【鬼凪座暗躍記】-最期の宴-『其の八』
南方増長区・虚空蔵門町、吉隠宿の外れにある、清閑な三昧堂墓地。
昼尚暗い木立の一隅には、真新しい御影の墓石が並んでいる。その前でうずくまり、合掌する若い女は、近づく五つの人影に、ハッと振り向き立ち上がった。
「待たせたな、麻那さん。『十六夜亭』の方は、万事つつがなく、始末をつけて来たぜ」
最初に声をかけたのは、左半身が爛れた悪相琥珀眼の男、【癋見の朴澣】座長だった。
「あなたがたの身に、累が及ぶような不始末はありません。どうぞ、ご安心ください」
【夜叉面冠者】も普段の赤毛閻魔顔を現す。
「儂の毒酒が、効いたお陰じゃよ。料亭関係者や客連中も、思惑通り動いてくれたからのう。酒気が醒めれば、知らぬ存ぜぬ健忘症……裏工作が露顕する恐れは、皆無と云ってよい!」
満足げに瓢箪酒をあおるのは【一角坊】だ。
「けっ! そらよかったなぁ! こっちはすっかり蚊帳の外! 待ちぼうけ喰わされ、退屈で死にそうだったぜ! クソ面白くもねぇ使いっ走りさせやがるし……せめて、阿礼雛に一目だけでも逢いたかったぜ! 畜生っ!」
墓場の土を蹴り、鼻息荒げて憤慨する美男は、喝食行者【夜戯れの那咤霧】である。
麻那は、喝食行者の激しい怒声に当惑しつつも、阿礼雛という名にだけ反応した。
「あの……阿礼雛さまは、いらっしゃらないようですね……あそこの大きなかたは?」
【緇蓮族(緇衣と呼ばれる黒装束で全身を覆い隠し、もし他族の者に素顔を見られたら、その者を殺すか、伴侶にせねばならぬという掟を持す種族)】風に、全身黒衣で覆うひときわ背の高い男だけが、後方にひかえたまま軽く会釈した。
訝りつつも一礼する麻那へ、朴澣が答えた。
「阿礼雛は、野暮用でな。今日は来られねぇんだ。そうだろ?」と、大男を見て含み笑う。
『啊、麻那と圭旦に、よろしく伝えてくれとさ』
大男は一瞬首をすくめたが、二重に響く獣声で、つっけんどんなセリフをよこした。
大男の迫力みなぎる体躯と、空気まで震わす獰猛な獣声に、麻那は驚き目を丸くした。
だが彼女は気を取りなおし、男四人へ深々と頭を垂れた。
「あらためまして【鬼凪座】の皆さま。此度は本当に、ありがとうございました。皆さまから助太刀頂いたお陰で、『縹屋』の一同と、殺された人々の仇討ちが叶いました。これで……死んだ父も、きっと……少しは、報われることでしょう」
麻那は泪目で、『縹屋』の墓標を顧みる。
『縹屋』代々の墓所であるこの三昧堂一画には、麻那の夭逝した母御、【刃顰党】襲撃事件の犠牲者、奉公人、そして優しかった父親を加え、三十二名の遺骸が永眠しているのだ。
彼女の手向けた花々が、死者をいたわる暇もなく、無情な秋風に花弁を散らせて逝く。
「ところで、圭旦はまだ戻らねぇのかい?」
朴澣の質問で、麻那はにわかに顔色をくもらせた。
うつむき、唇を噛みしめ、一筋の泪をこぼす。
「朴澣さま……そのことに関しては、あなたさまをお恨み致します! 何故、圭旦に……斯様な危険きわまりないニセ芝居を、強要なさったのですか? もしも圭旦の身に、なにかあったら……いいえ、本当の父君【光禄王】に懇願され、【劫初内】へ留まる気になってしまったら……私にはもう、なにひとつ生き甲斐は残りません!」
こらえていた感情を吐露し、麻那は朴澣に詰め寄った。父親と、家族のような奉公人を理不尽な凶行で奪われ、代々の紺屋家業まで失った薄幸の娘が、これ以上、泪を抑える術はなかった。
果てることなくあふれる泪と、胸苦しさで、麻那は今にもくずおれそうだった。
彼女の悲痛な至心を悟った朴澣は、慈しむような眼差しで、切々と慰めの言葉をかけた。
「麻那、俺は圭旦にこう云った『どうせ死ぬ気なら、最期は本当の親父の前で迎えろ』と。そして奴は確かに、俺の差し金で劫初内に潜入した。それは光禄王と決別させるためだ。だから圭旦は必ずここへ戻って来る。まかりまちがっても、実兄・圭琳をクズにしちまった大臣の高庇で、贅沢三昧に暮らそうなんて料簡、持てる男じゃねぇよ。圭旦は勤勉で生真面目な男だぜ。だからこそ奴は『縹屋』の元へ必ず帰ると、俺は信じてるのさ。ここで自害しようとするはずさ。仮に劫初内でしくじり、処罰されたって、奴にとっちゃ本望だろう。その時は遠慮なく俺を恨みな。俺を殺したってかまわねぇよ。けど生憎、俺の勘は今まで一度も外れたことがないんでね。ま、あまりヤキモキせず、気長に待つことだな」
