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輪島キンツギ日記 KINTSUGI DIARY#2 なぜ金は美しいのか?

金継ぎは、いつだって、光でなければならない。いつもそう考えながら作業している。能登の古民家の暗闇では、金はさらに輝いて見える。

それにしても、この金色の光の正体とは、何だろう。希望、再生、祝福、権力、どれも当てはまる。

先日、東京駅のミッドタウン八重洲でクリスマスツリー「キンツギツギキ」の展示があったが、あの金の光もまさに、希望と祝福を感じた。

能登の被災地から依頼を受けた陶磁器に金を蒔く

金は、豪華さ、華やかさのため、長い歴史の中で「おめでたい色」として愛されてきた。しかも、貴重。色も変わらない。

ちなみに金沢は、金箔の産地として知られているが、これは、加賀友禅や輪島塗などの伝統工芸が盛んだったことも関係している。また、北陸は浄土真宗が多く、仏壇の金箔需要が大きかったことも発展の一因らしい。

しかし、金継ぎは、なぜ金色なのか? この「金(ゴールド)」という色彩には、いったいどんな意味が込められているのだろうか?


金継ぎでは<純金粉>を使用することが多い

金色はいつだって太陽の輝きを思わせる。つまり、光のメタファーだ。

仏教的には、金色の光は、無知や迷いから私たちを導く知恵の輝きである、と考えられている。暗闇を払拭し、心を照らす力があるとされている。

また、金は極楽浄土と結びついており、「浄らかな世界」を象徴的に表現する色として用いられる。

金継ぎでは、艶の少ない「金消粉」をよく使う

スポーツの祭典、オリンピックにおいても勝者の栄誉は、ゴールドメダルだ。

成功したものが手にできる「ゴールドカード」「ゴールド免許」「ゴールデンタイム」「ゴールデンウィーク」など、ゴールドと名が付く言葉には、ある種の「繁栄」と「成功」のイメージがつきまとう。

もちろん、金という曖昧な色彩は、あまりに複雑な文化的背景を持っているので、一言では言い尽くせない。

縁が光ったように見える「金」という色彩

元々、黄金(ゴールド)は、古代における太陽信仰の時代から「光の代用品」だった。キラキラと輝く金は、権力を持つ者たちがまとう武器となった。

古代メソポタミア、エジプト、ビザンチンの時代から現代まで、その価値は変わっていない。

キリスト教や仏教の表現においても黄金は広く使われ、大いなる力の威厳を示す色彩となっていった。しかし、時にはインカ帝国のように、黄金を巡って争いが起き滅亡することもあった。

金脈を探し当てたいと一攫千金を狙った採掘者が殺到する現象を「ゴールドラッシュ」と呼ぶ。スーパーマリオ のようなゲームにおいても、ボーナスステージになると金のコインが大量にゲットできるゴールドポイントのチャンスがある。

さらに金という物質には長い年月が経っても変わらぬ美を保ち、輝きを失わないと言う特徴もある。

そのため、金の装飾品が権力者にとって「お守り」や「魔除け」の意味を持つようになった。

金継ぎに使われる金消粉

金閣寺が金箔で覆われているのは、足利義満が永遠、不老不死を表現したかったためだとも言われている。

一方、金に魅了された豊臣秀吉は、金箔で居城を覆い、金で茶室や風呂場、雪隠(トイレ)を作ったとされている。さらに、金の蒔絵を施した武具や金の刺繍を入れた陣羽織まで作ったらしい。秀吉は金によって権力の大きさを示そうとしたのだろう。

光が差し込んだように華やかさを増す、金のつくろい

英語で「ステイ・ゴールド(Stay gold)」と言った場合「純粋な心を忘れないで」「いつまでも輝いていて」というニュアンスを持っている。

1983年に公開されたフランシス・フォード・コッポラ監督の青春映画「アウトサイダー」にも「ステイ・ゴールド」と言うセリフがあった。もちろんこれは「いつまでも黄金のように純粋で輝いていてくれ」というような意味の言葉だった。

スティーヴィー・ワンダーが作詞した映画の主題歌「ステイ・ゴールド」も大流行した。成長と共に失われていく純粋な「黄金の心」をいかに持ち続けるか? それがこの映画の重要なテーマのひとつになっていた。

このように「金」は、色々なことを教えてくれる。

金継ぎにおいては、不完全さを祝ってくれる差し色であり、ささやかなインスピレーションを与えてくれるスパイスのような存在だ。

金は、纏うだけで、自分が少しだけ成長したような気になる不思議な色彩なのだ。

ナカムラクニオ×トトン NOTO Re-BIRTH PROJECT -能登再生工芸プロジェクト- https://toton.style/event/17251/



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