を投じて来た。

 しかも、さっきより確実な殺意をこめて! 今度は、僕の顔面めがけて!

しゃぁあぁぁぁあっ!」

 すると僕は奇声を発し、近くに落ちていた木の枝で金環をはじくと、凄まじい勢いで地面を蹴った。信じられないような脚力で、孟宗竹を駆け登り、笹の葉を散らしては、女賞金稼ぎたちの視界をさえぎる。笹の葉は、それ自体がまるで小刀の如く鋭利になり、彼女たちの衣服を、あられもなく斬り裂いた。途端に、けたたましい悲鳴が竹林に響き渡る。

「きゃあぁあぁぁぁぁあっ!」

 ここでも、やはり胸元や腰回りを露呈され、倉皇したのは、琉樺耶の方だった。年上で冷静なように見えても、彼女の方がスレてないらしい。対して茉李の方は、というと……爆乳がボロンとこぼれても、短袍たんぽうの裾がズタズタになっても、肢のつけ根がきわどく見えちゃっても、まったく動じない……どころか、いよいよ躍起になって僕を追って来る。

「よくもぉ、おねぇたまをぉ、傷ちゅけたわねぇ――っ!」

「哈哈哈! 実にいいながめだ! いっそ、俺同様に、素っ裸にしてやろうか!」

 ちがう! ちがうってば! 判ってくれるよね! これは、僕じゃないってこと!

 まちがいなく、僕は蒐影に操られているのだ! 僕を置き去りにし、さっさと逃げ出したはずの三妖怪は、一時的に近場へ身を隠しただけで、こういう反撃の好機をうかがっていたのだ! つまり……ってことは、だ! 神々廻道士も、すぐそばにいるってこと!?

 よく見れば、竹笹かと思ったものは、呀鳥の風切り刃(羽)だし、その上――、

「嫌ぁあぁぁぁあっ!」

 巨大な白蛇……いや、蛇那だ! 本性を現した蛇那が、ひるんで動けずにいた琉樺耶の肢体へ、がんじがらめに巻きついている! うひゃあ――っ! 物凄く、凄艶な光景!

 さらに、駄目を押すかのように、大翼をひるがえした呀鳥が、とんでもないことをやらかした! 僕を振り落とそうと、大鉞で竹幹を斬り刻んでいた茉李に、背後からおおいかぶさり、二度三度、両翼をすり合わせた途端、茉李の衣服は一糸も残さず消滅していた。

 要するに……、

「きゃ――んっ! ヤダ、ヤダ、ヤダァ――ッ!」

 これには、さすがの露出狂(?)茉李も、可愛らしい悲鳴を上げ、その場にうずくまってしまった。なんてこった……いくらなんでも、女の子相手に、非道すぎるよ、これは!

「哈哈哈! いいザマだな! この俺に、楯突いた罰だ!」

 だからぁ――っ! ちがうって! 僕じゃないの! 絶対に、ちがうんだよぉ――っ!

「ひゃあっ……嫌ぁあっ……んぐ」

 そうこうする間に蛇那がチロチロと舌先で琉樺耶のうなじをなめ、勝気な女賞金稼ぎに、妙に色っぽい嬌声を上げさせている。しかも、細く伸びた蛇那の四肢は、それ自体が子蛇と化し、琉樺耶のパッツンパッツンの黒革戦袍の中へすべりこみ、妖しくうごめいている。

 うぅむ……これは確かに、なかなか見ごたえが……じゃない!

 非常事態だ! なんとか、助けてやらなくちゃ! ……と、決意も新たにした瞬間、僕の思考を読んだのか、蒐影が、またしても、僕の意に反し、突飛な行動を起こしたのだ。

「よぉし、とどめだ! その可愛い顔を、恥辱まみれにしてやるぜ! 哈哈哈哈哈!」

 そう云って、僕のアレをつかんだ蒐影……ま、まさか! とどめって、まさか!

 僕は猛烈な尿意を覚え、顔面蒼白となった。(見た目は、笑ってるんだけどね)

 そんな、嘘……悪い夢だ……こいつってば、他人の体内器官まで、操れるのぉお!?

「クソッ……冗談だろ! や、やめろ!」

 やめたいよ! やめたいけど、どうしようもないんだよ! お願いだから、そんな目で、僕を見ないでくれ! これじゃあ、僕……丸っきり、ド変態じゃないか! 畜生っ……こいつら、どこまで人をもてあそべば気がすむんだ! ハッ……そうだ! まだ、茉李がいたっけ! 喂! 早く助けに来てくれ! 大好きな〝おねぇたま〟が、一大事だぞ! 多少の痛い思いなら、この際、目をつぶるから! 蒐影と、蛇那の暴走を、止めてくれぇ!

