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感情的な関係はむずかしい
全然小説が読めない。1年くらい前か、もっと前からか、もうそれすら思い出せないけど、内容に興味が湧いてその時は「読んでみたい」と思って買った本も、ほとんど読み通せないまま今も読んでない。
仕事に行き生活をする中で、小説世界に触れることが、私にとって必要がなくなってきている感じはあって、本の中の人物よりも今現実で近くに生きている人物たちに興味を持つ率が昔より高まっていると思う。昔は周りにいる人たちに、そこまで深い興味を向けなかった。というより、傷つくのが嫌でどちらかというと対峙する事から逃げていた。だから小説の中で見れる人間の心の動き・考えに興味を向けたのかもしれない。小説を読むのなら、自分がひどく傷つけられることなく、好きな人物に感情移入して物語を生きられたし、感情に触れられたから。
最近は、傷つくことがないわけはないけど、自分の感情と自分自身をまるごとイコールで結びつけないようになったからか、生きてるのをつらいと思うほど感情に全てを引きずられなくなった。感情が傷ついたと反応しても(まぁそれはそれでつらいけれど)、その事で自分の能力や生き方や考え、全てが傷つけられ意味の無いものになったわけではなくて、だからこの事で自分を全部投げ出す必要もない、となにか割り切りができる。感情に溺れて生きてた時より、地上できちんと自分のまま立って生きている感じがあって。それが良いか悪いかはわからないが、自分として生きることがやりやすくなった。
小説をたくさん読むことは、なんだか今は結局全然想像ができない。できないのに気になると買ってしまう。でも読もうとしないなら、たぶん今の私には必要なものじゃないのかなとも感じる。
自分以外のなにかと一緒の気持ちになりたい、気持ちを共有したい、気持ちを同化させたい欲が私には多分あって、それをどこかで満たしたい気がする。それは小説や映画・ドラマ・ゲーム、あらゆることで経験できるといえばできる。でも本当は、実際地球上で生きてる人間とそういったことをしてみたいな、と望んでるのかもしれない。でも現実、生活を生きてる人とそこまでの感情関係を持とうとするのは、大変なことなのかもしれないな、とも勝手に考えている。感情の交流は、良い時は良いが、ぶつかり出すとえらくエネルギーを失うし、一緒にいるのが無理になるくらい気持ちが収まらなくなったりする。
憧れるけど、実際踏み込むのがこわい気持ちもある。実家の家族はなんだかそういうことが気にならず、言いたいことが言える家族たちだったけど、家族以外の人とそこまで関係を作ることが、課題というか、難しい。そこまで行くまでの過程を乗り越える精神が、私にはまだ身についていないということかもしれない。