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富山県での先祖探し事情について

富山県での先祖調査

家系図作成や先祖探しをされている方で、ご自身の一部の系統に、北陸地方の富山県にルーツをお持ちの方もおられると思います。ちなみに、私の母方高祖父の一人も、富山県出身で、私は先日、富山にて現地調査をしてきました。富山県は、海と山に囲まれ、立山連峰が綺麗で、旅行するには素晴らしい場所ですよね。観光の面で、また行きたい場所です。

画像 https://www.unerry.co.jp/case/toyama_city/  より

しかしながら、先祖調査の話に限って言えば、富山県は全国的に見ても難易度が特に高く、他の地域ならスムーズにわかることが、富山では大して有効にならず、途中で挫折してしまう可能性が高い県だと言えます。この記事では、私の経験で知った、先祖調査を受け付けない富山県独特の傾向をお教えし、そんな中でも、私はどう調査したのか、書きたいと思います。

①戸籍の保存状況について

先祖調査を行う上で、まず最初に行うのが戸籍の請求です。私たちが現在取得できる最も古い戸籍は、明治19年に作られた、明治19年式戸籍という書式になります。この戸籍は、明治19年時点で存命だった人が書かれており、大体の戸主が江戸時代(幕末付近)の生まれです。この戸籍が取れ、代々、先祖が長生きの家系であれば、戸主の母(天保)さらに、祖父母(文化、享和、寛政)頃の先祖まで書かれていることがあります。

ところが、全ての役所でこの明治19年式戸籍を取得できるか??と言うと、残念ながらそうではありません。戸籍というのは、保存期間が定められており、平成22年(2010年)まで、

「戸籍の保存期間は除籍簿に綴られてから80年とする」
(戸籍の除籍日がいつ、決まるかは、該当戸主が死亡し、家督相続人(主に戸主の息子)が家督相続し、新しい戸籍が作られた時。これにて、亡き父を戸主とする戸籍は除籍となり、除籍簿に綴られる)

とするという法律になっており、その後、保管するか否かは各市区町村の自治体の判断に委ねられました。東京都23区、大阪市、京都市、新潟市、広島市、大分市、熊本市、札幌市といった大都市は、人口が多く、人の出入りも激しく、大量の戸籍の保管場所に余裕が無いため、法律に則って積極的に戸籍を廃棄してきましたので、古い戸籍が物理的に無くなっています。

2010年の省令の改正に伴い、80年から150年に保存期間は伸び、今現在は廃棄は進んでいませんが、既に廃棄されてしまった物は、物理的に消してしまったので、復元もできませんし、どうしようもありません。

このように、廃棄に引っかかる場合、昭和2年以前の除籍は保管されていない、ということになります。

*何年式の戸籍を廃棄していい、という法律ではなく、除籍になったのが昭和2年以前であれば、明治19年式でも、明治31年式でも、大正4年式でも廃棄対象になります。

大都市ほど、戸籍の廃棄が進んでいる傾向にありますが、田舎の地方都市や日本の8割ほどの市区町村は

「確かに保存期間は経過しているが、貴重な行政資料なので、廃棄はやめておこう」「廃棄するとしても一部だけにしよう」「子孫が古い戸籍を取りにくるかもしれないから残しておこう」

と廃棄を躊躇い、多くが明治19年式戸籍まで取れることが多いです。原本は廃棄しても、廃棄前にスキャンして、磁気ディスクから発行する、という役所も多くあります。

*さいたま市浦和区、南区、緑区でも明治19年編成、明治40年の除籍が取れました。
*新潟県長岡市でも廃棄されていません。
*松本市では、磁気ディスクから明治19年編成、明治29年の除籍が発行されました。