 ところが、頼りの綱の茉李は……と、云うと、こっちも大変なことになっていた。

「あぁん! おねぇたまぁ! たちゅけてぇえ! こんなの嫌ぁあぁぁあ!」

 なんと、調子に乗った呀鳥は、肌も露な茉李の膝裏へ翼……でなく、人間のものに戻した腕を差し入れ、開脚状態で、かかえ上げたのだ。判るかな……つまり、それって、小さな子供に、おしっこをさせるような格好ってこと! それが意味するところとは、多分!

「さぁ、お前も出すんだ! さもねぇと、大好きな〝おねぇたま〟の美貌を、俺たちの元締めである、《汪楓白》さまの黄金汁で、ビッチャビチャに清めちまうぞ! いいのか!」

 なんちゅう恥ずかしいセリフ! なんちゅう赤面ものの格好! 可哀そすぎる!

 しかも、呀鳥の野郎! ここに来て、僕の本名、明かしやがった! 莫迦――っ!

「えぇ――ん! おねぇたま! 茉李、はじゅかしくて、死んじゃう! 見ないでぇ!」

 茉李は、手足をバタつかせ、必死に抵抗していたが、やがて泣きべそをかいて、紅潮した顔を両手で隠した……って、隠すトコ、そっち!? だって彼女、なにも身に着けてないんだよ!? 素っ裸(僕もだけど)なんだよ!? 大事な部分が、パックリ御開帳……ヤバい、思わず直視しちゃった! 鼻血が噴き出しそう……いや、今はそんなこと云ってる場合じゃない! なのに当の僕は、蒐影のせいで、またまた爆弾発言をしてしまった!

「どうだ、琉樺耶。ここは素直に、己の負けを認めるか? そうすれば、小便責めだけは勘弁してやる。可愛い妹分の前で恥はかきたくないし、妹分に恥もかかせたくないだろ?」

 極・悪・非・道……しかも、エグい! エグすぎるってば! これが僕だなんて、絶対に誤解されたくない! 頼むから、誤解しないでくれよ! まぁ、無理な相談だろうけど。

「うっ……な、なんて、卑劣な、男なんだ! 神々廻道士以上の、悪党だね! 元締めってことは、お前が諸悪の根源かい! 畜生っ……その、汚いモンを、私に近づけるなぁ!」

 僕だってね、出会ってまだ半時も経っていない女性に、見せたくなんかないよ!

 汚いとか、云わないでよ! だって、これは……凛樺のモノだモン!

「ほら、急げ。あと五秒しか待てねぇぞ。返答如何いかんで、放出開始だ」

 ぐひ――っ! いよいよ、強烈にもよおして来たぁ――っ! 誰か、助けてぇ――っ!

「だ、誰が……くっ、お前なんかに……」

 僕は、自分のアレを、琉樺耶の目前に突きつけて、到頭、秒読みを始める。

「五、四……」

 この時の僕は、恐ろしいほど、邪悪に、冷淡に、笑っていたらしい。(蛇那の後日談)

 すると、後方で呀鳥の魔手に囚われていた茉李が、泣きながら僕に哀訴して来た。

「ぐすっ、えぐっ、茉李、しゅるから……お願い、おねぇたまには、かけないでぇ!」

 妹分の犠牲的精神に心打たれ、琉樺耶は激しく身をよじった。

「ば、莫迦! なに云ってるんだい! 嫁入り前の女の子が、そんな真似しちゃあ、絶対にダメだ! 畜生っ……離せぇ! あんっ、嫌ぁ……そ、そこは、触っちゃダメぇえ!」

 けれど蛇那の緊縛は執拗で、しかも革戦袍の下をまさぐる蛇触手が、彼女の敏感な部分をいじったようで、琉樺耶はゾクゾクッと身震いし、甘い声音こわねで懇願した。その表情の艶やかさ、なまめかしさったら……そこって、どこ!? 蛇那、一体どこを触ったのよ!?

「三、二……」

 おっと、まずい! 悪夢の秒読みは、容赦なく進んでいる!

 どうしよ! どうしよ! だぁ――っ! もう、頭が真っ白だよぉ――っ!

 と、まさにその時だった。勝気な女賞金稼ぎが、ついに根を上げたのは……。

「クッソ――ッ! 判ったぁ! 負けを認めるからぁ! もうやめてぇえ!」

 琉樺耶の悲痛な叫び声が、僕の心を凍りつかせた。

 そんな僕の足元では、影がわずかに隆起し、不自然にゆがんでいる。

「なんだよ、もう少しで……ま、いいか。許してやる」

 そうつぶやいた途端、僕の体は、糸が切れたように脱力し、その場にへたりこんでしまった。影が……蒐影が、僕を傀儡術かいらいじゅつから、解き放ってくれたらしい……た、助かった!

