神さまなんて大嫌い!⑦
【汪楓白、官兵に誤認逮捕されるの巻】
神々廻道士は、相変わらず瓢箪酒をあおっている。
遊郭を出て半刻……すでに夕闇迫る帰り道、口を開くのは鬼去酒を呑む時だけだ。つまり、ずぅ――――っとだ。信じられない……酒豪を通り越して、酒乱だなぁ、こりゃ……。
だけど、ここに来て僕は、ようやくあることに気づいた。
アレ? 往きと道順がちがうみたい。なんだか、随分と人気のない場所に来ちゃったな。
まさか……昨日からの嘘や演戯、やっぱり全部バレてて、ここで制裁を? いや、抹殺まで考えてる!? そんでもって、人気のないこの山道のどっかに、僕の死体を埋めるとか!? そう云えば、神々廻道士の背中からは、陽炎のような殺気が揺らぎ出てるし!
「シロ、ひとつ聞きたいことがある」
ピタリと立ち止まった神々廻道士、圧倒的な怒気を孕んだ声音だった。
「は、はい……」
閑散と静まり返る山道……鳥も虫も気配をひそめ、颯々とした風の音しか聞こえて来ない。僕はおびえて尻込みし、今にも逃げ出したい気持ちで一杯だった。
だが神々廻道士は、唐突に振り返り、僕へ詰め寄ると、まっすぐ僕の顔を見すえ、真剣な語調でこう云った。
「お前……何者だ?」
僕は思わず、卒倒しそうになった。今まで、張り詰めていた緊張の糸が、一気に切れる。
「い、今更、それを聞きますか!?」
「さっさと答えろ!」
「ですから、僕は汪楓白、劫初内の文官で、同時に文筆業でも、生計を立て……」
「黙れ! 嘘は聞きたくねぇんだ! 本当の正体を明かせ!」
――バチ――ンッ!
いぃっ……痛――っ! なんて情け容赦ない……神々廻道士は、わけが判らず目を丸くする僕の頬を、手加減なく殴打した。そうして地面へ突き倒すと、今度は馬乗りになって恫喝した。どうして、いきなり、こんな目に、遭わされなきゃ、ならないんだぁ――っ!
「うぅ……本当の正体も、なにも……僕は真実しか」
「じゃあ、これはなんだ!」
「痛っ……今度は、な、な、なんですか! くっ、苦し」
神々廻道士に、首輪の宝玉をつかまれ、僕は一瞬、心臓が止まりそうになった。さらに、息まで止まりそうにもなった。順序がおかしいとか云わないでね……とにかく、神々廻道士は物凄い剣幕で、僕の首輪をグイグイ引っ張り、ついにはこんなことをのたまった!
「なんで、宝玉の文字が読み取れねぇ! しかも、こんな色味は見たこともねぇ!」
「えぇえっ!?」
まさかの宝玉故障!? でも、でも、それって……すっごい好都合なんじゃないの!?
だけど、直後――神々廻道士は例の呪禁を、いつもより声高に叫んだんだ!
「唵嚩耶吠娑嚩訶!」
「ぐえぇえぇぇえっ……っと、ありゃ?」
つい、条件反射で苦しんではみたものの……全然、締めつけないぞ? この首輪!
ということは、やっぱり! 僕は自由だぁ――っ! もう、こいつの云いなりになる必要ないんだぁ――っ! これからは、対等な立場で文句も云える……ワケないか。
神々廻道士の目に宿った殺意は、僕をいよいよ恐怖させ、精神的な服従を強いているようだった。
「こ、壊れたんじゃないでしょうかね……哈哈、哈」
クソッ……やっぱり、怖くて逆らえないよぉ……だってこいつ、尋常じゃないモン!
「そんなはずあるか! あの三莫迦妖怪でさえ、どんなに禍力を使っても、ぶち壊せなかった特殊な首輪だぞ! それを人間であるお前が、そうたやすく壊せるワケ……待てよ」
轟々と怒鳴りながら、僕の首を締めようとしていた神々廻道士だが、ふとなにかに思い当ったらしく、突然、静かになった。顎に手をそえ、考えこむ。一体、なんだってんだ?