よっぽどの理由(保管場所が無い、空襲で役所が破壊された)が無ければ、普通は保管されています。というか、保管されている方が多いです。

特に、青森県、岩手県、秋田県、山形県、宮城県、福島県、静岡県、長野県、山梨県、岡山県、茨城県は廃棄している役所が少ないと聞いています。

【富山の場合】

さて、富山県ですが、残念ながら、多くの自治体で戸籍の廃棄が積極的に行われてきたようです。富山には、15の自治体がありますが、、、

画像 https://walk-toyama.com/2023/07/11/15-municipalities/  より

富山市 昭和2年以前の除籍は廃棄
高岡市  〃
射水市  〃
氷見市  〃
滑川市  〃
魚津市  〃
黒部市  〃
小矢部市 〃
砺波市  〃
南砺市  〃
立山町  〃
朝日町  〃 (人口 1万人)
入善町  〃 (人口 2万人)
上市町  〃

舟橋村 廃棄を実施せず(ここに当たったらラッキー)

と、このように、古い戸籍をみっちりと、当時の2010年の戸籍法改正前の法律で廃棄可能な明治、大正の除籍を毎年しっかりと廃棄してしまったようなのです。(もしかしたら、大正末期の除籍が取れるところもあるかも)

平成の大合併の前に多くの旧町村で保管してくれていたとしても、大合併後の各自治体で全て、一括廃棄したようです。(なにやってんだか、、、)

(逆を言えば、しっかり廃棄した=サボらずに仕事をこなした県(笑))

ということで、このように廃棄証明書しか出ません。しかも、一通の発行手数料が300円(笑)

戸籍の廃棄証明書

これは先祖調査をする上で、大変困りましたね。驚きなのが、人口が少ない町でも廃棄を実施していることです。お隣の新潟県糸魚川市では、廃棄していないと聞いていますが、なぜ富山ではここまで進んでいるのでしょうか。

②法務局か県からの命令か

 このように、どの役所も廃棄決定しているとなると、何か外部的要因があるのかもしれません。富山の話ではありませんが、ある地方の町役場で、廃棄はもったいないから、せめて画像でスキャン(電子化)した後、原本を廃棄したそうです。

後は県の法務局から電子化した戸籍の発行許可をもらうだけでしたが、なんと、法務局が出した命令は、

「法律の通り、80年を経過した戸籍は全て廃棄しなさい、電子化は一切認めない。なんで廃棄対象のデータを保存するんだ、全て消しなさい」

画像 https://www.ac-illust.com/main/search_result.php?word=%E7%A0%B4%E6%A3%84  より

という通達を出し、役所は廃棄(データ抹消)を決定せざるを得なかったということ。富山も、このような事情があるのかもしれません。

岡山法務局は、廃棄はしないでほしい、と各自治体に通達を出し、廃棄を拒んだ為、多くの役所で保存されています。

地域によってばらつきがあるようです。

このように、廃棄対象になった戸籍たちは、処分業者のトラックに無造作にボンボン投げ込まれ、焼却処理、溶解処理によって貴重な記録が消されていきました。悲しい、、、

③戸籍が無いと正直厳しい

戸籍は、各先祖(特に婿や妻)の実家の旧姓や番地が書かれていますよね。場合によっては、

戸主が慶応3年生まれの、三箇二四郎、本籍地が富山県射水郡高岡木町(高岡市木町)の明治19年式戸籍の事項欄に、

明治19年式戸籍の例

富山県射水郡小杉三ケ村 三箇大右衛門の弟 分家ス

と書かれている明治19年式戸籍だってあります。

これが無くなってしまうと、三箇仁四郎の出身が射水郡小杉三ケ村(現在の射水市三ケ)だと知る術を失い、三箇家の本家がどこにあったのか、永遠にたどり着けなくなるのは理解いただけると思います。

