「トランス男性の漫画」から見るそれぞれをちゃんと見る事の大切さ。本当の区別とは。
みなさんは最近Twitterで話題のとある漫画をご存知でしょうか?とあるトランス男性の漫画です。
まずはこちらをご覧ください。
(ツリーに続いてるのも読んでね)
私はこれにある問題を感じたので私なりに纏めたいと思います。
①問題の区別をできていない問題
あのトランス男性の漫画、
確かに上司がクソな所は大いにある(男女関係なく下半身とか言うなよと思う)けど、
それはそれとして本人の上司への最初のアプローチの仕方のせいもあると思うんです。
なぜならアレを性自認の問題にしたら「そもそもの女は優しくする立場、男は怒る立場」
ってのを認めた上で、
「でも私は性自認男性だから」
って言ってる風になるじゃないですか。
でもあの人あの書き方だと多分
「最初の前提から納得いってない」ような気がする。
そしたらあそこで性自認のCOするのめっちゃ悪手では?2つの問題が最悪な形でぶつかり合ってるのでは?と。
というかあの場面なら普通に
「男は叱る役とか女は優しくする役って性別で決めない方がいいですよ」
とか
「私は優しくするの苦手だし子供産む気も無いですね」
とかで良いのに、あそこを自分の性自認カミングアウトの場にするのがかなりの悪手。
そこで色々絡まりまくったというか。
本人としては多分そこが我慢の限界でだからこそ言ったんだと思うからしょうがないのかなとも思うんだけど、
あそこであの言い方をしたことで「性自認」の問題だけではない色々な問題が紐付いて絡まって認識の齟齬が発生した節はあると思うのです。
②個々人の区別を出来てない問題
これはこの漫画そのものというよりもその反応で多く合った問題。
それは
「男は雑に扱われるのを望んでる」
みたいな言い方してる人が大量に居ること。
これが男としての扱いなんだから受け入れろ。みたいな意見。ふざんけんなよと。
少なくとも私は男性だからって雑に扱われるのめっちゃ嫌だったし、今でもずっと不満で改善すべきと思ってる。
本当に男性だからって力仕事押し付けられたり、
会話中に大声で下ネタ言ってたりが嫌だったので、それを当然の区別とか言われるのはちょっと。
区別するなら性別ではなく個々人で見ろ。それが無理なら区別せず平等に同じ対応しろ。どっちかだ。男女で区別するのはトイレと着替えくらいにしろ。
というのも、私はそもそも学生時代当時から体力も運動能力も他の女子より無くて余裕でワースト一位くらいのパワーだし、
それはクラス全体でも有名だったんだけど(本気でやって腕相撲でクラスの女子10人に連続負けしたレベル)
それでも「男性なんだから力あるだろ」的な扱いは受けてたし、それは滅茶苦茶不満だった。
それは別に私がトランス女性というわけでは無くて、
普通に趣味とかは男性的だったし、
下ネタも大声で喋るのが嫌なだけで、ヒソヒソ話で混ぜられるのは程度によるけどノリとしては好きだった。
ただ確実に個々人に見るべき所を性別で区別してみてるなって所は多々あるしそれは絶対に改善すべきだと思うのです。
例えば心は女子の男子に配慮して、
「男でも女子トイレや女子風呂に入っていい」ってするのは流石におかしいけど、
学校での力仕事の配分とかは
「体育の成績や日頃の運動能力、本人の申告等を鑑みた上で出来る限り平等に配分」
すべきだと思う。
トイレは痴漢とか被害のリスクあるし、
スポーツは公平性が失われる危険性があるから、
そういうものを性別的に区別して見るのは仕方ないと思うけど、
普段の生活でそれをする必要はほぼ無い。
何度でも言うが、個々人を見るのを面倒くさがるな。楽をするな。
区別をしたいなら男女ではなく個々人を見てちゃんと区別する、それが出来ないのなら誰に対しても平等に同じ扱いをする。
区別を語る割に区別が中途半端というか大雑把過ぎるんですよ。
そしてこういうのは多分
女性→男性
男性→男性
だけじゃなく、
男性→女性
女性→女性
でもあるんだろうなとは思うから、
やっぱり互いに歩み寄り
「男女や属性ではなく一人ひとりに向き合う」
のが大事なんだと思う。
性別的な傾向で見るなというお話。
ただトランス男性という立場からそれを言うと、
「男性の良い部分だけ味わって悪い部分は拒否してる」
みたいな見え方になるのは分からなくもない。
真の平等のためには男女両方が今ある特権や優遇を捨てて、
平均的に判断してもらう勇気が必要だから、
まず先に自分がそこにアプローチする姿勢みせないと一方的に
「相手にだけ改善させようとしてる!」思われる危険性は大いにある。本人にそんな気は全く無いんだろうけど。
だから①でも言ったあの話が大事になってくる。問題を区別するという。
③まとめ
結局このお話は「ちゃんと区別することが出来なかったこと」が問題では無いかと思う。
男女ではなく個々人に、一つ一つの問題にしっかりと向き合わなければ解決するものも解決などしない。歩み寄るとはそういうものなのだ。