「そういやぁ、初めて廟で会った時、三莫迦ども……お前のこと、不味い、生臭い、小汚い、小面憎い、死んで欲しい、とか云ってたよな。もしかして、そこになにか、秘密が?」
「不味い、以外は全部、たった今、あなたの口から聞きましたけど」
僕は憮然として、云い返した。神々廻道士は、再び僕の方を向きなおった。
「喂、ちょっと腕、出してみろ」
「え? こうですか?」
――スパッ!
「うん……味は、悪くない……どうも妙だな」
「ひっ……ひえぇえぇぇぇえっ!」
うぅ腕っ! 右腕を、小刀で切られたぁ――っ! 痛い……ってか、熱い!
神々廻道士は、ドクドクと流れ出る僕の血をなめ、すぐに吐き出し、涼しい顔だ。
な、なな、な、なんて奴! 吸血鬼か!
「と、すると……あるいは……お前、蛇那に咬まれたか?」
「うぅ……血が、止まらない……」
そんなこと、どうでもいいから、早く止血してくれよぉ!
「早く答えろってんだ!」
――スパッ!
ひぎゃあ――っ! 今度は、左腕までぇ――っ!
しかも、さっきより深い! 神々廻道士は、まだ小刀をかまえてる!
「ああ、もう! 咬まれましたよ! あの時も痛かったけど……それが、なにか!」
僕は我が身を必死でかばいながら、上ずった泪声でなんとか返答した。でも神々廻道士には、その返答すら気に入らないようで、さらに小刀を僕の首元へ突きつけては恫喝する。
その、目つきと、口調の、怖いこと、怖いこと……誰か、助けてくださ――いっ!
「てめぇ……なんで、生きてる」
「は、はい?」
「蛇那の毒気に中って、どうして生きてられるんだ!」
「哈哈哈、どうしてでしょうねぇ……って、そんな猛毒なんですか!?」
確かに最初の夜、廟に連れこまれた僕は、蛇那に咬まれた。
意識は朦朧、体がしびれて、云うことを利かなくなった。
でも、すぐに毒気は抜けたはずで……抜けてる、よな。きっと。
だって、僕、生きてるんだから! 哈哈、脅しだ、脅し! 神々廻道士お得意の、脅迫だよ! そうに決まってる! 死に至る猛毒だなんて、そんな莫迦な話……信じないぞ!
「しかも、琉樺耶につけられた切り傷が、もう完治してるじゃねぇか!」
「し、知りませんよ! そんなこと……大した傷じゃなかったんでしょ!」
結構、痛かったし、出血も相当だったし……だけど完治してるってことは、そういうことでしょ? 琉樺耶が、手加減してくれたんでしょ? そうとしか考えられないモンな!
アレ? 待てよ? 琉樺耶につけられた切り傷って……なんで、そんなこと知って……はっ! まずい! やっぱ、計画がバレてたんだ! ということは……ということはだ!
「どうにも腑に落ちねぇ……てめぇ、さては……そうなんだな!?」
「そうって、どうなんですか! ひぃっ……痛いっ!」
今度は、首筋に刃を……この痛み、確実に喰いこんでるよ! ヤ、ヤバい!
「ちょっと……なんで、そんな目で僕を睨むんですか……やめてくださいよ、師父」
まさか、まさか……いや、やっぱり、用済みになった僕を、この場で消すつもりか!?
到頭、その時が来てしまったのか!?
ああ、あの目に宿る壮絶な意が、そう物語っている……終わりだ! 絶体絶命だぁ!
僕は瞑目し、口の中で念仏を唱えた。
来世こそ、凛樺と添いとげられますように……そんな儚い願いをいだきつつ、懸命に天帝へ祈りを捧げた。ところが、神々廻道士の放った言葉は、実に思いがけないものだった。
「てめぇは、破門だ」
「やった――っ! ……え?」
し、信じられないけど……助かった! その上、解放される! うわぁ――ん、うれしいよぉ! ……いや、でも、確かに、うれしいのはうれしいけど、僕っていつから門徒と認められてたの? ……ってかさぁ、こいつの云うこと、鵜呑みにしていいモンなのか?