 真正の変態に、ならずにすんだようだ。

「啊っ……や、やっと、体が自由に……よかった! 大丈夫ですか、お嬢さんがた!」

 僕は、ようやく僕自身の言葉で、泪ぐみ、うつむく女賞金稼ぎたちを、心底気づかった。

 蛇那も、引き際は心得ているようで、すぐさま琉樺耶の体から離れ、蛇触手も抜き取る。

 背後では呀鳥が、つまらなそうに舌打ちし、茉李の体を地面に投げ出す。彼女も、琉樺耶同様、放心状態だ。足元に転がる大鉞に視線を落としつつ、身動きひとつできずにいる。

 僕は、先刻とちがい、やけに弱々しく、痛々しくなった琉樺耶と、後方の茉李にも聞えるよう、懸命に慰め……そして、同時に後難を恐れ、女々しく、苦々しく、弁解を始めた。

「どうか、泣かないで……いえ、泣きたいのは、僕も同じなんですよ。こんな話、とても信じられないでしょうが、今までの悪逆非道な行為、実は僕の本意ではなくて、ですね」

 あちこち破れて、いい具合……いやいや、危なっかしく、肌が露出した革戦袍姿の琉樺耶は、僕の言葉を聞いて、フイと泣き顔を上げた。こうして近くで見てみると、彼女は美しい……凛樺以上に……いやいやいや! 凛樺と、タメを張るくらいに、美しい女性だ。

 しかも琉樺耶は、泪に濡れた青藍せいらんの瞳で、じっと僕の顔を見すえている。

 なにか云いたげに、あざやかな朱唇しゅしんを半開きにしている。

 その表情がまた、実に色っぽいったら……僕はついつい、彼女に見惚れてしまった。

 だけど、いつまでもこうしてはいられない。彼女は絶対、僕を恨んでるだろうし……それにしては、奇妙なほど静かだし……僕はその内、不安になって来て、怖々と問いかけた。

「あの……僕の話、ご理解、頂けました?」

 直後、琉樺耶の口から、信じがたい言葉が飛び出した。

「旦那さま……」

「へ?」と、間の抜けた声を発する僕。

「旦那さま、と……これからは、そうお呼びすればいいのね」

「は、はい!?」

 だ、旦那さま!? いきなり、なにを云ってるんだ!? まさか、衝撃で気がれてしまったんじゃ……と、次の瞬間、背後から壮絶なまでの殺意が、僕めがけて突進して来た。

「よくも、よくも、おねぇたまをぉ――っ! 死ねぇ――っ!」

 無論、茉李である。

 彼女は裸のまま、大股で僕に駆け寄り、大鉞を僕の頭上へ、一気に振り下ろそうとした。

 怒り心頭で最早、恥も外聞もないらしい。

 僕は、迫り来る凶刃を、死を、絶叫とともに迎え入れる……はずだった。

「うわぁあぁぁぁあっ!」

 ところが! ここからまた、急転直下の逆転劇が始まったのだ。

「茉李、おやめ!」

 なんと、僕の前に出て、両腕を広げ、茉李の暴挙を制したのは、琉樺耶だった。

「ふえぇえ――んっ! だって、だって……おねぇたまぁあ――っ!」

 茉李はその理由を知っているようで、それでもあきらめきれず、駄々をこねているといった感じだ。僕にはまったくワケが判らず、疑問符だらけの頭をひねり、琉樺耶に訊ねた。

「あ、あの……どうして、僕を……?」

 すると琉樺耶は、大きなため息をつき、諦念しきった表情で、僕を振り返った。

「……一族の掟はね、絶対なのよ。だから、私……【嬪懐族ひんかいぞく】の掟に従い、今日よりあなたの、妻となります。ふつつか者ですが、どうか……よろしくお願いします、旦那さま」

 琉樺耶・突然の結婚申しこみに、僕は唖然呆然……驚愕のあまり、言葉を失いかけた。

「な、なんだってぇ!? 嬪懐族ぅ!? あなたがぁ!?」

【嬪懐族】……それは、生涯を戦神いくさがみに捧げる男装の女戦士族だ。女尊男卑で、元服後(ここでは十五歳)、村落を出てからは、ひたすら武道に精進し、戦い続け、万が一、相手に負けた場合は、その男の妻にならねばならぬという、『鉄の掟』を持す少数種族である。

 ちなみに、相手が女だった場合や、どうしても意に染まぬ男の場合は、自害せねばならぬのだとも聞く。その上、決闘で負けた相手からは、指を切り取り、持ち去るため、別名【指狩り族】とも呼ばれている。ただ、【嬪懐族】の女性は、いずれも大柄で容貌魁偉の者が多いらしい(僕はこれまでに数度しか見たことはないけど、確かにみなそうだった)。

 だからこそ、美貌で細身の琉樺耶が、まさか【嬪懐族】だとは思いもしなかったのだ!

