胸に突き刺さった話
若い頃、私の教育係をしてくれていた先輩が大嫌いでね。
言ってることのほとんどは正しくて理解できるのだが、態度がめちゃくちゃ偉そうでね。周りの評判も最悪。
でもね、仕事は誰よりもできる。
そこんとこは尊敬していた。
この人のおいしい部分だけ盗んで、自分は将来この人とは違う人間になってやると誓ったものだ。
この人がよく口にしてた。
上に立つ人間は、
嫌われてなんぼだぞ。
その頃の私には、まったく響かなかった。
歳をとって、30代後半になった頃かな。
なんとなく言ってる意味がわかるようになった。
嫌われても、職場のために必要なら進んで嫌われ役になるのも大切なのかな...ってね。
さらに歳を重ねると、考え方が変わってきた。
確かに嫌われ役になることも必要な場面もあるだろう。
かといって、"嫌われてなんぼ"っていうのは違うんじゃないかな。
嫌われてもやるべきことをやるのは必要だけど、嫌われることがステータスではないと思う。
そんな想いでやってきた。
そして最近こんな言葉が目に飛び込んできた。
リーダーは嫌われる勇気を持ってはいけない。
「嫌われる勇気」という言葉は、一人歩きしている感があります。
あの言葉は「嫌われなさい」と言っているわけではありません。
若い頃はまさしく「嫌われなさい」と言われた気がしていた。
「嫌われる勇気」を通じて、私たちがメッセージを伝えたかったのは立場的に弱い人、職場でいえば、部下の人。
「言いたくてもなかなか言えない」という状況があるけれど「上の立場にいる人の顔色をうかがわず、言いたいことを言う勇気を出さないと」と訴えたかった。
私が若い頃にはそんな勇気は微塵もなかった。
嫌われる勇気を持たなくてはならない人というのは例外なく、優しい人で、人の気持ちが分かりすぎて「こんなこと言うと相手を傷つけるのではないか」ということに過剰なほど注意を向ける人。
そういう人たちに他の人が動揺したり多少波風が立つことがあったりしても本当に言うべきことは言わなくては。と訴えたかった。そういうことで嫌われる勇気というかなり強い言葉を使いましたがそこを誤解する人が多い。
そういう誤解はしていないつもりだったが、どうだったのだろう.....
部下に嫌われてでも言うべきことは言わないといけない。というリーダーはきっとパワハラすると思いますし部下の考えに耳を傾けないと思います。
うん、まさに私の教育係の先輩はそういう人だった。
だからそういう立場にある人は寧ろ「嫌われる勇気」を持ってはいけない。「不完全であることの勇気」を持たないといけない。
「自分は完全だ!」と思っている感がひしひしと伝わってきた人だったな。
この言葉、私が思っていた通りのことを言ってくれている。
上に立つものは、自分の意思を押し付けるのではなく、若い者の建設的な意見を親身になって聞き入れ、会社や人、もちろん自分にも利益を齎すよう動くことが使命なのかなと思う。
私、「嫌われる勇気」はまったく持っていない。臆病者だから。人に嫌われるのが非常に恐怖に感じるから。
「不完全であることの勇気」もほとんどない。でも、不完全である自覚は常日頃から持ち合わせている。
上に立つものは、不完全でいいんだと思った。
不完全だからこそ上を向いて進んでいけるし、下の者の意見を素直に聞けるのだと思う。
まぁ、弱っちい私の場合はそれが言い訳になっているのかもしれないが...
あと10年しかこの仕事をしていられないが、若い者と一緒に上を向いて歩んでいけるといいな。