「てめぇは、奴隷だ」
「うお――っし! ……は?」
いやいや、そこは喜ぶトコじゃなかった! 奴隷? 奴隷って、奴隷? 意味不明なんですけど? だからさ、結局のところ、なにが云いたいんだよ? なにを企んでんだよ?
計画が、バレたワケじゃないの? どこまでが、どうなってるの? 早く教えてよ!
「あの……それって、どういう」
「下僕から奴隷に、降格だっつってんだよ!」
「はぁ――っ!? 下僕も奴隷も、おんなじじゃないですか!」
さすがに温厚な僕とて、神々廻道士の、あまりのムチャクチャさ、理不尽さ、傍若無人さには、堪忍袋の緒が切れた。
無論、激昂した。当然、逆上した。但し、完全無視された。
「だったら、文句はねぇな。てめぇは今後、俺に死ぬまで虐使される家畜同然だ」
文句アリアリです! 酷使から虐使っすか!? しかも、家畜同然って……それは、あんまりでしょうが! この人、どこまで露悪的な性格してるんだよ! 最低じゃないか!
「あのね、師父」
「偉大で尊崇するご主人さま、だ! ボケェ!」
うっ! 容赦なく引っぱたいた挙句、尊崇まで入れちゃうの!? きつすぎっしょお!
「とにかく、鬼去酒が切れる前に帰るぞ、莫迦シロ……(白檀の匂い、プンプンさせやがって)……」
莫迦シロ!? うわぁ、僕の品位まで下がった……もう最悪!
だけど、なんか語尾で、ヤケに尻すぼみなこと、つぶやいてたような……ま、いいか。
今は、それどころじゃないし。これは男として、いや、人間として、僕の沽券に関わる大問題だ! なんとしても、訂正してもらわなきゃ! 僕は勇気をふりしぼって云った!
「師……偉大で尊崇するご主人さま! 莫迦シロは、非道すぎますよ! 訂正して……」
ま、僕の勇気なんて、所詮この程度だけど……。
「じゃあ、デカチン色魔シロでいいな」
「あ、莫迦シロで結構でぇす」
ほらね、この程度……ってかさ!
デカチン色魔って、他人を見下げ果てるにも、ほどがあるよ! だけど、この人の場合、一旦そうと決めたら、絶対に、意地でもその名で呼び続けるモンな……人前で恥かくより、まだ莫迦シロの方がマシか。ここで手を打っとかないと、さらにとんでもない汚名をかぶせられそうだしな。ああ、物分かりよすぎるゆえに、だんだん僕が可哀そうになって来た。
ただ、心裏を読み解かれる心配がなくなっただけでも、楽だよな。こいつと三妖怪の悪行を、白日の下に晒す計画を進めるには好都合だし。そもそも、神々廻道士を〝ご主人さま〟と崇める必要もないワケだし。〝こいつ〟と呼ぼうが、〝クソ野郎〟と呼ぼうが、心の中なら自由になったワケだし。啊、だけど所詮は声なき心の叫び……やっぱり、悔しい。
悔しいから、クソッ! 心の中だけでも、云い抜いてやる!
莫迦! 阿呆! 人でなし! 冷血漢! 鬼畜! ……やっぱり、悔しいよぉ!
しかし一度は小刀を仕舞い、歩き始めた神々廻道士だったが、またしても突然、立ち止まった。僕は青ざめ驚愕し、あとずさった。聞かれた? 今の心の声、聞こえてたの!?
「ど、どうしました? 偉大で尊崇するご主人さま……」
神々廻道士は、何故か周囲の闇に目を凝らしている。どうやら、僕の心中の悪口に気づいた様子はない。僕は、少しだけホッとし、神々廻道士に近づくと、再度、問いかけた。
「なにか、あったんですか? 偉大で尊崇する……もう、長くて云いにくいなぁ」
「だったら、神さまと呼べ」
げぇ――っ! そこまで、自分を上げられる人、初めて見たかも……これは、衝撃だ!