④富山県の墓事情

戸籍が廃棄されていても、先祖の本籍地近くでお墓を見つければ、もう一代さかのぼれる、ということは多くあります。

亡き父 飯山新次郎までが戸籍から分かった先祖の情報

戸籍で分かったのは、飯山新次郎まででしたが、

長野県の山中(飯山新次郎の本籍地近く)にて、新次郎(明治8年没)の墓を発見し、その後ろにその父、飯山重五郎(文久2年没)の墓を発見し、戸籍よりも一代遡れました。

このように、戸籍が廃棄されていても、お墓を見つけられれば、もう一代さかのぼれたり、先祖のデータを得られることが多いです。

それを期待して富山県に行かれた皆さんは、がっかりするかもしれません。なぜでしょうか。

答えは、富山県は、墓に先祖のデータ(俗名、戒名、没年)などを一切彫らない文化だからです。

そう、富山県は、先祖のデータをあまり残さない県(北陸地方)なのです。その理由は、以下のブログに書きましたので、ご参照ください。

富山県で多く見られる、墓石調査に全く使えない墓の形状

墓に掘られているのは、せいぜい、〇〇家の墓、南無阿弥陀仏や先祖代々の墓、建てた人の名前くらいで、先祖の詳細な情報は何処にもありません。

(大体、100基あれば、1基くらいは立派な墓誌がある墓に出会うとは思いますが、99%の墓には墓誌なんてありませんし、何も墓に掘られていません)

(富山で墓誌がある墓というのは、他県から富山へ移住された方や、よっぽど先祖に興味ある人が建てられた墓だと思われます)

何も準備せずに他地域と同様の墓探しを実行しても、大方は失敗で終わり、貴重な時間とお金を浪費することになります。

以上のように、廃棄で戸籍が無いため、江戸時代まで辿れない、先祖の墓を探せない、見つかっても何も彫られていない、、で色々と障壁が大きい中、調査を進めなければなりません。富山県は先祖調査を受け付けない県だとお分かりいただけたでしょうか。

*墓に先祖の記載を彫らない地域は主に北陸地方(富山県、新潟県のほぼ全域)、岐阜県大野郡白川村、石川県金沢市以北(能登半島)、山形県鶴岡市の一部(新潟県と県境が近い地域)、山口県の一部?、沖縄県全域です。他にもあったら教えてください。

⑤私が実践した調査方法

【戸籍廃棄で江戸時代まで遡れなかったが、現地調査で文化まで辿ることができた話】

*全て仮名です。全て仮番地です。

1 高祖父の戸籍を取得

母方、高祖父の村椿弥太郎(明治28年生)は、本籍地が横浜ですが、元々は、富山県射水郡新開発村7658番地から来たと分かりました。
 
両親欄には、村椿久太郎、みのとあります。

射水郡新開発村は、現在の射水市新開発ですので、さっそく、富山県射水市に村椿弥太郎の出生時の戸籍を請求してみました。


仮の廃棄証明書

が、廃棄証明が出ました。村椿弥太郎の父、久太郎は大正15年没の為(役所担当者によると、除籍年は大正15年のようです)、同年に除籍。2008年に当時の法律、80年の保存期間経過に則って廃棄されてしまったようです。

これだと、明治時代までしか辿れません、、、残念です。

しかし、ここで諦めません。曾祖父の村椿仁一(大正9年生まれ)は、富山県射水郡新開発村7658番地にて出生とあります。本籍は、横浜ですが、生まれは富山だったようです。

父の弥太郎が横浜に分家したのは、大正11年です。両親欄を見ると、父親の久太郎には 亡 と書かれていません。

弥太郎が分家した大正11年時点で、父の久太郎は存命だった。

ということは、曾祖父の仁一が生まれた大正9年のとき、祖父の久太郎は、まだ生きていたということになりますね。久太郎が戸主の戸籍に、孫として仁一が載っていたのでしょう。

仁一は2000年に亡くなってますので、継承者が相続の関係で、仁一の出生時の戸籍(戸主が久太郎)の物を取得しているだろう、と予想しました。

(廃棄されたのは、2008年)

