ピアノ再開 暗譜について気づいたこと
ピアノを30年以上ぶりに再開した。
もともとは子ども達にピアノを習わせるために、実家で眠っていた私のピアノを、クリーニングして調律して、持ってきたのだが、見ていたら自分が弾きたくなってしまったのだ。
これほど久しぶりに再開して、気付くことが色々とあるので、書いてみようと思う。
本当に色々ありすぎて、何から書いたらいいか、困ってしまう。
とりあえず、暗譜について、気づいたこと。
弾いていた頃、暗譜という課題がどうしてわざわざあるのかよくわからなかった。それが出来るのは、余りにも当たり前のことだったからだ。そして、発表会などで楽譜を置くのは、それが慣習なので仕方なく置いているのだと思っていた。あるいは、かっこつけるためかとか、とんちんかんな想像もしたりしていた。なんというか、譜捲りを絶妙なタイミングでする/してもらう、ことも含めてプレイの一部なのだろうかみたいな解釈をしていた。(まあ、私のレベルなので、何十分とあるような長い曲を弾いていたわけではないけれども)。
それが、年を取って、ピアノを弾き始めてみたら、暗譜が出来ていない。できなくなって初めて、暗譜をどうやって自分ができていたのか、わかった。
①絶対音感とか相対音感とかいうが、私も少なくともピアノの音を聴けばそれが何の音かわかったこと(いっぺんにたくさんの音が重なっていても)
(当時流行っていた、びっくり子どもみたいなテレビ番組に出てくる子どもと同じことができた)
②練習で弾いているうちに、耳がその曲を覚えて、頭の中で再生できるようになっていること
③まえのふたつがあわさると、頭の中に曲があるので、それを再現するだけになる(いちいち、曲を覚えるわけではない)
長いブランクのせいか、年を取ったせいか、その両方のせいか、音を聴いても、それが何の音か拾えなくなっている(簡単なポップスの曲くらいならともかく、クラシックの複雑な曲はもうだめだ)。耳が音を分析できないので、再現できない。ということがわかった。
他の方の場合は、どうやって暗譜をしていたのだろう、と今になって思う。
②は、ある程度、皆が普通に持っている能力じゃないかなと思うけれども、恐らく①が欠けているので、(勝手にできあがる)暗譜ということにつながらないのではないだろうか。少なくとも自分はそうだなあ。