だけど、僕がその衝撃を嚥下できずにいる間、確実に異変は起こりつつあったのだ。
「莫迦シロ……」
「はい」
「こっから先、余計な口は利くなよ。ただ、俺の命令通りに動けば、それでいい」
「はい」
要するに、いつも通りですね……承知しましたよ。
と――その刹那だった!
――ザザザッ!
「「「百鬼討伐隊『諡火の第三小隊』だ!! その場を動くな!!」」」
突如、僕らを取り囲むように、周辺の闇から姿を現した面々……僕は正直、魂消て腰を抜かした! だって、背に〝事難方見丈夫心〟の隊訓を綴った、赤い戦袍の軍団だよ!?
全部で、六十人以上はいるよ!? みんな、武器をかまえて殺意満々だよ!?
「ひっ……百鬼討伐隊!?」
それは、住劫楽土に数ある護国団の中でも、抜きん出た武功と特権を持す鬼退治専門の全十二小隊。左右衛士府から選抜され、【三体伎師・父】以上の功力を体得した猛者しか、入隊できないという超人荒武者集団! 始めは白い隊服を、邪鬼(討伐相手の総称)の返り血で、競い合うように赤く染めていく、恐ろしい狩人たちなのだ! 彼らに一度、鬼憑きとして目をつけられたが最期……捕縛・拷問・処刑と、流れるような地獄逝きの作業で、この世から追い出されるのが、関の山なのだ! ど、どど、どうしよう! 凄く、怖い!
身に覚えがなくとも、怖い!
いや……身に覚えが、あった! 狙いはきっと、こいつだ!
こいつの妖怪使役が露見して、今までの悪事も露見して、僕まで連座で罰せられる!?
くわぁ――――っ! ……もうダメだ……。
「おやまぁ、護国団筆頭の官兵さまがたが、またぞろなんの御用ですかい?」
神々廻道士ってば、どこまで豪胆なんだか……平素、笑顔で鷹揚に応対しているよ。
「圦宿では、我らが同朋『屍伽の第十一小隊』が、随分と世話になったらしいな」
一歩前に進み出ては、低い声音で、そう問いかけた男……腰帯に差した指揮鞭、全身から漂い出る風格・威厳のちがい……彼が『諡火の第三小隊』の隊長さんらしい。まだ若いのに、凄いなぁ……よほど、文武に秀でてるんだろうなぁ。それに、体つきこそ武術家らしく、精悍で強靭だけど、顔立ちは端整で、カッコイイ。同じ男として、憧れちゃうかも。
多分、劫貴族だな。年齢は、神々廻道士と変わらないくらいだよな。結婚は、して……、
「ってことは、あんたら、同朋のメンツ潰した俺を、寛大な心で許してくださるんだ」
うわぉ! 僕が物思いにふけってる内に、こいつってば、また状況を悪化させてるぞ!
そんな嫌味云って、どうすんのさ! 討伐隊の機嫌を損ねたら、まずいでしょうが!
「黙れ! 小癪な口を利くな! 道士の立場を利用し、悪逆な手段を使い、これまでに貴様が犯して来た罪業の数々は、すでに我らの調査にて、白日の下に晒されているのだぞ!」
ほらぁ! 副長さんらしき長身の男が、ムチャクチャ怒ってるじゃないの! こっちは相当、短気な人らしいから、発言には注意してくださいよね! いや、しろよな! 神!
「だいぶ、ご立腹のようですな……喂、莫迦シロ!」
「は、はい」
今度は、なに? 僕はもう、無関係を通して、帰りたいよ! あの日にさ!
「代わりに謝っとけ」
「はぁ!? なんで、僕が!?」
いきなり、責任転嫁ですか! どんだけ、あつかましいんだ!
「「「ふざけるな!! 貴様が謝れ!!」」」
そりゃあ、そうだろ! 討伐隊のみなさんが、絶対に正しい!