仁一の息子(私の大叔父)に確認してもらったところ、廃棄前に戸籍を取得されていたようで、写真で送ってくださりました。

村椿仁一の出生時の戸籍

これにて、久太郎の生年が慶応三年、妻、町田みのは明治元年生まれだと分かり、江戸時代まで辿れました。

久太郎の父、藤太郎も記載あり、天保6年生まれ(村椿五平の長男)
    母、南あよも記載あり、天保13年生まれ(南五右衛門の長女)

父方の立派な家系図が完成(戸籍を一代遡るだけでこんなに情報が得られる)

曾祖父、仁一の曾祖父母まで分かりました。

このように、大叔父に頼み込むくらいなら、楽勝ですね。

2 仁一の祖母、みのの系統を調べる

明治元年生まれの みの の事項欄を見ると、明治27年、射水郡新湊町 町田宇三郎 妹 という記載がありました。

法務局にて、大字新湊の旧土地台帳を全て閲覧し、町田宇三郎の宅地の番地を発見し、

本籍地が分かったので、この番地で請求しましたが、また廃棄されていると連絡が。

廃棄前に戸籍の取得をされているのは、おそらく、私から見たら五代前、町田みの実家、町田家の継承者(おそらく、12親等以上の遠い親戚)でしょうが、先ほどみたいに、付き合いのある親戚に頼み込むとはワケが違います。

3 旧土地台帳で継承者を確認

取得した町田家の旧土地台帳や閉鎖登記簿謄本を見てみると、現在の継承者は、

「町田順二」さん

だと分かります。富山県の墓は墓誌がありませんので、墓から先祖の情報を知ることは出来ませんが、一旦、墓探しに切り替えます。町田家の本籍地近くに、町田順二さんが建てたと彫られた墓石があると考えたためです。

*北陸地方では、墓誌が無い代わりに、継承者が建てたと彫られた墓を探すことで、先祖の墓を見つけることが出来ます。

そして、本籍地近くの菩提寺で、こんな墓を見つけました!

「平成13年4月、再建 町田順二」

これこそ、町田みの の実家の墓だと分かりました。お寺の関係者と思われる方が居ましたので、町田順二さんの遠い親戚であること、コンタクトを取りたいことを資料を使って丁寧に説明しました。

ご住職の奥様は、私が突然訪ねたにも関われず、丁寧にも町田順二さんに連絡を取ってくださり、家に来て顔を見せてほしいということで行きました。

*ここで、住職の方でお寺の過去帳から みの の両親と思われる人を抜き出して教えていただけるかもしれません。

訪問し、順二さんは亡父、伊四郎の相続の際(昭和50年頃)に取得された戸籍謄本を全て持ってきてくださり、

その中に、みの 明治元年生と書かれているものがあり、見事に繋がりました。その戸籍には、

みのの父、町田宇兵衛 天保7年生まれ
   母、宮下もと(宮下孫右衛門の二女)嘉永元年生まれ

みのの祖母、田沢こま(田沢宇右衛門の五女)文化10年生まれ

があり、みのさんの系統が全てわかったのです。順二さんに急にお尋ねしたのにも関わらず、富山までせっかく来たのだから、せめて情報を持ち帰ってほしいと言ってくださり、本当に嬉しかったのを思い出します。

最初は、村椿弥太郎の両親(2人)しか分からなかった状況から、戸籍のコピーを探してくれたことで、父方、母方の総勢、12人も先祖を辿れましたね。

このように、戸籍が廃棄されても、現地調査とコミュニケーションで江戸時代まで一気に遡れる可能性があります。

富山県の調査は、現地調査の進捗状況(継承者宅の戸籍の有無、過去帳の記載)で結果が大きく変わると言えそうです。

まずは現地に行き、行動しましょう! 

富山では、先祖調査に関し、色々と大きな障壁がありますが、だからこそ、情報が得られたとき、大きな達成感を味わえます!! 一つずつ、地道に情報を埋めながら頑張ってみてくださいね。

令和6年11月12日 六右衛門

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