朴澣の黒く深奥な右目には、真摯な熱意がこもっていた。
力強く肩をつかまれても、不安を完全に払拭するまでには到らなかったが、それでも麻那は……朴澣の言葉を、圭旦の気持ちを信じてみようと、自分に云い聞かせた。
「私、待ちます……圭旦を信じて、いつまでだって、ここで待ち続けます! 朴澣さま!」
麻那は健気にも、うなずき微笑んだ。二十五といえば嫁ぎ遅れの年増だが、義弟を慕うあまり、見合い話をことごとく断り続けた麻那である。
可憐で愛くるしく、少女のような笑顔だった。
「心配すんなって、麻那。なにせ圭旦は、にわか座員のクセに、見事〝圭琳役〟を演じきり、俺の出番を潰しやがった野郎だもんなぁ。朴澣が見こんだ役者なら、必ず上手くやりとげるさ。こいつは、まったく酷ぇツラしてるけど、人を見る目だけは確かなんだぜ。なぁ、座長さん」と、珍しく朴澣をほめる那咤霧だ。
出番の少なさに対し、殊更文句を云わぬのも、かえって妙だ。
「那咤! 座長の一撃がよほど、こたえたらしいのう! おべんちゃら云ったって、儂のご機嫌もたやすくは治らんぞ! まったく、とんでもない色魔じゃ! 瓢箪の酒気で、料亭の奴らが夢現なのをこれ幸いとばかり、若い女子の上客間へ押し入って、落花狼藉の姦り放題! 儂とて虫のうずきをこらえにこらえ、仕事に専念しとったっちゅうのに! 一人抜け駆け、尻馬に乗り、存分に美味い思いをしくさって!」
那咤霧の態度に、激昂した一角坊は、闇へ葬り去るべき舞台裏の恥部を、あけすけな放言で露呈した。すかさず、夜叉面が厳しい口調で叱責する。
「おやめなさい、一角坊! 女性の前でなんたる恥知らずな言動! 那咤の好色をいさめるのかと思いきや、所詮は目糞鼻糞! 下衆の考えることは一緒ですな! 嘆かわしい!」
『同感だ。奴に余暇を与えては支障が出る。次の舞台では、とことんまで酷使することをすすめるぞ、朴澣。大体此度の〝阿礼雛役〟とて、女形の那咤にやらせればよかったのだ』
後方の大男も、かなり不機嫌そうにつぶやいた。
「そうはいかねぇよ、宿喪。莫迦息子どもを油断させ、惑乱術へ貶めるにゃあ、お前……いや、阿礼雛の魅力で、惹きつけとく必要があったんだ。いくら顔だけ別嬪にこしらえても、那咤に経文字だらけの裸踊りはさせられねぇだろ」
口端をゆがめては、あっさり、こともなげに云う朴澣だ。
「実はあの時、一角坊が得意の『操術屍毒針』で、すでに傀儡にしておいた榮旬を起爆させるため、密かに部屋中へ、私が『惑乱香粉』を振りまいていたのですよ。阿礼雛の蛍舞でね。それで愚息連中の戦意は、ことごとく殺がれたと、こういうワケです」と、男たちの舌戦に、ますます困惑する麻那へ、いちいち注釈を入れ、説明してやる夜叉面だ。
親切なのか、皮肉なのか、判然としないのが、素顔を見せぬ男の特権だろう。
だが、一度は収まりかけた那咤霧の憤激を、朴澣のセリフが再び沸騰させてしまった。
【鬼凪座】の中で、唯一『阿礼雛/宿喪』の正体を、知らされていない那咤霧は、天女の如き美少女に、相当熱を上げていたのだ。座員は皆、好色な那咤霧を刺激せぬよう、あえて宿喪の半陰陽体質、月齢に作用され、美女と野獣の二形を使い分ける特伎を黙っている。
これも、【荊棘鬼】と【夜摩族】の混血半鬼人である、宿喪ならではの絡繰秘術だ。
「なにぃ!? 阿礼雛が、裸踊りを見せたって!? 畜生! どうして、俺を呼んでくれなかったんだ、朴澣! お前らも見たのか!? えぇ!?」
今にも飛びつきそうな勢いで、仲間たちを睨み、つかみかかる那咤霧は、完全に常軌を逸していた。そんな彼の熱情に、油を注ぐが如く、夜叉面が涼しい声音でうそぶいた。
「ええ、私は『生口』役でしたから、間近で拝見させて頂きましたよ。まさに役得でした」
「儂だって見とらんぞ! なんてこった! そんなことまでやったのか……啊、宿喪よ!」