「無論、謝ったところで、許せる罪咎ではないがなぁ……趙劉晏」
敵意に満ちた眼差しで、神々廻道士の本名を呼ぶ隊長(らしき男)……逆に、周囲の隊員たちが、隊長(らしき男)に寄せる熱い憧憬の眼差しは、期待に満ちている。彼が隊員たちに愛され、心から尊崇されていることを、如実に表している。こっちとは大ちがいだ。
「ん? なんで、俺さまの名を……ん? んんん!?」
「思い出したか、趙劉晏」
隊長に再度、問われ、神々廻道士は、目を見開いた。
「てめっ……燕彪麼じゃねぇか! 赤いべべ来て、なにを子猿どもと戯れてんだ!」
「師父、お知り合いで……はぐっ!」
余計な口を利いたお陰で、僕は神々廻道士から、痛烈な肘鉄を喰らい、うずくまった。
「今は《鬼焼べの彪麼》という通り名で呼ぶがいい。邪鬼の返り血で深紅に染まった隊服こそ、俺の輝かしい戦績。有能な部下たちとともに、築き上げた百鬼討伐隊としての誇り」
うっく、苦しい……啊、でも、この人……やっぱ、カッコイイな。もしかしたら、この人こそ、僕を悪逆道士の呪縛から助け出してくれる、救世主となり得るかもしれないぞ!
と、彪麼隊長に、期待をいだけたのは、ここまでで――、
「カッコつけんなよ、彪麼。初恋の女の前で、うんこ漏らしては泣きわめいてたてめぇに、今更……哈哈、誇りもクソもあるか。いや、クソはあるな。あんだけ大量に垂れ流しちゃ」
「うえぇっほん! げほげほっ、ごほんっ! なんの話か判らん!」
はい? 今……なんと、おっしゃいました? うん……?
「た、隊長? 大丈夫ですか? お顔の色が……」
かたわらの副長が、急に咳きこみ、青ざめる燕隊長を、そっと気づかった。しかし、その副長自身も、神々廻道士の発した信じがたいセリフに、かなり動揺している様子だった。
そんなことなど、おかまいなしで、神々廻道士の悪辣な出放題は続く。
「とぼけるなって、彪麼。そういや、志学館時代なんざ、せんずりしてるトコを同期生全員に見られて、三日間も高熱出して寝込んじまったっけな。ありゃあ、ケッサクだったぜ」
「え? 今の話、本当かよ?」
「まさか……俺たちの隊長にかぎって、そんな……なぁ」
「でも、なんか隊長の様子……おかしいぜ?」
今度は、背後に整列する隊員たちにまで、動揺の波が広がった。ヒソヒソとささやき合い、だが、まさかと思って打ち消し合い、尊崇する燕隊長の一挙手一投足を見守っている。
当の燕隊長は、いよいよ激しく咳きこんでいる。
「ぐえぇっほ、げっほ! ごほごほっ……貴様ぁ、もうつまらん作り話はよせ!」
えぇと……うろたえかたが、尋常じゃないんですけど……本当に、作り話、ですよね?
けれど、神々廻道士が次に放った悪口雑言こそ、とどめの決定打となった。
「そうそう。初体験の相手に、いきなり菊花責めして、ぶっ飛ばされたって例の話……さすがにあれは、嘘だよな? いくらてめぇが男色でも、そこまで下衆な真似しねぇよな?」
――ピキッ!
あ、燕隊長を、取り巻く空間に、一瞬だけど、亀裂が、走った、ような……直後!
「黙れぇえ! 景気づけだとか云って、告白の前に、下剤入りの酒を呑ませたのは、貴様だろうが! 八角賭博の借金払えなかった俺に、せんずり強要したのは、貴様だろうが! しかも、俺が云いなりになるのを見越した上で、同期生にあらかじめ招集かけておいたのも、貴様の企みだろうが! その上、賭博も結局は、貴様のイカサマだったではないか! 最後の話にしたって、なにも知らない俺に、『女の喜ばせかたを教えてやる』とか親切ごかして、大嘘教えた挙句、見事にしくじって嫌われた俺を嘲笑い、みなに『彪麼は男色だ』と云いふらして回ったのは、貴様だろうが! どこまで俺を、愚弄すれば気がすむんだ!」
烈火の如く怒り狂い、鬼の形相で、地団駄踏んで、わめき散らす燕隊長は、最早、先刻までの冷静な男の美学からは、かなりほど遠い人物像へと、なり下がってしまっていた!
