陶越前守弘房の大内コラム1 嘉吉の乱編
# 注意
このnoteは漫画『新九郎、奔る!』の内容を前提とした二次創作です。
登場人物については別noteの一覧に記載(予定)です
陶弘房「それがし、大内家で周防守護代を務めます、陶越前守弘房と申します。僭越ながら『新九郎、奔る!』に沿って大内家周りの解説をさせていただきます」
鶴寿丸「父上!これは蜷川新右衛門殿の室町コラムのパクリなのでは?」
陶弘房「細かいことはいーの!今回は『新九郎、奔る!』1巻 146ページの嘉吉の変の話をする」
鶴寿丸「当時の室町殿(足利義教)が赤松殿の屋敷で暗殺された事件ですよね」
陶弘房「そうだ。赤松殿の屋敷のコマに書かれていたかは作者のみぞ知るところだが、御屋形様(大内政弘)の御祖父・(大内)持世様があの屋敷におられて奮闘の末、瀕死の重傷。後日亡くなっている」
鶴寿丸「えっ」
陶弘房「持世様だけでなく、同席していた山名殿や京極殿は討ち死に」
鶴寿丸「さぞや激しい戦いが」
陶弘房「と言いたいとろだが、大半は大した怪我なく屋敷を出ている」
鶴寿丸「ええーっ!!!」
陶弘房「赤松勢は将軍の首以外に興味はないとのことで負傷者を連れて退散だ」
鶴寿丸「持世様に何があったんでしょう」
陶弘房「分からん。もしかしたら義教公の近くに居られて咄嗟に反撃に出たのかもしれんが。該当のコマの中央で首を切られてるのがおそらく義教公だと思うが、持世様があのコマに描かれているかは作者のみぞ知るだな」
鶴寿丸「その後はどうなったんですか?」
陶弘房「主要メンバーが義教公のお子を育成していた伊勢貞国殿の屋敷に集まって対策を練ったが、即時対処は決まらず、赤松殿は領地へ戻った」
鶴寿丸「『混乱に陥った幕府を尻目に播磨へと去った』というのはそういう事情だったんですね」
陶弘房「そうだ。義教公も方々に恨みを買っていたから赤松殿の以外の関与も考えられたし、情報も錯綜していたのかもしれんな」
鶴寿丸「同じページに『幕府は二ヶ月後に追悼の軍を派遣した』ってありますが、なんでそんなに時間がかかったんですか?赤松殿の本拠って播磨ですよね?」
陶弘房「うーん。正確なところは分からんが、当時の管領の細川持之殿が将軍不在の中で誰の決裁で動くのかに窮していたところもあって時間かかったんだろうな。明確な決裁者がいない合議って何かと時間かかるし。あ、細川持之殿は今の細川右京大夫(勝元)殿のお父上だな」
鶴寿丸「『新九郎、奔る!』の1巻206ページで細川右京大夫殿が『父の代から侮られるのには慣れている』と思ってるのはその事ですかね」
陶弘房「そうかもな。共に事変で名を挙げたのは山名宗全入道だし」
鶴寿丸「大内家はこの時どうしたんですか?」
陶弘房「御屋形様の御父上の(大内)教弘様が赤松討伐に参加された。」
鶴寿丸「そこで宗全入道と会われた縁で宗全入道の御養女を奥に迎え入れたと」
陶弘房「山陽・山陰道の大半の守護の山名一族と結ばない選択もないからな。おや、人が来たようだ」
鶴寿丸「何事でしょうか?」
陶弘房「山名宗全入道から加勢の依頼らしく、ワシも上洛に同行するようにとの話だった」
鶴寿丸「京に行かれるのですか!私、土産は『吾妻鏡』がいいです!!」
陶弘房「観光旅行じゃないんだぞ……」