 そんな、折も折である。神々廻道士が、再び姿を現したのは!

「おう、よかったじゃねぇか、シロ……いや、楓白殿。新たな美人女房まで手に入ってよ」

 はぁ――っ!? 今更出て来て……なにをふざけたこと、云ってるんだ、この人は!?

「おめでと、シロ……いえ、楓白さま! さすが、私どもの元締めだわ! 尊崇します!」

「シロにしては……いや、楓白さまだからこそ、当然の勝利と云えるな。結構、実に結構」

「やっぱ、すげぇぜ! シロ……いや、楓白さま! 裏社会の顔役だけのこたぁ、あるぜ!」

 元の姿に戻り、勢ぞろいした蛇那・蒐影・呀鳥も、神々廻道士に調子を合わせ、大袈裟に僕をほめたたえ、手ばたきまでしている。完全になめられてるよ……惨めだぁ、僕……。

(その上、相も変わらず、素っ裸だし……なんかもう、羞恥心まで薄れて来ちゃったよ)

 大体、元締めとか……僕はいつの間に、裏社会の顔役になったんだ!

 勝手に大悪党に、仕立て上げないでくれよ! どうしよう……このままじゃあ、こいつらの思う壺! 大罪人にされた挙句、死刑台へ向かう裏街道を、まっしぐらじゃないか!

「あ、あのね! あなたたち、よくもみんなで、寄ってたかって僕を……」

「まぁ、まぁ! そう照れないで、元締め! 私たちの大親分!」

「ようやく、好みの女を手に入れられたんだから、そう怒りなさんな!」

「俺は絶対、魑魅狩り琉樺耶をコレにするって、豪語してましたもんね、元締め!」

 蛇那は意味深に含み笑い、蒐影は黒目を妖しく光らせ、呀鳥は小指を立てて破顔はがんする。

 僕の怒声は完全にさえぎられ、三妖怪の言葉を聞いた琉樺耶は、美しい眉宇をひそめた。

「それじゃあ……お前ら、最初から、私狙いで、こんな謀略を……?」

「こいちゅ……そこまで、おねぇたまを、ちゅきだったの……?」

 茉李まで、三妖怪と神々廻道士の嘘八百を信じ、僕を胡乱うろんな眼差しで見つめ始める。

「誤解です! 僕にはすでに凛樺という、愛する妻が……むぐぐっ! お前こそ、この俺に最もふさわしい女……愛する妻だ、琉樺耶。今夜から早速、こいつで腰が立たなくなるまで、存分に可愛がってやるからな。寝るヒマなんかないぜ。愉しみにしてろよ。哈哈哈」

 本音を暴露しようとした途端、蒐影がまたしても僕の影に忍びこみ……僕は相も変わらず、ブラリむき出しのままの、僕の下腹部を指差し、ありえないセリフを吐いてしまった。

 す、すまない、凛樺! だけど、だけど、仕方ないんだよ! 大体さ……『妻になる』と、掟にのっとり、宣言はしたものの、僕の恥知らずなセリフを聞いて、琉樺耶は青ざめ、悪寒に震えているし……そりゃあ、そうだろう。彼女、相当な男嫌いみたいだし、僕のことだって、本心では恨んでるはずだし……なのに、旦那さま、か。【嬪懐族】ってつらいよな。

「取りあえず、冷えて来たしよ。廟へ戻ろうか。元締めの女と、その妹分となりゃあ、俺たちも大歓迎だ。服だって、もっと上等でお似合いなヤツを用意してやるぜ。勿論、今宵の祝宴の用意も、抜かりなく……というワケで、元締めのため、気張ろうぜ、みなの衆!」

「「「承知!!!」」」

 あぁ……また、ひとつ……懊悩おうのうの種が、増えそうだ……凛樺奪還の道も、遠ざかる……誰か、僕を憐れと思うなら、助けてください! 無理? やっぱ、無理? ……そうだよね……哈哈、哈……ガックリ。
 僕は一見、意気揚々と、しかし内心、意気消沈して、神々廻道士たちに続き、蒐影に操られるまま、地獄の廟へと向かう白道びゃくどうを、歩み始めたのだ。


  〔暗転〕



ー続ー

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