「た、た……隊長」と、二の句が継げない副長。
「「「全部、実話かよ……」」」と、呆然自失の隊員一同。
「「「しかも、男色って……マジ?」」」と、顔を赤らめる極少数。
僕も驚愕のあまり、ワナワナと震えながら、神々廻道士を振り仰いだ。
そんなことまでするなんて、鬼畜にも劣る所業じゃないか! しかも、平然と部下の前でばらし、大恥かかせちゃって……こんな人非人、初めて見たよ! 可哀そすぎるだろ!
「悲惨すぎる……ってか、非道すぎますよ、師……神さま」
「俺さまは、真実しか口にしてねぇぞ。そいつだって、認めてんじゃねぇか。なぁ?」
燕隊長は、悔しまぎれに激情をぶちまけた結果、まんまと神々廻道士の罠に嵌まり、大変な墓穴を掘ってしまったことに、気づいたようだ。ガタガタと、痛ましいほど震え出す。
啊、なんてこった! 僕に少しでも力があったら、彼を助けてあげたいよ!
うぅん……せめて入れる穴くらい、掘ってあげようかなぁ。
「な、なにをボサッとしている、お前たち! 我らの敬愛する隊長を、散々愚弄した不届き者だぞ! ただちに捕縛するのだ! 場合によっては、この場で殺してもかまわん!」
ホッ……よかった。副長さんは、まだ敬愛の念をいだいてくれてるみたいです。
ちなみに、同情……では、ないよね?
「頭の固い奴らだな……ほれ、莫迦シロが、こんだけ丁寧に謝ってんだ。許してやれよ」
グイッと僕の頭を押さえつけ、神々廻道士が相変わらずの軽口を叩く。こらぁ――っ!
「冗談じゃない! 僕は一切、無関係……ぎゃはぁあっ!」
目の覚めるような、回し蹴りでした……はい。
僕は、副長の足元に倒れこみ、前後不覚となった。
「弟子も同罪だ!」
副長は、そんな僕を足蹴にし、冷酷な声音で宣告する。
「弟子じゃねぇ、そいつぁ奴隷だ」
「弟子でも、奴隷でも、ありません! 僕が一番の被害者で……おげっ!」
すかさず否定した僕に、腹を立てた神々廻道士は、わざわざ副長の足元にいる僕のところへ、ズカズカと近づいて来て、僕の腹を思いっきり蹴りつけた。
もう、泣きたいよぉ!
「喂々、そう熱くなんなっての。ついてってやるから。もう泣くなよ、彪麼」
完全包囲で、戦意高揚させる隊員一同を前に、神々廻道士は、のんびりアクビしながら云った。天下の護国団筆頭【百鬼討伐隊】ですら、片手間にあしらっちゃうこの豪胆さ!
怖いもの知らずにも、ほどがあるよ!
誰か、この極悪非道な鬼畜を、止められる人はいませんか!
「誰が泣いてるか! このふざけた連中を、『白宿本陣』に連行する! 往くぞ!」
燕隊長は、気持ちを立てなおし、あらためて厳格な面持ちで、部下たちに命令した。
「「「は、はい!!」」」
なんか、心なしか先刻より、隊員たちの返事に、覇気がないような……って、他人を心配してる場合じゃない! このままじゃあ、僕まで大罪人の汚名を着せられちゃうよぉ!
「ま、待ってください! お願いですから、話をっ……ごふっ!」
副長に、問答無用で当て身を喰らわされ、僕の視界は暗くなった。
さて、同じ頃――神々廻道士の廟では、こんな事件が発生していたそうだ。
「お頼み申します! 神々廻道士さま! どうか、どうか……助けてください!」
――ドンドンドンッ!