顔を紅潮させ、次には青ざめ、落胆いちじるしい一角坊である。視線は、宿喪に向けられている。当の宿喪は、慌てて頭を振った。麻那を怖がらせぬための配慮から、かぶり続けた緇衣が、吹き飛びそうなほど取り乱す半鬼人である。
『黙れ、生臭坊主! くだらんことを吾に聞くな! 喂、なにが可笑しいのだ、夜叉面!』
「ううっ……ふざけやがって! これだけは許せねぇぞ! もう一度、阿礼雛を呼べぇ! 俺が裸に引んむいて姦る! あの女、今度こそ絶対に逃がさねぇ! 一発で孕ましたる!」
那咤霧は怒り心頭、青筋立てて破廉恥な暴言をわめき散らす。
黙っていれば美男子なだけに、病的ともいえる女好きは惜しい限りだ。
「朴澣! てめぇの女だろうと、もう我慢はしねぇぞ! 疾く、阿礼雛を連れて来い!」
途端に、石塊が飛来して、那咤霧の後頭部を直撃した。投げたのは無論、宿喪である。
激痛のあまり、声も出せずに地面へうずくまる那咤霧を、朴澣が冷ややかに見下した。
直後、煙管の雁首が、パァンと鳴る。
「那咤。お前は他の女客と、仲よく同衾してる真っ最中だったじゃねぇか。時間は、たっぷりあったしなぁ。他の女どもを喰うのに忙しくて、阿礼雛一人にかかわっちゃあ、いられなかったんじゃねぇのかい? ちがうか、那咤霧!」
朴澣の剣幕に驚倒し、那咤霧は押し黙った。すでに七人目、空ろな瞳の女客へ圧しかかった直後、唐突に引戸が開いて、怒り狂った朴澣からシコタマ蹴り上げられた色魔である。
座長の鬼業、向かうところ敵なしの禍力を、痛いくらい知る那咤霧だけに震撼した。
ところが、麻那を不安にさせぬため、ワザと大袈裟に繰り広げた、彼らの能天気なやり取りは、かえって逆効果をもたらしてしまったようだ。
「あの、皆さま……私、やっぱり、待つだけなんて駄目……圭旦を、迎えに往きます!」
『十六夜亭』で見せた、驚異的な神業から一変……【鬼凪座】の太平楽な態度は、麻那の懸念を、いよいよ増幅する一方だったのだ。
与太話を続ける内、宿場外れの墓地三昧堂には、早くも夕闇が迫りつつあった。
カラスが鳴き、芒は揺れて、草むらに虫がすだく。
麻那の心は、千々に乱れた。
「喂! 待つって云ったじゃねぇか! お前が往ったところで、門前払い食うだけだぜ! 劫初内に、やすやす入れるワケがねぇんだ! 下手に騒げば、哨戒番に殺されちまうぞ!」
居ても立ってもいられず、駆け出した麻那を、慌てて追いかける【鬼凪座】五人組だ。
「麻那さん、落ち着きなさい! あなたが短慮を起こせば、困窮するのは圭旦殿ですぞ!」
「困った女子じゃのう! 致し方ない! とにかく、儂の瓢箪酒で眠らせてしまおう!」
「それとも、俺の『触覚術』で、大人しくさせてやろうか!? 腰が抜けるほど、いい気持ちになって、あんな男のことなんざ、すぐに忘れちまうぜ!」
『那咤! もし、その薄汚い魔手を彼女に使ったら、貴様もここに永眠させてやるぞ!』
必死で逃れようとする若い女に、追いすがっては取り囲む怪しい男たち。
一見しただけでは、非道な女犯行為とおぼしき光景である。
「どうか、放してください! もう、止めても無駄です! 圭旦を、迎えに往かせてぇ!」
その時、三昧堂の小競り合いを、案の定、見咎め、誤解して、大喝を発した男がいた。
「あんたたち、なにしてるんだ! 寄ってたかって無体を働くとは……疾く、姉を放せ!」
男の声に、麻那はハッと目を見開いた。大きな瞳から、またしても泪があふれ出す。
「……圭旦!」
ようやく、待ち人来たる。
颯爽たる藍染長袍姿で、墓地に現れた圭旦の懐へ、麻那は喜び勇んで飛びこんだ。
「戻って来たよ、姉さん……いいや、麻那!」
圭旦も、もう遠慮はしなかった。愛する女を抱きしめ、人目もはばからず唇をかさねる。
鬼業役者五人組は腰砕け、ホッと安堵に胸をなで下ろした。
朴澣が呆れ気味につぶやく。
「遅いぜ、圭旦。この色男。見せつけてくれるねぇ。まったく……待つのは大嫌ぇだ!」
ー続ー
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