人里離れた神々廻道士の廟を、とっぷりと日の暮れた刻限に訪れ、古びた門扉を懸命に叩く女の声は、かなり焦燥していた。口やかましい〝ご主人さま〟がいない隙に、広間で酒肴をまじえてくつろぎ、賭博に興じていた三妖怪は、『おや?』と顔を見合わせた。
「嫌だわ……こんな刻限に、無作法ねぇ。一体、誰よ」と、蛇那が小首をかしげる。
「若い女の声だな。かなり切迫しているらしい」と、蒐影が興味なさそうにうなずく。
「しかも、飛び切りの上物と見た! いや、聞いた!」と、呀鳥が鼻息荒げて立ち上がる。
そこへ奥の間から、いつもの高密着度戦袍に着替えた琉樺耶と、いつもの高露出度戦袍に着替えた茉李が、姿を現した。門扉の叩音に顔をしかめ、琉樺耶が三妖怪へ問いかける。
「なんの騒ぎだい? 楓白……旦那さまたちが、お帰りになったのかい?」
「悪所帰りってぇ、おちろいの匂いプンプンさせてんのよ! こんな時間までぇ、女郎とアンアンちてくるなんてぇ、いやらちいったらないわ! おちおきしゅるしかないわね!」
「茉李……あんたの云い方のが、ずっといやらしいよ」
「だってぇ、おねぇたまを差し置いてぇ、女郎の肢おっぴろげるなんて、ゆるちぇない!」
「だ、だから、茉李……その云い方、気をつけなさい」
そうこうする内にも、女の声音は、いよいよ逼迫し、悲痛さを増していく。
「どうか、お願いします! 後生ですから、ここを開けてください!」
――ドンドンドンドンドンッ!
「取りあえず、開けてあげなさいよ。美味しそうだったら、私もご相伴に預かるからね」
「判っているさ、蛇那。お前を出し抜き、勝手に我々だけで食したりせんから、安心しろ」
「そうそ、お前を怒らすほど莫迦じゃねぇよ。ホント執念深いからなぁ……蛇だけに」
呀鳥はいつもの従者姿で、蒐影は影の中を移動して、玄関口へ向かった。口やかましい〝ご主人さま〟がいない隙に、相手の様子を見計らって、不意打ちをかけるつもりなのだ。
「こんな夜分、どちらさまですか?」
ニヤケ顔で、だが口調は怜悧にとがらせて、呀鳥が問いかける。すぐに女声が答えた。
「私は、凛樺と申します! 実は、夫を……夫を、助けて欲しいのです!」
「凛樺?」と、怪しみつつ呀鳥。
「はい!」
「凛樺?」と、疑りながら蒐影。
「はい!」
「凛樺?」と、訝るように蛇那。
「はい!」
「「「凛樺だって!?」」」
《凛樺》という名に驚愕し、勢いよく扉を開けるや、来訪者の顔と姿を確認する三妖怪だ。
「何度もお聞きにならずとも、私の名は確かに凛樺でございます!」
小雨そぼ降る廟の庭先に、濡れて佇む細身の美女……質素な藤色の襦裙に貝髷、化粧っけはなく、色白で柔和な顔立ちをしているが、黒い瞳は今にもこぼれそうなほど大粒の泪でうるんでいる。三妖怪は『これがシロの逃げた女房か』と、しげしげ観察してしまった。
騒ぎを聞きつけ、飛んで来た琉樺耶と茉李も、凛樺をジッと見つめながら、詰問した。
「夫を助けてって……まさか、汪楓白のことか!? 彼の身に、なにかあったのか!?」
「え? あなたさまは何故、私の元夫の名をご存知で?」
「元夫ってことはぁ、今はちがうのぉ?」
「私が云う夫とは、《楊榮寧》さまのことでございます!」
「「「はぁ!?」」」
食いちがう会話、困惑する三妖怪。琉樺耶も茉李も不可解そうだ。
それにしても、妻を取り戻すため、元夫の汪楓白が、身を寄せているとも知らず、ましてや、とんでもない苦境に立たされているとも知らず、当の本人・凛樺が神々廻道士の廟へ助けをもとめにやって来るとは、なんとも皮肉な展開……いや、運命の悪戯であった。
ー続ー
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